私は三度神託の聖女を退けました
「こんばんは。こんな夜更けに訪ねてしまってごめんなさい」
トリルビィがもたらしたのは新たな客人の襲来……もとい、来訪があったとの情報でした。一応この家の主は私なので私が応対しなければ話になりません。トビアに客室にいるよう指示してから玄関へと向かうと、予想していた人物の姿が見えました。
「お久しぶりです、エレオノーラ様」
来訪者、神託の聖女エレオノーラは数年前と同じ神官を従えて私の目の前にいました。正直面倒くさかったので顔も見たくなかったのですが、神に与えられた宿命から逃げ切るまでに何度か対峙するだろうとの予測もしていたのでさほど焦りはありません。
「少しお疲れのようですがどうかしましたか?」
「いえ、ついさっき聖都に帰ってきたばかりですので。長旅の疲れが溜まっているのでしょう」
「でしたら日を改めた方がよろしいかと」
「いえ、今でなければ間に合いませんから」
エレオノーラの目の下にはくまがくっきりと表れていて、まとっている法衣にもしわが出来ています。おそらくですがトビアに逃げられて夜通しで追いかけてきたのでしょうね。誠、ご苦労様です。
立ち話もなんですからと私はお三方を応接間に通しました。私はトリルビィにエレオノーラ達に出すおもてなしの注文を付けるついでに彼女に耳打ちします。指示を受けた私の侍女は丁寧な会釈の後にその場を後にしました。
「それで、本日はどのようなご用件でいらっしゃったのでしょうか?」
「単刀直入に言いますが、妹さんが貴女のもとへと訪ねてきませんでしたか?」
「妹? セラフィナは今聖女になるために修業を積んでいる身です。まさかあの子が抜け出したと……?」
「とぼけなくても結構です。もう一人の妹さんが来ているのは知っています」
エレオノーラはトビアが既にこちらに来ていることを前提に喋っていますが、当然そんなのを真に受ける義理はありません。私はわざとらしく一体何を言っているんだと困惑して見せました。
「まさか父に隠し子がいたとおっしゃりたいのですか? いくら聖女であっても許せない一線はあります。我が家への侮辱と受け止めますよ」
「違います。弟さんのトビアが実は女の子でして……」
「意味が分かりません。では母は本当は女なのにトビアを嫡男として育てたと?」
「……いいでしょう。そちらがそう出るのでしたら一から説明します」
先に折れたのはエレオノーラの方でした。さすがにとぼけ続ける私を尋問する程野暮ではありませんでしたか。無論、強硬手段に打って出る兆候が見られたらさすがに私も観念して少し譲歩したかもしれませんがね。
エレオノーラの説明は概ねトビアの告白と同じでした。ですがお母様から聞いたらしい真実の中には妹から聞いていない事も含まれており、何回か演技ではなく素で驚きを露わにしました。
「トビアは実は双子として生まれて、男の子の方は死産だった……?」
「はい。ですがキアラさんの母君は女の子の方が死産だったと偽って女の子を男の子として育てたんだそうです。神の声に従って、ね」
「それで、男の子だったらトビアと名付け、女の子だったらアリーチェと名付けていた、でしたっけ」
「その通りです。ですから妹さんの本当のお名前はアリーチェでしょうね」
そんなの関係ありませんよ。妹だろうと弟だろうとトビアはトビアです。その亡くなったらしい本当の弟をアリーチェとでもしておけばいいじゃないですか。……なんて投げやりな考えはいけませんね。後でトビア本人と話し合いましょう。
エレオノーラ側の事情の方は、久々に大公国を慰問していたら突然天啓が下ってトビアを聖女としなければとの使命に目覚めたんだとか。しかし訪ねてみたらまんまと逃げられていて、お母様の自白を聞いた後で急いで追走して今に至る、と。
「神は言っていました。アリーチェさんは姉であるキアラさんの所にいると」
もしかして神って愉快犯じゃあありませんか? トビアには私に救いを求めろと促しつつエレオノーラにはトビアは私に救いを求めたとばらすなんて。きっとこの場面を観劇しながら面白おかしく笑い転げていることでしょう。
メイドが私達が向かい合ったテーブルへお茶とお菓子を並べていきます。どうやら飲まず食わずの強行日程だったらしく、エレオノーラも神官方もためらわずに口に運びました。こんなに警戒しないのなら睡眠薬でも盛っても面白かったですね。
「つきましては妹さんをこちらに引き渡していただきたいのです」
「ええ、分かりました。どうぞこの家をお探しになってください」
私の躊躇のない快諾にエレオノーラは軽く驚きながらも感謝の言葉を述べて立ち上がりました。それから神官達に指示を送ると手分けして家の中を探し回ります。扉を開け、絨毯や窓掛けをめくり、壁を叩いたりと入念に。
「まさか、こんなに上手くいくなんて……」
「大公国からの長旅で思考能力が鈍っているようですね」
傍らに控えるメイドはただ唖然としながらエレオノーラ達の作業を見つめます。私は次第に焦りが見え始めた聖女達を尻目に優雅な晩餐後のひと時を過ごしました。さすがに読書や勉強には集中出来ないのでただ紅茶とお菓子を口にするだけですが。
おかしいとは思わなかったのですかね? 本来なら引き渡せと聖女が命じたなら二つ返事で連れて来たっていいのです。なのに私は自分で探せと言い返しました。要求を呑むほど判断力に欠けているのは疲労のせいだとしておきましょう。
やがて家の中を調べつくしたエレオノーラ達は若干苛立ちながらこちらへと戻ってきました。既視感かなと思いましたがそう言えば私が二度欺いた時もこんな感じに憤りを露わにしていましたっけ。
「キアラさん、アリーチェさんをどこにやったのですか?」
「私には何をおっしゃっているのか分かりかねます。お探しの人物は見つかりましたか?」
「……っ。いえ」
「ではもう夜も遅いですしお引き取りを。それとも神はなおも言っているのですか? 未来の聖女はここにいる、と」
「日を改めさせてもらいます」
エレオノーラは踵を返して玄関へと向かいます。一応お見送りのために付き従っていましたら、扉を抜けた直後に彼女がこちらを睨んできました。明らかに私を恨んでいるようでしたね。自分のふがいなさを棚上げして。
「この不届き者。神からの使命に背を向けるなんて」
「エレオノーラ様、一つ忠告いたします」
三回目でしたしいい加減頭に来たので今日は言い返してやりましょう。
「神託など戯言です」
「……何ですって?」
「神は私共に進むべき道は指し示しますが、その道を歩むか否かは各々に委ねられます。神にとっての善でも個人にとっての破滅に続いているかもしれない。自己犠牲は大変結構ですが、エレオノーラ様は神に使い捨てにされたいのですか?」
「聞き捨てならぬ! 貴様の発言は神への冒涜――!」
「よしなさい!」
憤怒をまき散らす神官を制した聖女は私をただ見据えた。その瞳には怒りも嘲りも無く、ただ私を覗いているかのようでした。やがて飽きたのか満足したのか、視線を外した彼女は私へと背を向けました。
「それでも私は神の御心のままに動くだけです」
そしてそのように言い残すと真夜中の向こうへと姿を消していきました。
玄関に塩を撒きたいのですが絶対通用しませんよね。扉を閉めた私は施錠した後に居間へと引き返します。そして付き従えていたメイドへ座るよう促します。私達二人は深く息を吐きながら力を落として腰を落ち着けました。
「エレオノーラ達、最後まで気づきませんでしたね」
「本当だよ。どうして気付かなかったのかな?」
「アリーチェはトビアとして男装していた、との認識に支配されていたからでしょう」
今度はどんな手口で聖女を騙したか、ですが、何のことはありません。トビアにうちのメイドに変装してもらっただけです。トリルビィに手早く化粧してもらってメイド服に早着替え、その後はずっと私の隣にいたわけです。
どうせエレオノーラのことですから私がどこかに妹を匿っているとでも思い込んでいたのでしょう。使用人一人一人へ事情聴取していましたが皆私の指示通り知らず存ぜずの一点張り。メイドに扮したトビアも例外ではありませんでした。
「笑い話ですよね。トビアを探しに来たのにそのトビアを見分けられないなんて」
「折角神様から天啓を貰ってたのに……」
本当、その通りですよ。
私は神託に振り回されるだけの哀れな聖女のことなんてさっさと忘れてトビアの今後を考えるようにしましょう。
何、聖女は退散させたから時間は沢山ありますもの。何故こうなったのか、から今後どうするべきかまで丁寧に、ね。




