私は実は妹だった弟を受け入れました
「話は戻りますが聖女から逃げてきたと言うぐらいですから、私やセラフィナの時のように聖女自らがやって来たのですか?」
「……うん。父さんはびっくりしてた。けれど母さんは顔を青くしてた」
その反応は当然でしょうね。事情を何も知らされていないお父様にとっては娘二人が巣立った家に今更何の用だと疑問に思っていたらもう一人の娘に用があると告げられたんでしょうから。そして全て秘密にしているお母様にとっては絶望ものだったのでしょう。
「それでトビアはこちらに逃げてきたと? まさかお父様方が聖女に対応している隙に抜け出してきたとでも言うつもりですか?」
「まさか! 母さんがしばらく身を隠せって言ってくれたんだ。偶然外出しているってことにしようって」
だから侍女を連れて来れたんですか。普通だったら仕える嫡男ではなく雇い主たるお父様方の命に従うのが役目ですからね。おそらくここまでの路銀の出所はお母様の個人的なお財布からなのでしょう。
「でも、何で聖女が直々にうちに来るんだよ……。運が無かったのかな?」
「聖女に限って運などといった確率論は成り立ちません。その行動一つ一つ全てが神の思し召しのままなのですから」
「……じゃあ僕が聖女になりたくないって男っぽくしてるから?」
「人の目は欺けても神の目はごまかせません。神の声を聞く聖女からも、ね」
本来奇蹟を授かった少女を見つけ出すのは各地に派遣される宣教師や赴任している神父の役目なのですが、時として救済の旅に出ている聖女に神託が降って赴く場合があるのは私とセラフィナの件で明らかです。新たなる聖女となる少女を確実に迎え入れるために。
そんな用心深いと言うべきか余計な真似をと罵るべきか。とにかく特定の人物を名指しする程に細かく神の声を聞ける者は複数人いる聖女でも一人しか考えられません。即ち、神託の聖女と呼ばれる神の代弁者――。
「うちに訪ねてきたのはエレオノーラ様ですか?」
「……!? どうして分かったの?」
「やはりそうでしたか……」
どうせそんなことだろうと思いましたよ。自分の使命に燃えるのは一向に構いませんがこちらに迷惑が掛からない程度に留めてもらいたいものですよ。無論、そんなの私の我儘でしかないとは自覚していますがね。
軽い頭痛を覚えた私は手で押さえました。正直弟……ではありませんでしたね。妹から頼られて嬉しくはあるのですが、聖女がらみとなれば話は別です。厄介事に巻き込まれたと悩むしかありません。
「大体の事情は分かりました。教会の者に追いかけられてはいませんよね?」
「平民の格好をしてたし乗合馬車を使ってこっちに来たから大丈夫だと思う」
ああ、だから貴族の子息とは思えない質素な格好をしているんですね。侍女の入れ知恵なのか分かりませんがきちんと髪をぼさぼさにして顔と手が少し汚れていますし。それでも靴があまり汚れていませんしくたびれていないので詰めは甘いですが。
「お母様はトビアが私の所にいるとは知っているのですか?」
「ううん。行き先は言ってない。とにかく早く屋敷から出るようにって急かされたから」
賢明な判断です。教国連合においては聖女の言葉は領主はおろか一国の王を凌ぐ権威があります。一貴族に過ぎないお父様方が逆らえる筈もなく、トビアの部屋にすぐにでも通すしかありませんから。
問題なのはどうして私を頼ったのか、ですか。今の私はお父様の庇護を離れた力なき一介の娘に過ぎません。お母様はあくまで聖女の目をかいくぐるようにと促しただけでしたから、遠い聖都まで来る理由が分かりません。
それを問い質すと、トビアは背中を縮めて俯きました。
「……理由を言っても怒らない?」
「怒りません。何となくでも侍女の助言に従ったでも今という結果は変わりませんから」
「神様が、そう言っていたから……」
「……っ!」
危ない。もう少しで感情を爆発させるところでした。しかし我慢は少し手遅れだったらしく顔には出てしまったようです。トビアが軽く悲鳴を上げたうえで恐怖で顔を引きつらせていましたから。
神が言っていた? 私に救いを求めろと?
神よ、一体どれほど私に試練を与えるのですか?
「……神より奇蹟を授かったなら人々の救済に身を捧げるのは義務でしょう。聖女になってはいけないとの声が聞こえようが逃げてはいけませんよ」
「そう言う姉さんはどうなんだよ? 聖女が欺かれたって悔しがってたじゃないか」
「アレはあくまで聖女の勘違い……いえ、私の話はよしましょう。水掛け論になります。トビアは神から授かった使命より得体のしれない忠告の方に耳を傾けると?」
「だってただ囁くんじゃないんだよ! 必死になって絶対に聖女になっちゃ駄目って泣き叫んでるんだ!」
トビアは思わず立ち上がって声を張り上げました。私が声が大きいと唇に人差し指に手を当てながら座るよう促すと妹は我に返って椅子に腰を下ろします。興奮は冷めやらないようですが冷静に努めているのは感じました。
トビアに懇願するもう一人のトビアの正体については色々と推察出来ますが、当の本人が分かっていない以上は確定出来やしませんか。少なくともトビアにとっては神にも勝る信頼がおける存在なのでしょうね。
「では姉として忠告します。大人しくセラフィナと一緒に聖女になるための修業を積んだ方がいいのでは? いくらトビアがなりたくなくたって教会は逃がしてくれませんよ」
「でも、聖都にはこんなに人がいるじゃないか。隠れるぐらいは……」
「無理です。断言しても構いませんよ。トビアもそれが分かっているからこそ教会のお膝元にいる私をわざわざ頼ってきたのではないのですか?」
きっと神託の聖女エレオノーラが聞ける神の声は具体的な助言なのでしょうね。トビアの現在位置を教えてもらっても不思議ではありません。それに私の想像も及ばぬ未知の、例えば千里眼のような奇蹟を持っていないとも限りませんし。
現実を突きつけるとトビアは身を震わせた後、まるでこちらに縋るような……いえ、救いを求めるような眼差しを送ってきました。うっすらと涙が浮かんで揺れる様子は私の保護欲を掻き立てます。
「僕は……神様の言葉を信じます」
「聖女にはなりたくないくせに神の声には従うのですね」
「神様を貶めないでっ!」
トビアは何故か激昂して立ち上がりました。あまりに突然だったものですからその迫力に驚き、そしてほんの僅かな間恐怖を覚えました。それだけ私にとってトビアの豹変は衝撃的だったのです。
何が気に障った? と浮かんだ疑問の回答はすぐに思い当たりました。そしてそれは私を失望へと誘いました。どうやらそれが態度に表れていたらしく、トビアは今にも私の首を絞めてきそうなぐらい怒りに満ちた表情をさせています。
「教会とは関わりたくないのに神はまだ信じる? それは傑作ですよ」
「姉さんは神様を信じないの?」
「妄信して馬鹿を見るのはもう沢山だ、とだけ言っておきます」
「……」
これ以上議論する気は全く無い、と暗に含ませたからか、トビアは納得してない様子でしたが引き下がってくれました。
聖女になりたくないと思わせる何かがあったにも拘らず神の愛をなおも信じているなんて! 私は哀れとしか感じません妹を否定する気にもなれません。その結果が降りかかるのはトビアであって私ではありませんもの。
「私が保身のあまりに教会に差し出すとは思わなかったのですか? 私が貴女を匿えば私まで教会に逆らってしまうのですが」
「それ、は……大丈夫、だと思った」
「ほう、その根拠は?」
「姉さんが困った僕……ううん、困った人を助けないわけ無いから」
今度は別の意味で驚かされましたね。一瞬新手の冗談かと思いましたがトビアが真剣にこちらを見つめてくるので考えを改めます。ここまで私を信じていてはきっと私がいくら否定したって認識は書き換わらないでしょうね。
私は深くため息を漏らして、覚悟を決めました。
「分かりました。しばらくの間ここにいて構いません」
「本当!?」
「ただし……」
「お嬢様! 失礼致します……!」
トビアが喜びを露わにさせて笑顔を浮かべたのとトリルビィが慌てた様子で戸を叩かずに入室したのはほぼ同時でした。もう追いついたのか、早い! と私は内心で毒づきつつ重い腰を上げました。
「まずは聖女を追い払わなければいけませんがね」




