私は思わぬ来訪者を迎えました
「トビア様がいらっしゃいました」
「はい?」
「ですから、トビア様がいらっしゃいました。お一人でこちらにいらっしゃったそうです」
すっかり寒くなくなり暖かくなった頃でしょうか、それとも学院生活にも慣れて二度目の定期試験を迎えようとしている頃と言い表しましょうか。とにかく初めての長期休暇も遠くない時期、突然のトリルビィの申し上げに私は驚きを隠せませんでした。
トビア、私とセラフィナの弟。即ち悪役令嬢とひろいんの弟でもあります。
しかし弟の出番は乙女げーむ本編上では無いに等しいと断じて良いでしょう。何故なら聖女候補者であるひろいんは帰省なんて出来ませんし、会いに来るにしろ幼い弟はそう何回も長旅に耐える体力はありません。極論、トビアは設定だけの存在に過ぎないのです。
なので私はてっきり乙女げーむ本編が終了する二年後までは帰郷しない限りは弟と会えないとばかり考えていました。トビアが聖都にやってくる、しかも単身でだなんて夢にも思いませんでしたよ。
「……お父様からトビアが来るって手紙は受け取っていませんよね?」
「いえ、そのような文は届いていません」
「トビア本人からは?」
「送られてはいません」
ふむ、聖女にならないとわがままを貫く私なんかと違ってトビアは家の跡継ぎとなるよう厳格な教育を受けていますから、先触れも無しに突然来訪する不躾な真似はしないものと考えてよいでしょう。
窓から外を眺めますと月と星が美しく輝いていました。下へと視線を落としますと道路は街灯が灯っており、家屋の窓からは明かりがわずかに漏れています。夕食時と申せば聞こえがいいでしょうが、普通こんな時間に到着するような旅程にはしないでしょうよ。
「とにかく用件を聞かねば始まりませんか。それで、トビアは今どちらに?」
「来客の部屋へ通しています。お嬢様は学院の課題に集中していましたので」
「分かりました。すぐに伺います」
私は一旦宿題の手を止めてから火のともった燭台を持ち、自室から客室へ移動しました。久しぶりに会った弟は少し成長していましたが、まだ格好良さや頼もしさは感じられません。可愛らしさの方が先行しているとの印象を覚えます。
トビアは私を見るなり顔を輝かせましたが、すぐに神妙な面持ちになりました。傍らに控えていた弟の侍女は恭しく首を垂れた上で謝罪の言葉を口にします。けれど彼女の口からは来訪の理由までは語られませんでした。
「それでトビア。何の連絡もなく訪ねてきた目的を教えてもらえますか?」
お屋敷での教育はどうしたのか、何故事前に言わなかったのか、そもそもお父様方に許可は貰ったのか、等言いたいことは山ほどありましたが、威圧しては委縮して何も話して貰えないでしょうからね。出来る限り優しく問いかけました。
トビアは縮こまりながら自分の侍女をわき目で見つめます。何か言おうとしているようですが、あーとかうーとか唸るばかりで言葉になりません。あいにく私は弟が勇気を振り絞るまで待てるほど暇ではありませんね。
「トリルビィ、お客様をもてなして。長旅で疲れているでしょうから」
「畏まりました」
遠回しに人払いをとの命令に従ってトリルビィはトビアの侍女を連れて退室しました。残ったのは私と弟の二人きり。私は申し訳なさそうに背中を丸くするトビアと同じ視線になるべく、脇に置かれた椅子を引っ張って彼の真正面で座りました。
「何があったのですか? 突然押し掛けたのですから急ぐ理由があるとは思いますが」
「……」
「あいにく私は聖女ではありませんからトビアが何を言いたいか察せられません。口にしてもらわないと困ります」
「その……逃げてきた」
少し間をおいて再び、今度は少し強い口調で問いますとトビアは重い口をようやく開きました。
「何から? 教育係の折檻からですか?」
「その……」
「トビアがここで何を言おうと私は誰にも言いふらしません。トリルビィはおろかセラフィナにも、お父様にもお母様にもです。ですからどうか私に教えてください」
私は内心で湧き上がるいら立ちを抑えつつ可能な限り温和に努めます。そのかいもあってトビアはようやく視線を床から私へと上げました。唇を震わせるぐらい不安な様子で思わず抱きしめたくなりましたがぐっと堪えます。
「聖女、から」
「聖女?」
どうしてトビアが聖女から逃げる必要が? 背信行為をしでかしたなら真っ先に駆け付けるのは異端審問官でしょうし、法を犯したなら役人が逮捕しに来るでしょう。聖女が自らトビアを追う意味が分かりません。
するとトビアは上着を脱ぎ、服のボタンを外していきます。やがて露わになる下着の後ろから覗かせる白い肌は成長途中独特の硬さのある色気がありましたが、私が驚いたのはそんな些事ではありませんでした。
トビアが下着をめくって私に示したのは……膨らみ始めた胸でした。
「トビ、ア?」
太った? いえ、男性でも女性ホルモンが多いと胸が膨らんでくると前世のわたしの知識が訴えてきますが、そんな特殊な事情を遠い地に留学している私に真っ先に明かすはずがありません。
つまりは、トビアが男子だとの前提が間違っていると考えるのが普通でしょう。
「姉さん。僕は……実は女なんです」
消去法でその結論に至っていてもトビアから語られた真実は衝撃でした。
「……ずっと弟とばかり思っていました」
やっとの思いで絞り出した言葉は我ながらとても気が抜けたものでした。トビアは……いえ、トビアだと思っていた新たな妹は静かに顔を横に振りました。
「知ってるのは母さんだけなんだ。父さんも知らない」
「お母様が何故トビアの性別を偽ったのですか?」
「母さんが言ってたんだけど、初めて僕を抱き上げた時に声を聞いたらしいんだ」
「声……」
誰の、とは問いませんでした。女の子を男として育てるなんてとんでもない真似をするぐらいです。
「神様は言ってたんだ。時が来るまで僕を男として育てろ、って」
神よ、一体何をお母様に吹き込んでいるんですか。お母様は別に聖女どころかその候補者ですらないのにわざわざ神託を授けるなんて如何なるご意思ですか? まさか男装の麗人が好みだなんて性癖を爆発させたわけではありませんよね?
信仰が完膚なきまでに粉砕されかけようとしたところ、トビアは続きがあるんだと慌てました。トビアにそうさせたぐらいですからよほど私は顔色を変えていたのでしょうね。良かった、あらぬ疑いを神に向けるところでした。
「僕も神様がそう言っていたならって男の子としての自分を受け入れてたんだけれど……実は違ったんだ」
「違った? ではお母様が聞いた声とやらは神託ではなかったと?」
「僕が、無意識のうちに母さんにそう伝えていたみたいなんだ」
「伝える? 赤子だったトビアがお母様に? どうやって……」
とまで疑問を口にしていよいよ聖女から逃げてきたとの話と繋がり始めました。
「……まさか、伝心の奇蹟を発動させたと?」
「何の奇蹟かは分からない。けれど僕が母さんにそうさせたのは間違いないんだ。それだけは確信を持って言える」
つまりトビアは奇蹟を授かっていて、かつ生まれた時から担い手になっていて、それを用いて男として育てられるようにしたわけで。
何故わざわざ性別を偽る必要が? そんなの決まっていますね。
「聖女にならない為、ですか?」
トビアは私の推測に対して静かに頷きました。
教国連合所属国の女の子は例外なく聖女の適性検査を受ける決まりです。私は奇蹟でイカサマして乗り切りましたが、普通は神官の目や聖女の奇蹟を欺けるものではありません。ましてや早くも奇蹟を発現させた程なら簡易検査でも確実に発覚するでしょう。
「聖女は人々を救済するために神より奇蹟の一端を授かった者達。なりたくないと思った理由を聞いても構いませんか?」
「僕にも分からないよ。けれど僕は聖女になっちゃいけないって声が聞こえるんだ」
「声? 神からの?」
私が自分のことを完全に棚上げした質問をすると、トビアは混乱した様子で声を張り上げました。
「……僕じゃない僕の声が」
……全てを理解しようとするとドツボにはまりそうですね。ここは素直にもう一人のトビアがトビアに聖女になるな、回避するために男になれ、と語りかけているんだと解釈しましょう。
トビアの衝撃の真実が判明したところで本題に戻ります。何故トビアはお母様方にも言わずに私のもとへやって来たのか、ですが、正確には聖女から逃げてきたんでしたね。どうして聖女から姿を隠す必要が、との疑問はトビアの事情が答えてくれました。
「そうですか。トビアはもう女の子だったら聖女適性検査を受けるぐらいの年になったんですね」
「……っ」
男として育てられたトビアが聖女適性検査を受ける破目になった理由なんて一つしか考えられません。また神が余計な真似をしてトビアに課した使命を果たすように画策したのでしょう。
すなわち、聖女への神託によって。




