私は舟から自然を満喫しました
昼食を食べ終えた後は辺りを散策しました。大自然の中で静かに散歩するのも趣があるのですが、折角チェーザレと二人だったのでちょっとでも気になることがあったら話題にしました。鳥の鳴き声や珍しい形をした葉っぱ等をあれこれと。
「そう言えば馬車を護衛していた方々は今どちらに?」
「俺達の邪魔にならないように周囲の警戒にあったってる。山賊もそうなんだけど一番危険なのは野生動物だからな」
「確かに……。人の生活圏から外れていますし、少しでも森の奥深くに入ってしまったら肉食獣の縄張りを侵してしまうかもしれませんね」
「鬱陶しくならないぐらいに、って俺が注文つけちまったから撃退は難しいな。いざとなったら逃げるしかないかな」
でしょうね。さすがに冒険譚に登場する一騎当千の強者が都合よくチェーザレの護衛を任されているだなんて都合が良すぎますし。過信は禁物ですが、いざとなればコンチェッタ救出時のようにチェーザレに活性の奇蹟を施して対処しますか。
アポリナーレが知っていたようにこの辺りは聖都からそんなに離れていないものの自然を満喫出来るため密かに知れ渡っているらしく、いま私達が散歩をしている野道も邪魔するような倒木や雑草は排除されていました。
ある程度進んででしょうか、木々がなくなり視界が開けました。葉の隙間から淡く降り注いでいた日光が私の体を温かくします。眩しかったので手で覆いながら見渡すと、一面には湖が広がっていました。
「綺麗、ですね」
「ああ。想像以上だな」
太陽の光が反射して水面は美しく輝き、遠くの方では鏡のように空や向こう岸の山、森を映していました。さすがに水は透き通るほど澄んではいませんでしたが、それでも口に入れても問題なさそうな気がいたします。
ここで泳いだらさぞ気持ちがいいでしょうね。着替えは持ってきていませんし今の季節はまだ肌寒いですからさすがに自重しますが。キアラに生まれ変わってから泳いだ経験はありませんから練習も必要でしょうし。
「どうしますか? 湖の周りを歩きますか?」
「いや、確か聞いた話だと……あった」
辺りを見渡したチェーザレは目的のものを見つけ出し、林から引っ張り出しました。そしてそれ、ボートを湖に浮かべます。穴が開いていないか、壊れていないかを確認した後でこちらに手を差し伸べてきました。
「チェーザレは小舟を漕げるのですか?」
「まあ何とかなるさ。やり方は聞いてきたから」
チェーザレは私の足が濡れないよう私を抱えて船に乗せました。別に裸足になれば濡れても問題ないのでは、なんて台無しな意見は後で思い浮かびました。この時は彼の手を取った次の瞬間には宙を浮いていたので驚きと戸惑いでいっぱいでした。
チェーザレが大地を蹴りつつ軽やかに小舟に乗り込んで、左右のオールを漕ぎ始めました。結構力強く腕を動かしていますがそれが舟の速度には反映されません。四苦八苦するチェーザレをこのまま眺めているのもいいかもしれませんね。
「違いますよチェーザレ。こう手前に引く時は水をかくような角度にするんです」
「ん、く、こうか?」
「そして水面から出し入れする際は水の抵抗を受けないよう立てて……そうそう、上手ですよ」
「なんでキアラは舟の漕ぎ方を知ってるんだ?」
「雑学として知っていただけでやったことはありませんよ」
半分嘘です。今の私やかつての私は無縁でしたけど昔のわたしは何度か公園に遊びにいってボートを漕いでいましたから。父親が娘の私に格好つけようと一生懸命になる姿は今も覚えています。
次第にチェーザレもコツを掴んだようで舟の進みも早くなってきました。ただ調子に乗りすぎて速度を上げようとしていたので少し注意しました。こういうのはのんびりとしなければ風情もへったくれもありませんからね。
「もうちょっと下調べしておけば良かったかな」
「いいではありませんか。段取り良くして時間を効率よく使おうがあまり関係ありませんよ」
「そうなのか? けれどもたもたしてたら退屈させないか?」
「煩わしい世俗とは切り離された世界で二人きりの時間を過ごすのが大事なんです」
確かに行き当たりばったりでもうんざりしないとは言いません。どこぞの夢の国に行っても入場料分は遊びたいので忙しく園内を回りたいですし。しかしデートは遊びが主目的ではありません。相手が自分だけを考えてくれていると感じられれば十分かと。
「それに、下調べなんてもっての他ですって」
「どうしてだ?」
「だってチェーザレと私で初めてこの景色を目の当たりにした感動を共有出来ないじゃないですか」
「……!」
どうやら私は自然と笑みを浮かべていたらしく、チェーザレは軽く驚くどころかしばらく舟を漕ぐ手を止めて私を呆然と見つめていました。私が怪訝にどうかしたかと尋ねると慌てた様子で舟を進めます。ちょっと、急加速は止めてくださいって。
「チェーザレは釣りをしたいとは思わないのですか?」
「釣り? あー……いや、その発想すら無かった」
「私もです。舟を湖の上に浮かべて釣り糸を垂れ下げるのも趣があるとは思うのですが」
「ちょっと俺の好みじゃないな」
湖を眺めますと小魚が元気よく泳いでいる姿が見えます。少し身を乗り出したらチェーザレに落ちる危ないと注意されました。大人しく彼に従って視線を持ち上げると向こう側の岸では動物が水を舐めていたり水浴びをしていました。
段々と話題がなくなってきました。すると私もチェーザレもお互いを見つめ合う時間が増えてきます。最初は正面から見つめられて恥ずかしいと思いましたが、次第に相手の瞳が自分だけを映すのが嬉しくなってくるのです。不思議なものですね。
湖を軽く一周してちょっとした船旅は終了となりました。まずチェーザレが舟から降りて私を乗せたまま岸まで引き上げ、その後彼は私に手を差し伸べます。私が体重をかけても彼はびくともしませんでした。
「そろそろ帰ろうか。今からなら日が暮れる前に聖都に着くから」
「名残惜しいですが仕方がありませんね」
舟を同じ場所に戻したチェーザレは再び私と肩を並べて来た道を戻りました。途中の木陰に目立たないようチェーザレの護衛が待機しており、こちらが気付いたと気付くと軽く会釈しました。お勤めご苦労様です。
馬車まで戻りますと御者は魂が口から抜け出るのではと思うほどに脱力しながら空を眺めていました。しかし私達の接近に気付くとすぐさま起立して扉を開きました。私はまたしてもチェーザレの手を借りながら馬車に乗り込みます。
「大丈夫? 疲れていないか?」
「問題ありません。今の倍以上は動いていたって平気です」
普段から徒歩通学していましたから歩くのには慣れていますから。
やがてお供が周囲の警戒から戻りますと馬車が音を立てて動き始めました。行きはこれからどんな体験が出来るのかと心がはしゃいでいましたが、帰りはあっという間に終わりを迎えた楽しい時間に寂しさを感じてしまいます。
「チェーザレ。今日は私を誘ってくださってありがとうございました」
「そうか。そう言ってもらえると俺も嬉しい」
「また誘ってください。今度もここでいいですし、別の場所もきっと素敵でしょうね」
「……分かった。また色々と考えてみるよ」
私ったら悪い女ですね。自分から何時何処に行きましょうと意見は提示しないのですから。チェーザレが私をどこに連れて行ったら喜んでくれるかと考えてくれることが私には嬉しくてたまらないのです。
きっとチェーザレだったらまた感動を覚える経験をさせてくれるでしょう。そんな期待に胸を膨らませているのを自覚します。今の私はそれほどまでにチェーザレを信頼していましたし、ずっとこうした心地いい関係が続けばと願ってしまいます。
きっと、この想いを人は恋と呼ぶのでしょうね。




