私達は馬車で語り合いました
両側に畑や牧場も見えなくなり草原と林が景色を占めるようになった頃に馬車は街道から小道へと曲がり、緩やかな坂道を登ります。舗装されていないので馬車だと結構揺れが激しくなってきました。お尻は座席が柔らかいので痛くないのですが……。
「きゃっ……!?」
「危ない、揺れるからしっかり掴まって」
左右に揺れる身体を支えようと壁に手を伸ばそうとした瞬間、車輪が石を踏み越えたらしく大きく揺れました。跳ね上がる私はチェーザレへともたれかかってしまいました。慌てて離れようとしましたが彼は逆に私の肩に手を回して自分の方へと抱き寄せました。
……いつの間にかまた一回り逞しくなったようですね。私を受け止めてもチェーザレはびくともしませんでした。顔立ちも幼さが薄れて凛々しくなりましたし。大人の男性へと着実に近づいているのでしょう。
「あの、今日のチェーザレは少し大胆ではありませんか?」
「ジョアッキーノの奴に毒されたのかもしれないな。アイツ、口を開けばコンチェッタとの惚気話ばっかだからな」
「まあ、それはさぞかし甘い私生活模様を拝聴なさったのですね」
「勘弁してくれ……。元はと言えばキアラがコンチェッタを誑かしたのがいけないんだぞ」
「ほう、ではチェーザレは私にどう責任を取れと仰るのですか?」
私はついからかいたくなって微笑を浮かべて彼の顔を見上げます。それから彼の胸の上あたりに指を押し当てます。これでは殿方を誑かす魔性の女に見られるかもしれませんが、この空間にいるのは私達二人だけ。多少は構わないでしょう。
「私もコンチェッタと同じように貴方様を愛して差し上げましょうか?」
「い、いや、別に俺はキアラにそんな事をしてほしいわけじゃあ……」
「ではこのまま清く正しい健全なお付き合いを続けていけばチェーザレは満足なんですね」
「そうじゃなくて、俺は……」
「分かっていますよ。段階を踏みたいのでしょう? いきなり飛び越えるなんて情緒がありませんものね」
私はチェーザレから自分の手を離そうとしましたが、逆に彼にその手を取られてしまいました。妙に力強かったもので私は驚きながらも彼の視線から目が離せませんでした。私を見つめる彼の瞳には戸惑いを隠しきれない自分が映ります。
「俺は、キアラの嫌がる事はしたくない」
「チェーザレ……」
「俺はキアラには幸せになってもらいたい。けれどキアラを無理矢理自分のものにするつもりはない。だから自分の気持ちを伝え続けるし何があっても守ってみせる」
彼は掴んだ私の手を握りました。その手の温かさと力強さが彼の熱意、決意は十分に伝わってきます。一体何度目になる表明かはもう数えていませんが、その度に私は彼のひた向きな想いに心揺れ動くのです。
そうですね、認めましょう。私はいつの間にか彼の仕草一つ一つが気になるようになっていました。私に何を語ってくれるのか、どんな風に気遣ってくれるのか。果てには彼が何もせずにどこか遠くを見ていたってその息遣いや瞬きを眺めてしまいます。
好意……私はチェーザレに好意を抱いているのでしょう。
愛情……この感情が恋や愛と呼べるか私にはまだ自信がありません。
少なくとも彼と一緒にいる間は楽しいですし嬉しいです。きっと他の皆さまなら幸せと定義するのでしょう。
きっと私が神託に抗っていようと教会に背いていようと彼は私の傍にいてくれるに違いありません。彼は聖女でも貴族令嬢でもない私だけを見てくれるから。
しかし、だからこそ一つ懸念があります。
私は果たしてチェーザレに相応しいのだろうか、と。
勿論チェーザレの気持ちは嬉しいですし愛を受け止めたいと思ったからこそ婚約者になったのです。この想いに嘘偽りはありません。それこそ神に誓ったって構いません。
「チェーザレ」
「ん? どうした?」
ですが、チェーザレほど素敵で立派な人なら引く手数多だとも思うのです。きっと王子であろうとなかろうと彼に惹かれる方は大勢いらっしゃるでしょう。あいにく私は欲張りですから側室だの妾だのになる気は毛頭ございません。
好きな女性が出来た時は言ってください。婚約を解消しましょう。
貴方は愛する方を幸せにしてあげてください。私は身を退きますから。
「もし、ですけれど――」
「俺はキアラ以外を好きになるつもりはないぞ」
「……は?」
私は思わずチェーザレの顔へと振り向きました。いつの間にか彼は顔をこちらに向けてじっと見つめてきていました。まるで私を見失わない、離さないとばかりに。あまりの迫力に思わずたじろぎたくなるぐらいでした。
「まだ何も言っていないのですが……」
「顔に書いてある。それぐらい奇蹟なんか無くたって分かるさ。どうせ俺が他の人を好きになったら、なんて在り得ない可能性を心配してるんだろ?」
まさかの鋭さに何も言い返せませんでした。いえ、それだけ彼が私を見ているんだとの裏返しでもあるのですが。
「何だかんだ言ってたってキアラは優しいと俺は思うぞ」
「優しいだなんて、私は自分の事ばかり優先させて……」
「じゃあなかったら今頃母さんは生きてないし、フィリッポは自殺してて、コンチェッタは救われないままだった。俺はそんな迷える人達に救いの手を差し伸べるキアラが好きなんだ」
「それは……自己満足に過ぎません。私はチェーザレが思っているほど高潔では……」
私が間違っていると感じたから正しく在りたかった。私がやり遂げたいと思ったから実行に移した。私が助けたいと願ったから引っ張り上げた。相手や周りの他人がどう言おうがどう思おうが関係無い自分の押し付け。そんなの奉仕とはとても言えません。
「善意がなくたって人助けは優しさじゃないか。これからも自分を貫くんだろ?」
「……そうですね。この性分はきっと治らないでしょう」
「俺はそんな人の為に頑張れるキアラが好きだから」
チェーザレ、そんな真顔で恥ずかしい言葉を送らないでください。
私は単純ですから本当にその気になってしまいます。
「その、チェーザレ。好き好き連呼しないでもらえませんか?」
「どうして? 俺は何度だって言いたいんだけど」
「は……恥ずかしくて……」
今自分がどんな顔をしているのか、想像に難くありません。もうふにゃふにゃに蕩けているでしょう。顔も耳も熱くてたまりません。これ以上チェーザレの顔も見ていられなかったので視線を強引に外して窓の外を眺めます。おー、山が見える所まで来ましたか。
「……私は、チェーザレと一緒にいて退屈しません」
「そうか」
「きっと好きなんだと思います。けれどそれが敬愛なのか恋なのかは自分でも良く分かりません」
「いいんじゃないか? まだ学院を卒業して帰国するまで時間があるし。それまでに気持ちを整理すれば」
「いえ、一生添い遂げると神の前で誓うことに躊躇いは無いんでしょうね。ですが……貴方様と愛を貪り合う自分が想像出来ません」
想像力は人並みですから自分がチェーザレと褥を共にする行為は思い描けますが、それは妄想に過ぎません。彼に抱かれたいとの願望とは違います。実際にそうなったら話は違うのでしょうが……男女の関係まで踏み込む勇気がまだありません。
本当、私ったら話になりませんよね。
本来キアラは恋愛に興じる乙女げーむの悪役令嬢の筈なのに。
こんな恋愛面で雑魚では今後翻弄されてしまいそうです。
「がっかりさせましたか? 私はこんなにも意気地がありません」
「考えすぎだ。大人の階段なんか一段飛ばししなくたっていいだろ」
「私から言わせてもらいますとチェーザレの方が優しいですよ」
「そんなことはないぞ。キアラは……」
その後を客観的に語るなら、私とチェーザレの褒めちぎり合いになりました。乗馬して警戒にあたっていた護衛の方には仲睦まじく見えたそうで。後で冷静になった私も恥ずかしさのあまりに身悶えつつ穴を掘って埋まりたくなったのでした。




