私達はデートに出発しました
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
「――……」
「チェーザレ? どうかしましたか?」
次の日の朝、チェーザレは丁度私が身支度を終える頃に迎えに来ました。昨日入念な試着を経て選び抜かれた服装と髪型で出迎えますと、彼は私を凝視したままその場で固まりました。私が声をかけても、目の前で手を振っても何の反応も示しません。
「チェーザレ。立ち尽くされても困ります」
「おふっ」
私が頬を指で突くと奇妙な声を上げて我に返ります。それでも彼は私に目が釘付けのままでした。私が少し左に身体を傾けると瞳だけが器用に追従します。今度は額を指で弾こうかと手を持って行ったところでようやく彼も慌てて制しました。
「ご、ごめん! その、何て言うか……」
「何て言うか?」
「見惚れた……そんな陳腐な言葉じゃあ駄目だな。目を奪われた……これも何か違う」
「詩的な表現は必要ありませんよ。率直に感想を述べていただければ」
唸りながら深く考え込んでしまったチェーザレに半ば呆れてしまいます。彼が私に相応しい言い回しを考えてくれるのは嬉しいのですが、彼が満足いく台詞に至れるとはとても思えません。妙に取り繕うなど彼らしくありませんから。
チェーザレは私の言葉を受けてようやく自分を取り戻したようでして、両手で自分の頬を軽く叩いて気合を入れ直します。それから軽く意気込みながら私へと向き直り、満面な笑顔を私に振り撒いてきました。
「綺麗だ、キアラ」
それは取り繕わずに今の気持ちを率直に表した言葉でした。恥ずかしいやら照れるやらで戸惑いを隠しきれませんでしたが、それを悟られるのは癪だったのでごまかすように深く優雅にお辞儀をします。
「お褒めいただき恐縮です」
ちなみに私の格好はワンピースとでも言いましょうか。トリルビィの進言で少し襟口が広い服を選んだので少し背中と胸元が見えています。上半身を傾けている今の体勢なら相手からは胸の谷間が丸見えですね。
気になって上目使いで彼を見つめると、彼は口元を手で覆い隠しつつ慌てて目を逸らしました。嗚呼、残念ながら男は胸しか見ないとのトリルビィの豪語は本当だったようですね。助平だと失望するべきか彼の目を釘付けに出来て喜ぶべきか迷います。
「目の毒なら覆い隠しますが?」
「い、いやっ、そんな事は無いぞ」
「では鼻の下が伸びていないか手を外してもらえませんか?」
「口元が緩んでるのは認めるけれど断じて鼻の下は伸びてないから!」
どうだか。信用出来ませんね。
さて、チェーザレをからかうのはこの辺りに致しますか。折角の安息日なんですから時間は有意義に使いませんと。彼との会話は楽しいのでつい弾んでしまいます。このまま家に招き入れて日が沈むまで談笑してもいいかもとの考えは振り払いました。
改めて私はチェーザレの身なりを確認します。案の定到底一国の王子が着るような豪奢なものではなありませんでした。以前コンチェッタ救出の際の動きやすい姿と申しますか。容姿が整っているので目立つでしょうが街にはとけ込める筈です。
「それでチェーザレ、今日は私をどこに連れて行ってくれるのですか?」
「あー、このまま街に出かけるとこの前と一緒なんだろ? だから今日は馬車を用意させたから少し遠くに出かけようと思ってる」
「確かにあまり街の外を出歩いたりしませんので素敵だと思いますが危なくはありませんか? 野盗が出没してはさすがにチェーザレ一人でも対処は難しいのではないかと」
「そこは大丈夫。護衛を何人か連れて行くから。勿論俺達の邪魔はしないように言ってるから」
なんと。まさかチェーザレが王子様としての権力を行使してまで私とのデートを準備するなんて。これまで彼は母のコルネリアを守る以外はあまり己の身分を振りかざさなかったのに。それほど私とのデートに積極的だったのでしょうか?
どう言いましょう? 何だか嬉しい反面むず痒いですね。
「それではチェーザレ、本日一日はよろしくお願いいたします」
「ああ、任せてくれ。一生忘れられない日にするから」
「そんな豪語してしまってよろしいのですか? 後悔しませんよね?」
「当たり前だろ」
チェーザレは断言しながら私を外へと誘います。
家の前では彼が乗って来ただろう馬車が待機していました。南方王国で目にした王室所有のものではありませんね。質素ながらも機能性は確保されている感じに見受けられます。後方では馬に乗った護衛らしき者が三人ほど待機していました。安全が確保できる必要最低限ですか。
私達が姿を現すと御者が恭しく一礼して馬車の扉を開きます。彼もまた正装に身を包んではおらず、街にどこにでもいる御者のような服装でした。とは言ったものの洗練された礼儀が彼が只者ではない主張しているようなものでしたが。
私が先に、チェーザレが後から入って腰を落ち着けます。共に進行方向に向く形の上座に座ったので肩が僅かに触れ合いますね。……チェーザレがもう少し端に寄ればもっと広々として快適な筈なのですが、そこまで私に近寄りたいんでしょうか?
「少し山側に向かうと静かで景色が綺麗な場所があるらしいんだ。辺りを少し散策しても十分日帰り出来る距離だから」
「山道でしたら馬車での走行は厳しいのではありませんか?」
「大丈夫って聞いてる。逆を言うとそれなりに知られた場所だから先客がいるかもしれない」
「……今日は誰もいない事を祈るばかりですね」
と口走ってから気づきました。祈るって誰に? まさか神に? 私に再び聖女であれと奇蹟を授けてきたのに? ちょっとした表現も汚染されていると考えますと、これからは喋るにも注意を払わなければなりませんか。
私を見送りに来たトリルビィは他の使用人と整列して此方に深々と頭を垂れました。
「行ってらっしゃいませ、お嬢様」
「ええ、行ってきます。留守はよろしく頼みますね」
「畏まりました。お任せください。チェーザレ様、くれぐれもお嬢様をよろしくお頼みいたします」
「任せてくれ。何かがあっても絶対にキアラは守るから」
チェーザレが御者に命じると馬車は軽快に動き出しました。がらがらと車輪が音を鳴らし、ごとごとと席が揺れます。庶民が用いる馬車は振動がそのまま乗員に伝わりますが、この馬車は揺れを軽減するばねが車体下部に設けられているので快適ですね。
まだ朝早いからか大通りの交通量はそれほど多くなく、ようやく皆さん動き出したと言ったところでしょうか。開店準備をする店主、水汲みに桶を持った女性、これから出発するべく荷物を背負った旅人など、賑やかな街並みは人の営みを感じさせて楽しいものです。
「キアラはこうして郊外に出たりするのか?」
「いえ。蝶よ花よと育てられたので大自然と触れ合う機会はあまりありませんでした」
「俺も実は初めてだ。昔は生きるのに必死でそんな余裕無かったからな。海だって大きな水たまり程度にしか思えなかったし」
「では何がきっかけで私を聖都の外へと連れ出そうと思ったのですか?」
聖都を囲む城壁の門をくぐっていよいよ私達の小旅行の始まりです。ただ城壁が人と自然を分け隔てているわけではなく、左右一面には人の手で耕された畑が広がっていました。しばらくはこうして田園景色を堪能するとしましょう。
「アポリナーレが勧めてきたんだ。教える代わりに感想を聞かせてくれってさ」
「へえ、弟君がですか」
……いえ、お待ちを。
アポリナーレ、チェーザレの異母兄弟、南方王国の王太子。
つまり、攻略対象者が?
それを聞いてようやく思い出しました。
乙女げーむでひろいんは聖女候補者として外から隔絶されて厳格な教育を受けていました。彼女にとっては教会の敷地と学院が世界の全て。そんな寂しい日常を彩ろうと好感度が高くなった攻略対象者が外界へと連れ出すのです。
確か、アポリナーレの場合は小川がせせらぐ林と山が見える自然に囲まれた中で景色の素晴らしさに感動するんでしたっけ。それと同時に聖女として人々を救う以外の道があるんだと気付くのです。それが恋愛の始まりとなり――。
「キアラ、どうかしたのか?」
「いえ、何でもありません……」
まるでひろいんをなぞっているようで言いようもない気持ち悪さを感じてしまいます。けれどそんな事情をチェーザレに説明出来る筈も無く、複雑な思いを胸の中で渦巻かせたままで笑顔を見せる他ありませんでした。




