私は思わぬ再会を果たしました
脱出の聖女ベネデッタ。
逃亡の魔女と貶められた三人の聖女の一人になります。
その奇蹟である脱出は個人では抗いようのない権力や社会から虐げられし者達を逃がすもの。信じて祈るばかりでなく行動により状況の改善を促す、とも言い換えられますか。かつて救世者とまで呼ばれた聖者はその奇蹟を用いて一族全てを大国から逃がしたとまで語られています。
しかし教会が国家を超える権力を持っていたご時世、圧政に苦しんでいた民が離れると君主が縋りつく先は最終的に教会になります。寄付金と言う名目の賄賂を送りつつ人々が市民としての義務を果たしていないと報告すればそれが正しい解釈とされてしまうのです。
そうして脱出の聖女は人々を堕落させる逃亡の魔女とされたのです。
私の知る限りベネデッタは謂れの無い罪で異端審問を受けていた最中に忽然と姿をくらましたきり消息を絶ったっきりでしたか。彼女の弁を信じるならその後も教会からの追跡から逃げ続けたようですね。
ですが……良かった。貴女は竜退の聖女やかつての私のように処刑されずに済んだのですね。きっと教会から離れた後は辛い日々を送ったのでしょう。それでも私はベネデッタが天より授かった生を全う出来て非常に嬉しいのです。
「まさかお姉様がマルタ様の生まれ変わりだったなんて」
「それはこちらの台詞です。セラフィナがベネデッタ様だったとは想像もしていませんでしたよ」
暁で茜色に染まる街並みを私達は歩みます。安息日での仕事を終えて帰宅する大人達の往来で道は賑やかになっています。行き交う馬車も心なしか多いですね。目に映る光景だけを切り取ると世界は豊かになったと感じてしまいそうです。
「んー、残念ですがそこは語弊がありますね」
感じ入っていますとセラフィナは僅かに表情を曇らせました。申し訳なさとでも言い表しましょうか。
「奇蹟を授かった少女なら誰だって持っている神託と治癒の奇蹟にも程度がありますよね。エレオノーラ様は聖女の基本となる神託を極めた、って言えばいいんでしょうか?」
「ええ。確かに個人差はありますが……」
「多分ですけど、わたしの転生の奇蹟はお姉様のよりはずっと低い効果しかありません」
「どういう意味ですか?」
セラフィナは微笑を浮かべましたが、物悲しそうに見えました。
「わたしには、ベネデッタだった前世が他人事のように思えてならないんです」
「……っ!」
セラフィナの説明によりますと、彼女が前世を思い出したのは聖都入りしてから大分経った頃。大体私が南方王国でチェーザレと再会した時期と前後した辺りですか。ある日朝起きたら突然前の自分の記憶が蘇ったんだそうです。
ですが、私と違ってセラフィナは混乱しました。私の場合は生まれる前から私とわたし両方の前世の記憶と経験を備えていました。なので現在のキアラは二人の延長なのです。しかし妹は違います。既にセラフィナと言う個人が確立した後で唐突に呼び起されたのですから。
セラフィナである自分、ベネデッタだった自分。勝ったのは前者でした。セラフィナはベネデッタとしての記憶を記録として獲得し、自我を保ったままとなりました。ですからセラフィナは私とは異なり自分がベネデッタであると断言しづらいんだとか。
「教会の理不尽な仕打ちで逃亡生活を送ったベネデッタは気の毒だと思いますし腹立たしいとは感じますけど……わたしはわたしです」
「……その方がいいのでしょう。私のように過去を引きずったままより幸せではないかと」
「あっ……ごめんなさいっ。わたしそんなつもりで言ったんじゃあ……!」
「えっ? あ、こちらこそ申し訳ありません。決して僻んでいたわけでは……!」
姉妹がお互いに謝る光景はさぞ奇怪に見えたでしょうね。それでも申し訳なさでいっぱいになった私はそうしたくなってしまったのです。きっとセラフィナも同じだったのでしょう。
ええ、認めましょう。既に妹への警戒心は薄くなっていました。互いに心の内や秘めた過去を曝け出したのもあったのでしょう。ですがやはり距離を置いていた私にセラフィナが歩み寄ったのが大きかったと確信を持って言えます。
私は……過去に引きずられ過ぎていましたね。
「ところでお姉様。さっきことわざをぽろっと漏らしてましたよね。教国連合に障子なんてありませんよ」
「アレは失言でしたね。トリルビィは自転車を知らなかったのでつい気が緩んでしまいましたか。しかしそれが分かると言う事はセラフィナも……」
「ええ。現代人としての前世の記憶も持ち越しています」
「そこも一緒でしたか……奇怪な」
こちらも話してくれましたが、セラフィナは前世ではOLだったんだそうです。しかもわたしより年上! マルタとベネデッタだった頃は私の方が先輩でしたが現代世界では逆転していましたか。三か国語を流暢に使いこなして海外赴任も経験したんですって。羨ましい。
ですがわたしだった頃を懐かしむ時間的余裕はありません。もうセラフィナが帰る先の教会敷地を囲む壁が見えてきていますもの。次にセラフィナと会えるのは大分先でしょうから、肝心な情報は絶対に共有しないと。
「セラフィナは自分が乙女げーむのひろいんだって自覚はありますか?」
「お姉様。いくらこの世界の言葉に乙女ゲームやヒロインに該当する単語がまだ無いからって言い方がたどたどしすぎじゃあありませんか?」
「放っておいてください」
私の場合は特別な意味を持たせるためにわたしの言葉で『乙女ゲーム』、『ヒロイン』とそのまま口にしています。セラフィナは乙女と卓上遊戯の単語を組み合わせて乙女ゲーム、主人公を強引に女性名詞に改造してヒロインと言い表しているようですが。
「とにかく、私はあろうことか悪役令嬢役のようですよ」
「……お姉様の口から悪役令嬢だなんて名詞が飛んでくるなんて夢にも思いませんでした」
「で? 返答は?」
「ああ、質問への答えでしたね。はい、嗜んでいましたよ。全キャラ攻略済みです」
「乙女げーむを嗜むおーえる……。現実世界での恋愛は?」
「その話は早くも終了ですー。お姉様だって脱線してるじゃないですかっ」
「いえ、つい会話が弾んでしまって」
とにかく、セラフィナが前世を思い出したのでひろいん役からは降板となるのでしょう。悪役令嬢が現れないとひろいんの運命がどう変わるのかは見物でしたが、セラフィナが私に害を及ぼさないと確約が取れるに越した事はありません。
「一応聞いておきますが、お姉様はどの攻略対象者とも付き合うつもりは無いんですよね?」
「無論です。触らぬ神に祟り無しでしょう。極力接点を持たないようにしています」
「一神教の教国でそのことわざはどうかと思いますけど、まあいいです。そもそもわたしは聖女にさえならなければ攻略対象者じゃなくても構いませんしー」
「女子の恋愛がそんなんでいいんですか……?」
互いの利害は一致している、とまでは言えませんが、少なくともセラフィナの選択が私の破滅に結びつく悲惨な展開は避けられそうです。二人とも聖女となる定めから逃れたいのですから、協力はし合えるでしょう。
私も奇蹟を授かっていると発覚した場合に備えて……その、恋慕する……? 誰に? ぱっと頭に思い浮かんだのは……チェーザレ? ああもう、駄目、駄目。彼を煩わせないように……違う。このまま秘密を隠し通せばいいだけの単純な話です。脳内お花畑になるのは後でよろしい。
「今日は楽しかったです。また一緒に遊びましょう」
「ええ。今度は過去や未来を抜きに今だけを謳歌しましょうか」
「それは素敵ですね! 今からもう心待ちにしちゃいます」
「ふふっ、今からでもどう一日を過ごすか計画を立ててしまってもいいですね」
とうとう楽しかった時間も終わりを迎えて別れが近づいてきました。まさかセラフィナとこんな風に親しくなるとは思ってもいませんでした。結果的にはこうなって良かったのでしょう。身構えすぎていた自分が馬鹿みたいでした。
ところが、そんな感じに警戒を解いていた私に向けて……、
「お姉様こそがみんなを救う大聖女です。だからこそ、わたしはお姉様を独り占めしたい」
セラフィナはそう言い残して壁の向こうへと消えていったのです。




