私は下校しました
「お待たせしました。申し訳ありません」
トリルビィの学年の授業が終わったのは太陽が傾き始めた頃でした。時間を見計らって図書館を後にした私達は校舎の出入口で彼女を待っていました。私の姿を視界に収めるなりトリルビィは早足でこちらへ向かってきます。
「いえ、気にしないでください。おかげで有意義な時間を過ごせました」
「ですが、やはりわたしは親に反発してでもお嬢様と学年を合わせた方が良かったのではないでしょうか?」
「そうもいきません。私はトリルビィにはずっと共に歩んで欲しいと考えていますが、個人の希望と家の都合が合致するかは別の話でしょう。もし離れ離れになってしまうことになった場合にトリルビィの立場が危うくなってしまうのは嫌です」
「しかし……いえ、そうですね」
彼女はやや感情を露わにさせて反論しようとしましたが、すんでのところで飲み込んだようです。おそらく公衆の場で主人と口論するわけにはいかないと自制したのでしょう。私もトリルビィの選択肢を狭めたくないとも思っていますし引き下がらないつもりでしたし、よかったです。
「それで、初めて学院に通った感想はいかがでしたか?」
歩み始めた私達四人の中で最初に口火を切ったのは私でした。少し緊迫した空気が流れていたのを一新したかったとの思いが働いてですね。トリルビィもそんな想いを察してか、それとも彼女もまた同じように考えていたのか、朗らかな笑みをこぼしました。
「はい。編入生のわたしにも皆さん優しく接してくれました」
「それは良かった。お友達は出来ましたか?」
「そこまでは踏み込めていません。ですが何人かの方とはお話出来ました」
「初日にそれでしたら上々でしょう」
貴族が口にする友人とは二つの意味があります。貴族社会を生きる上で付き合えば有益になるだろう打算的な存在と、損得関係無しに気さくに一緒の時間を過ごせる方と。
貴族の親からお友達を一杯作りなさいと言われた場合、大抵は家の為に交友関係を広げろと置き換えられます。何せこの学院には教国連合中から同世代の者が集まっていますから。有力な方々と交流していたら卒業した後も有利に立ち回れるでしょう。トリルビィが学院に通うことになったのは正にそのためですね。
なお、私はそんな社交界で有利な立場になろうだなんてこれっぽっちも思っていません。なのでチェーザレやジョアッキーノと親しくなったのはあくまで個人的なものでして身分は関係ありません。没落しようと絆は変わらない……と私は信じています。
「それで、お嬢様はどうでしたか?」
「それがですね、驚かないで下さいよ? なんと既に友人が出来てしまったのです」
「嗚呼、お労しや。とうとう妄言を吐くようになってしまったのですね」
「殴りますよ。平手でなく拳を握りしめて」
「勿論冗談ですよ」
主人と従者の会話とは思えない程気さくなやりとりですが、こんな風に接せられる機会も限られています。学院では生徒達の、家では他の使用人達の視線がありますから。大公国の屋敷にいた頃は私の部屋でしかこんな風に近寄れませんでしたね。
「お嬢様ったら昔から他の方とあまり付き合わなかったものですから。このご成長はわたしも嬉しゅうございます」
「……まあ、そう言われても仕方が無いとは自覚しています」
かつて聖女だった前世を引きずったままだった私は表面的な付き合いこそ広げていましたが気を許した覚えはありません。トリルビィを除くならきっとチェーザレやジョアッキーノが最初だったと思います。だからこそ、初日から他の方と親しくなれたのは成長と評していいでしょう。
「ですが困りましたね。学院外で私に付き従ってもらうと学院での交流に支障をきたすのではないでしょうか?」
「構いません。わたしがやりたいと思ったからそうしているんですから。ですが今日のようにわたしの方がお嬢様を待たせてしまう場合については考えないといけませんね」
「私は別にトリルビィを待っていてもいいのですが……。一人で帰るのは駄目なんですよね?」
「危ないですから駄目に決まっています。それでしたら迎えに来てもらうよう手配を……」
「――それって俺達が送ってもまずいのか?」
私達の会話に割り込んできたのはチェーザレでした。
実を言いますと私はトリルビィにはもっと自由に羽ばたいてもらいたいのです。折角トリルビィに友人が出来たとしても主に付き添わねばいけないからと毎回断る未来だけは避けたいので。登校時は傍にいてもらいたいですが、放課後は各々の時間を過ごせればなと思います。
その解決策として私も代わりに家の者を使う事ばかり考えていたので、チェーザレの申し出は目から鱗と言えましょう。
どうやら私は自分が気が付かぬうちに驚きを露わにしていたらしく、それが可笑しかったのか彼は少し笑いました。何かそれが無性に悔しくて思わずチェーザレを睨んでしまいます。それも火に油を注ぐがごとく彼のお気に召したようです。
「いえ、問題ございません。既にチェーザレ様はお嬢様とご婚約されている御身。以前あったコンチェッタ様の一件で分かりましたがそれなりに護身は出来るようですし、信頼して任せられます」
トリルビィは一旦立ち止まり、その場で恭しく一礼した。大通りの一角にいながら華やかで優雅に見えます。周囲の通行人もまた視線を向けるぐらいに。
「どうかお嬢様をよろしくお願いいたします」
「ああ、勿論だ」
チェーザレは自信に満ちた答えを返します。彼は手を伸ばして私の肩を抱きかかえようとしてきましたので私はその手を掴んで自制させます。いくらそんな雰囲気だからって公衆の面前なんですから節度を持っていただきたいですね。
「何だよ、傍に寄せるぐらいいいだろ」
「したいのでしたら身体を委ねたくなるぐらい私を惚れさせるのですね」
「言ったな? なら俺頑張るから」
「いえ、別に希望を述べているわけではなくてですね」
ああもう、この話は早くも終了です。ジョアッキーノはにやにやしていますしトリルビィは微笑ましくこちらを見つめていますし。恥ずかしさで火が噴き出そうなぐらい顔が熱いです。どれもこれもチェーザレのせいですからね。
「それはそうとお二人はどちらにお住まいなんでしょうか? 私達と同じように王国所有の物件に滞在しているとか?」
「俺は王家の別邸があるからそこを使わせてもらってる。アポリナーレと一緒なんだけどまあ妥協かな」
「僕は自分で部屋を借りたよ。他の連中と一緒に寝泊まりするなんて勘弁して欲しいって」
「とか言ってるけど本当はコンチェッタを連れ込んで二人暮らししたいだけだからな」
「ちょ、チェーザレお前ばらすなよ!」
ごまかすように話題を転換したらとんでもない所に火が付きました。ジョアッキーノが救い出したコンチェッタを南方王国で留守番させるか地獄を見た聖都に連れて行くかはどちらも在り得ると考えていましたが、後者でしたか。
きっと仲睦まじく暮らしているのでしょうね。それ以上については深く想像しないようにしましょう。追求したら最後、きっかけは私が唆したからだと反論されかねません。いえ、コンチェッタに情熱的になるよう仕向けたのは彼女に希望を持ってもらいたかったからでしてね。
「まあ、今度遊びに来いよ。歓迎するからさ。コンチェッタったら可愛くてさ、最近色々と覚え始めたんだ。まだたどたどしいけど喋れるようにもなれたし」
「順調に回復しているようで何よりです。とても愛されているのですね」
「ま、まあね」
ジョアッキーノは照れくさそうに頬を指で掻きました。惚気ですね分かります。
「それじゃあ俺等はここ真っ直ぐだから」
「はい。また明日お会いしましょう」
「ああ、また明日な」
楽しい時間はあっという間でしてもう私達は別れてしまいました。それでも寂しくないのはまた明日があるんだと思えるからでしょう。こんな風に人を期待する日が来るなんて、果たして昔の私は想像出来たでしょうか?
大通りから外れて少し脇道に入った私とトリルビィでしたが、先ほどの微笑ましさはどこかに消え失せ、少し真剣な顔つきをさせました。この違いはチェーザレ達がいるかいないかだとしたら、彼らには話せない報告があるのでしょう。
「お嬢様。先程友人は出来ていないと申しましたが、ヴァレンティーナ様と席が近かったので言葉を交わしました」
……しまった。トリルビィに攻略対象者とその身内にあまり近づくなと釘を刺すのを忘れていました。ヴァレンティーナと親しくなるとオネストにそれだけ接近してしまいますし。まあ既にアポリナーレとは接触していますし、今更悔やんだって後の祭りですか。
「ほんの挨拶と自己紹介、それから世間話ぐらいでしたけど……一つ気になる情報が」
「気になる、ですか?」
トリルビィは一呼吸おいて、私が想像もしなかったことを口にしました。
「ここ最近、聖都では魔女崇拝が密かに行われているらしいのです」




