私は入学式に臨みました
学院には教国連合に加盟する諸国から貴族の子息または息女の大半が集い、三年間共に学んでいきます。これは教会の方針でして、未来を担う人材を一堂に集めて洗練された教育を施す事で国力を底上げする狙いがあるんだそうです。
徒歩で登校した私達は正門付近で学生証を提示しましたが、馬車でやって来た方々は正門を抜けてすぐの発着場にて風紀委員の確認を受けていました。ひっきりなしに馬車が往来する様子は見慣れないと異質としか感じませんね。
しかしやはりと言いますか馬車を使う方々は自分の足でやって来る生徒と比べると気品と優雅さがありました。馬車を使うような高貴なる者は自分の手足を使わずに命じるだけ、な感じでしょうか。貴族は特別で偉いだなんて概念は私には一生理解出来そうもありませんが。
ふと目を移した先には美形の殿方が他の方々と同じように優雅に下車して大地に降り立ちました。彼は待ち構えていた風紀委員のご令嬢に輝かんばかりの笑顔を振りまきます。風紀委員の女子は眉を少し動かしましたがあまり動じた様子はありません。
「おはようミネルヴァ。朝から君の顔を拝めるなんて僕は幸せ者だ」
「おはようございますラファエロ。戯言は結構ですから早く学生証を見せてください」
「勿論だとも愛しのミネルヴァ。ほら、これでどうだい?」
「見せるだけですから。手渡す必要はありませんしましてや手を握らないでください」
ラファエロはミネルヴァに甘く囁いたり身体に触れようとするものの彼女は取り合うつもりは無いようです。むしろ日常の出来事と化しているのでしょうか、あしらい方が自然です。ラファエロが気にする様子を見せずになおも口説くので効果はいま一つのようですが。
彼、ラファエロは先程のオネスト同様に攻略対象者の一人になります。乙女げーむの舞台となる一年後には生徒会の副会長に選出されるでしょう。ミネルヴァに贈る愛の言葉は半分冗談で半分本気。自分の本音をごまかしつつミネルヴァに向ける愛情をどう振り向かせるか、に注力しているようです。
一方のミネルヴァはラファエロを攻略するにあたり恋敵になったりはしません。度重なる熱烈な言葉で想いが通じたのでしょう、彼女の心もラファエロに傾きかけていました。ですがラファエロがひろいんに心奪われてからは潔く身を引く選択をするのです。
「どうだい? 今日は僕の屋敷で晩餐でも一緒にいかがかな?」
「招待していただけるのは嬉しいですが、あいにくこちらにも予定があります。当日にいきなり言われても困ります」
「じゃあ君の予定が空いている日にしよう。うちの料理人が腕を振るうよ」
「……。気持ちだけ頂いておきます」
何にせよ彼らは相思相愛。恋路を邪魔立てするつもりは毛頭ありません。もしも妹が乙女げーむ通りに泥棒猫になったところで私は癇癪を起こさずに静観するのみ。結局はラファエロ達にも極力関わらなければいいでしょう。
彼らから目を離した私達は一路校舎へと向かいます。乙女げーむの舞台にもなっている聖都の学院はかつて周辺諸国を統一していた大帝国時代の建造物を修繕して流用しており、壮大な造りだと聞いています。げーむやあにめでも描かれていましたが……。
「……凄いなこりゃ」
「もしかしたらうちの王宮より作るのに金と人と時間かかってるんじゃないか?」
実物は私の想像をはるかに超えていました。チェーザレ達の呟きの通り辺境国の宮殿をはるかに凌ぐ規模でそびえ立っており私達を圧倒します。なのに柱や壁の一つ一つが一切の妥協も無く飾られていました。一体どれほどの手間がかかっているのでしょう?
ちなみに前世の私は学院とは無縁です。そもそも学院は創立されていませんでしたし、その前の用途でもこの一帯は使用する機会がありませんでしたからね。なのでただ見上げながら感嘆の声を漏らす他ありませんでした。
こんな立派な場所で学べる栄誉。初めてここを訪れた生徒は誇りと期待で胸がいっぱいになることでしょう。
「それではお嬢様、転入生は直接教室に向かうようなのでわたしは一旦失礼いたします」
「ええ、トリルビィも勉強に励んでくださいね」
第二学年に編入する侍女のトリルビィは会釈をして目の前の校舎へと去っていきました。私達は他の新入生達と共に入学式が行われる講堂へと足を向けます。受付を済ませてから講堂に入った私達は後ろの方の席に座りました。座席指定ではないんですね。
「で、チェーザレ。どうしてこんな後ろの方に決めたのですか? ここでは檀上があまり見えませんが」
「居眠りしてても気付かれにくいようにしたかっただけだ」
「あー。お偉いさんの長話とか退屈で眠っちゃいそうになるしな」
「咎めたいところですが言い返せないのが辛いですね」
とは言いましても講堂は基本的に全ての座席から檀上が眺められるように壇上からは全ての座席が見渡せるような造りになっています。まあ、壇上のお偉いさんがいちいち生徒一人の居眠りを注意したりしないとは思いますがね。
「おやチェーザレ、こんな後ろの方に座ってどうしたんだい?」
まだ前の方が空いているにも拘わらず後方の座席に腰を落ち着けるチェーザレに疑問を抱いたのは私だけではありませんでした。通路側から聞こえた声の方へと向きますと、以前お会いしたあまり見たくない顔が目に映ります。
南方王国王太子アポリナーレ。チェーザレの異母兄弟。そして攻略対象者の一人。
彼を視界に収めたチェーザレは視線だけを弟に向けました。
「ここでもちゃんと聞こえるからな。アポリナーレは王国の代表として前の列に座ればいい」
「てっきり学長や生徒会長のお言葉が退屈で眠気に誘われそうだからだと思ったよ」
「その辺りは想像に任せる。とにかくもう動く気は無いぞ」
「そうかい。なら私はチェーザレの言うとおり最前列に行くとしよう」
アポリナーレは付き添いを伴いながら私達の横を通り抜けて前へと行きました。ジョアッキーノが王太子に従う者達は彼の側近だと耳打ちしてくれます。また私が極力関わりを持たないようにしたい者の名が心の中にある名簿に追記されましたね。
講堂内がにわかに騒がしくなってきました。次々と新入生が会場入りして席に腰かけていきます。大公国出身者も少なからずいるようでして顔見知りも何人か見かけました。教国連合中の貴族の子供達が集っているのかと思うとやはり学院の規模には驚きを隠せません。
「あ……王子。久しぶりです」
この遠慮がちな声色には聞き覚えがありました。先ほどとは打って変わって複雑な心境が胸に渦巻きながら顔を上げると、緊張でやや固まった表情をさせた殿方が会釈していました。彼との遭遇はジョアッキーノも想定外だったらしく、驚きの声を軽く上げました。
「フィリッポ!? お前こっちに来てたのかよ!」
「はい。特待生枠に何とか入れまして」
そう言えば学院は貴族階級以外にも開放されていましたね。商人、芸術家、聖職者、騎士など様々な家柄の子も共に学んでいけるように。とは言え貴族と異なり無条件ではなく入学試験があるとは聞いておりますが。なので学院全体で見ても三割いればいい方だったと記憶しています。
フィリッポが言うにはこのまま王国の宮廷音楽家のまま終わるのは惜しいから聖都で本格的に学んできなさいと勧められたそうです。自分だけだったら断ったけれどチェーザレ達も同時期に入学するなら、と決意したんだとか。
「あの……キアラ様」
「……え? あ、はい、何でしょうか?」
突然話を振られて素っ頓狂な声を上げてしまいましたが何とか取り繕えました。フィリッポはなんとこちらへと深々と頭を下げてきているではありませんか。
「今ボクがこうしていられるのも全部キアラ様のおかげです。本当にありがとうございます」
彼は具体的に何を指しているかは口にしませんでした。けれどそれがかつて彼の腕を治した件であるのは明白です。私が奇蹟を授かっていることを秘密にしておきたいとは彼も知っている筈ですが、それでも感謝せずにはいられなかったと想像出来ます。
「礼には及びません。私がやりたかったからやっただけです」
「けれど……!」
「でしたらあの時に私を説得したチェーザレにどうぞ」
「……この恩は絶対に返すから。約束する」
フィリッポは私が話を打ち切りたいのだと察してくれたようで口を噤んでチェーザレの前の席に座ります。それでも最後に放った一言は並々ならぬ決意が滲んでいました。彼の想いを無碍にしたくはありませんでしたが、しかし彼の助けに縋るわけにはいきません。
「では期待しないでお待ちしています」
なのであくまで自力でどうにかする意思を込めて私は返事を送りました。




