私は朝の身支度を整えました
朝、窓を開けると涼しい風が頬を撫でて髪を揺らし、昇りつつあるお日様の光が温かく包み込むようでした。外に広がの聖都の街並みは大公国よりはるかに発展していましたが、今は人の往来もそれほど多くはなく静かなものでした。
扉を叩く音が聞こえたのでどうぞと入室の許可を与えます。音をたてずに扉を開いて姿を見せたのはトリルビィでした。彼女は厳かに一礼してから朝の挨拶を述べ、寝具の上に畳まれた寝巻を見て眉を顰めます。
「おはようございます、お嬢様。今日のお目覚めは早かったようですね」
「おはようトリルビィ。そうですね、いよいよ学院に通う事になって興奮していたのかもしれません」
「ところで、起床されてからご自分でお着替えになられたのですか?」
「ええ。舞踏会で袖を通すような複雑な作りではありませんでしたから、私一人でもほら御覧の通り」
私がその場でくるりと一回転するとくるぶしぐらいの長さがあるフレアスカートが優雅に浮き上がりました。正直に白状するとこういうのは一回やってみたかったんです。何しろわたしが昔に通っていた学校の制服のスカート丈は膝下か膝上ぐらいでしたから。
そう、教国が設立した学院には制服があります。これは別に他の生徒達との協調性なんかの為ではなく、あくまで学院が学びの場であり富や権力を振りかざすなどもっての外との理念に基づきます。制服を指定して服装を統一する事で入学する者は神の下で平等との事でしょう。
制服は一言で申しますと修道服並に地味です。そのおかげか身体の線があまり出にくいですね。殿方を悩殺したい女性陣からすれば武器を鞘に納めるようなものですか。これは神の信徒ならば着飾らずに貞淑にとの教会の考えから来ていると聞いております。
正直、見栄えが第一な乙女げーむでそれでいいのか?とは思いましたがね。
「わたしの仕事が無くなってしまいます。お嬢様はわたしに意地悪なさりたいのですか?」
「拗ねないで下さい。私の着替えを手伝いたいのでしたら私が早起きしないよう願うのですね」
「いえ、もっと早くにこちらに赴けば問題ありませんか」
「……別に私はトリルビィを早起きさせたい為に早起きしている訳ではないのですが」
そんな感じに浮かれる私とは対照的にトリルビィは呆れているようでした。そんな彼女もまた学院の制服を着込み、その上にエプロンを身に付けています。朝食を取り身支度を整えたらすぐにでも出発出来るようにでしょう。
私が化粧台の前に座るとトリルビィは自然と傍に寄って私の髪を櫛で丹念に解きほぐします。私の毛は癖が強く無いので夜を跨いでも頭が爆発するような惨事にはなりませんが、それでも艶やかに美しく見せるには手入れが欠かせません。
あ、そうそう。今日から一つ試したい事があるのでした。
「トリルビィ。今日からは結わえてくれませんか?」
「えっ? 折角こんなにも小川のように輝き流れる長い髪をしていらっしゃるのに?」
「心機一転したい気分ですので。やり方は分かりますか?」
「勿論でございますとも! 不肖このわたし、こんな事もあろうかと密かに特訓していましたので」
乙女げーむ上での悪役令嬢キアラは今トリルビィが評したように自慢の髪を腰まで伸ばしていました。キアラが通り過ぎる度にやや波打ったその髪がたなびくようでとても映えたものです。そんな悪役令嬢キアラの外見から自分を少し遠ざけてみようと思うのです。
本当は前世の知識を生かして自分でも出来るのですが、折角だからトリルビィのお手並み拝見……って、手慣れた様子で私の髪を編み込んでいきます。そしてうなじが見えた頃には可愛らしく後頭部に纏まっていました。
「素晴らしい出来です」
「お褒めに与り恐縮です」
「これから毎日お願いしてもいいでしょうか?」
「畏まりました。ただ毎日少しずつ変えさせてください。折角ですから色々と試したくて」
勿論私は快諾しました。この出来ならリボンを結んでもいいかもしれませんね。今度装飾店に足を運んで見繕ってみますか。ふふっ、貴族なら欲しい物があったら商人に屋敷まで運ばせますが、聖都でなら買い物という行為自体を楽しめますもの。
それが終わったらトリルビィが持ってきてくれた桶の水で洗顔します。今日は着替えを済ませていたので蒸し手拭いは無駄になってしまいましたか。まあこの季節は寝汗をあまりかきませんから構わないでしょう。
「それではお顔を失礼します」
トリルビィは容器から掬い取った香油を私の顔に塗っていきます。まっさーじの効果もあって彼女の指が程よく温かく気持ちいいですね。自分で済ますのと他者にやってもらうのとでは心地よさが全然違いますよね、本当に。
最後に軽く化粧を施せば身支度の完了です。私はトリルビィが仕上げてくれた自分自身の仕上がり具合に大変満足して思わず笑顔をほころばせました。トリルビィもそんな私の反応が嬉しかったようで光栄ですと述べつつお辞儀をします。
「では朝食にしましょう」
「畏まりました」
私が聖都での滞在先に選んだ家で雇った使用人は三名。コックとハウスメイドとランドリーメイドです。トリルビィはそんなに迎え入れる必要は無いと主張したのですが、私が一蹴しました。だって彼女は自分も頭数に入れていたんですもの。
「さ、では頂きましょう」
「……こちらに引っ越してからもう何日も経ちますが、慣れませんね」
「慣れてもらわなければ困ります。トリルビィもまた大公国のご令嬢なのですから」
「そう、でしたね」
確かにトリルビィには私が無理を言って引き続き侍女を務めてもらっていますが、本来は私と同様に学院に通う為に聖都へやって来たのです。言わば私と彼女は対等でもあります。そんな彼女はこの家の取り仕切りと私の身の周りの世話さえすればいいでしょう。
ですので今こうして共に朝食を取るのだって何の問題もありません。主人と使用人の関係であればまず考えられませんが、ここでは私達は貴族同士ですので。
まあ、そんなのは単なる建前で、一人寂しく黙々と食事を取るのが嫌だっただけなんですがね。
「そう言えばトリルビィは私と同じ学年になるんですか?」
「いえ。父からは学院に通い無事に卒業するよう言われただけです。長居するつもりはありませんでしたので編入試験を受け、二学年から開始させてもらいます」
「では私からすれば先輩になるのですね。学院では敬意を払わなくてはいけませんか」
「センパイですか? 聞かない単語ですがどこか異国の考え方でしょうか?」
「……いえ、忘れてください」
そうでした。先輩後輩の概念は独特なんでしたっけ。乙女げーむがそう言った世界観まで大切にして構築されているのは素晴らしいと感動すべきかいちいち面倒だと呆れるべきですか。この世界に生きる私にとっては前者でしかありませんがね。
冗談で口走りましたが、当然学院だろうとトリルビィとの関係が変わるような事はありません。
食事を取り終えたら歯磨きです。ちなみに私は食後にやる派ですね。お口の中を清潔にした方が気持ちが良いもので。ちなみにこの世界では房楊枝で磨くのが一般的です。動物の毛を縛ってブラシにするのは不浄だとされているせいだとか。歯ブラシが恋しいですね。
口の中をゆすいだら最後に口紅をひきます。自分でやろうとしたら筆をトリルビィに取り上げられてしまいました。彼女は私の顎に手を添えて少し上げてから私の唇に薄紅色を走らせていきました。間近でじっと私を見つめるものですから彼女の顔立ちが良く分かります。
「……はい。終わりましたよ」
「ありがとうございます」
「もう少し鮮やかな赤でも良かったのではありませんか?」
「あまり唇を強調すると大人びて見えるでしょう? 無理に背伸びする必要は無いかと」
これで身支度は完了。鞄を手に玄関へと向かうと使用人一同が私達に向けて頭を垂れた。
「行ってらっしゃいませ、お嬢様方」
「ええ、行ってまいります」
「留守の間は頼みますよ」
「畏まりました」
さあ、ではいざ学院に行くとしましょう。




