私はこれまでを振り返りました
神は言っていました。全てを救え、と。
それは学院に通う年齢となった今でも変わりありません。
私には前世の記憶が二つあります。一つはかつてこの世界で人々を救ってきた聖女マルタとしてのもの。もう一つはこことは違い科学の発展した世界で研究に励んでいた大学院生マーリアとしてのもの。今の私、つまり伯爵令嬢キアラはこの二人の延長線上にいるとも言えます。
聖女マルタは神より授けられし復活の奇蹟を異端扱いされて魔女の烙印を押され、挙句に火炙りにされました。神に救いを求めても神は答えてはくださりません。所詮聖女なんてご大層に呼ばれていたって神の定めし運命の奴隷に過ぎない。私はそれを命尽きる間際に悟ったのです。
マルタの奇蹟は私にも受け継がれています。しかしもう神の言葉に従ってがむしゃらに人々を救おうなどとは思いません。困った人に手を差し伸べたらその手首を掴まれて底なしの沼に引きずり込まれる、なんて馬鹿げていますからね。
人を救う前にまず自分を救う。神の言う全てには自分自身も含まれていますもの。
聖女にはならないと決心した私でしたが、その道は決して平坦ではありませんでした。教会は神の奇蹟を担う聖女を見つけ出すのを使命としており、私は何度も調査を受けたのです。その度に疑惑を掻い潜るべく小細工を弄しましたし、時には聖女を欺きましたっけ。
そんな苦労のかいもあって私は未だ聖女候補者になっておりません。聖都の学院で教育を受ける事となった段階においても普通の貴族令嬢としてしか扱われていないようです。何としてでもこのまま真実が発覚せぬまま何の変哲もないただの小娘でいたいものです。
さて、神託とは別にわたしにはもう一つ懸念があります。
それはかつてわたしが嗜んだ乙女げーむについてでした。
なんとその乙女げーむと言う創作物で書かれた世界はここと酷似しており、私も物語の登場人物らしいのです。
物語の舞台は聖都の学院。主人公ことひろいんは私の妹のセラフィナ。そして私にはセラフィナの恋路を邪魔する悪役令嬢とやらが割り当てられていました。
物語の開始はセラフィナが学院入りする今から丁度一年後。聖女候補者として特別な教育を受けていた為に同年代の殿方との接点がなかったセラフィナは素敵な殿方と出会う事となります。やがて尊敬や憧れは恋へと発展していくんでしたっけ。
神から愛されていると断じて良い程の奇蹟、祝福と救済を授かったセラフィナは大成すれば稀代の大聖女となるでしょう。そんなヒロインは神から与えられた使命を取るか少女としての幸福を取るか。セラフィナは自分の想いで揺れ動く事となります。
そしてセラフィナが最後に選択したのは――が大体の話の流れでしたね。
乙女げーむでの悪役令嬢キアラは妹と同じく聖女候補者でしたが、その奇蹟は凡百で聖女となれる水準を満たしていませんでした。自分より美しく可愛らしく、自分より愛され、優れた彼女をキアラは許せなかったのでしょう。妹に対して憎悪を抱くようになりました。
最初の内は高慢に振舞うだけでした。けれど次第に誹謗中傷や嫌がらせに進展していき、危害を与えようともしました。最終的にセラフィナと恋仲になった殿方がキアラの罪を暴き、キアラは破滅する事となります。破滅の程度はげーむ内の選択次第ですが共通点があります。
聖女セラフィナはその慈悲深さにより大罪人キアラを許しました。
つまりキアラはセラフィナに情けをかけられて罰が軽くなるんですって。
……冗談ではありません。誇りも立場も何もかも奪われたキアラに最後に残されたのは憎しみだった筈です。しかしそれすら取られてしまったら一体何が残るのでしょうか?
何も残りません。虚無です。
キアラは生きる意味すら妹に否定されてしまいましたとさ。
勿論悪役令嬢キアラと今の私とは全然違います。愛されるセラフィナに嫉妬? まさか。どうぞ勝手に愛されて下さい。大聖女にでも女教皇にでもなってしまえばよろしい。素敵な殿方と添い遂げようと羨ましくはありませんね。彼女の人生は私のそれではないのですし。
とは申せども彼女は私の可愛い妹には違いありません。彼女の在り方が眩しすぎるからと遠ざかってしまえばきっと傷つくでしょう。私はセラフィナがどんな道を歩もうとも笑顔で祝福しようと思います。
……無論、私に害が及ばない限りは。
以上により私の学院生活の方針は決まったようなものです。
一つ、聖女候補者を始めとする教会関係者とは極力関わらない。
一つ、攻略対象者達との接点は最小限に留める。
一つ、目立たず事を荒立てない。
これらを守れば平穏な毎日を送れるでしょう。そしてその先には悪役令嬢でも聖女でもないただのキアラとしての未来が待っているのです。
私は絶対に人として幸せに生きてみせましょう。げーむの脚本など知った事ではありませんし、神託にだって聞く耳は持ちませんとも。
しかしマルタとマーリア、つまり私とわたしの記憶を照らし合わせると腑に落ちない点があります。悪役令嬢キアラがひろいんセラフィナを虐げようとするのは恵まれた妹への嫉妬からであって決して今の私のように自分の幸福が最優先だったわけではありません。
そもそも、悪役令嬢キアラが聖女の生まれ変わりだなんて設定はございませんでした。
どうして魔女として処刑された私が授かっていた奇蹟をそのままに転生を遂げたのでしょう? 何故ただの平凡な大学院生に過ぎなかったわたしが乙女げーむの世界で再び生を受けたのでしょう? そして、どうして第三の人生が悪役令嬢なのでしょうか?
……いえ、考えた所で詮無き事でしたか。神または創造主の仕業であれ私は私の赴くままに行動に移るまでです。聖女だなんて使命は存じませんし悪役令嬢などと言った役割など知った事ではございませんので。
現状を振り返ってみますとまあ順調と言った感じでしょう。
次の時代を担う聖女を見つけ出す適性検査は欺きました。よって学院に通うようになる年齢に達しても私はまだ平凡な貴族令嬢でいられます。この調子で真実を暴かれないよう細心の注意を払っていきましょう。
まあ神託の聖女エレオノーラを始めとする三人もの聖女に疑惑を抱かれている点は必要経費としておきます。それから正義の聖女ルクレツィアには知られてしまいましたがこれは仕方がありませんでした。
現時点で私が神より奇蹟を授かっていると知っているのはルクレツィアの他には侍女のトリルビィと南方王国の侯爵子息であるジョアッキーノ、そして南方王国の王子となったチェーザレの四名だけです。ああ、あと降誕の聖女コンチェッタにも見せてしまっていましたっけ。
トリルビィは私が数少なく信頼を置く使用人です。彼女もまた大公国の貴族令嬢でして、この度学院に通う事となっています。それでも引き続き私に仕えてくれると言ってくれたのは嬉しかったですね。私にとっては親しい友人であり、そして姉のようでもあります。
ジョアッキーノは本来私が嫁ぐ予定だった貴族のご子息にあたります。色々あり仮に婚約関係を結びましたが無実の罪で投獄されていたコンチェッタに一目惚れして破談に至りました。それでも彼とは良き友人のままでいたいとは思っております。
チェーザレは南方王国国王とその寵姫の子になります。追放され貧民としての生活を送っていた彼の母親を私は私の意志で救ったんでした。それがきっかけになったのか、どうも彼にとって私は何をやるにしろ優先順位のかなり上に来てしまっているようです。
私は一人で宿命を超えるつもりでした。それが無理だったかはもう分かりません。だって私の周りにはもうチェーザレ達がいますから。既に彼らとの関係は心地よくなってしまいまして、離れて欲しくないと願う程に強い感情を抱いています。
神託など戯言です。
私は人として幸せに生きてみせましょう。
ところが――。
「お姉様こそがみんなを救う大聖女です。だからこそ、わたしはお姉様を独り占めしたい」
と、いずれ救世の聖女となる筈の妹、セラフィナは私の前で強く語りました。




