私は降誕の聖女達を焚き付けました
「それで、空位になった女教皇にはどなたが就任なさったのですか?」
実を言えばこれは結構気になっていました。時期的に今度選ばれる女教皇こそ乙女げーむ本編で固有名詞が挙がるばかりで出番は無かった女教皇なのでしょうから。妹が学院に入学する一年後に女教皇を務める者が誰か次第で立ち回りを変えねばなりません。
ところが……、
「次の女教皇が選出されていない、ですか?」
「何でもさ、コンクラーベで選ばなきゃいけないんだけど、肝心の聖女が聖都に揃わないから先送りするんだって」
「それはおかしな話です。教皇が枢機卿から選ばれるのと同じで女教皇は聖女から選ばれます。当代の女教皇が亡くなれば速やかに次の女教皇を選定するために集まらねばならない決まりがあります。海の向こうだろうと戦場だろうと、です」
「それとなく聞いてみたら、聖戦に行ってて不在にしてる聖女がいるんだってさ」
何でもわたしの世界で例えると十字軍のような遠征が過去に行われて、はるか遠くの場所にある聖地を現在奪還したんだそうです。そこに聖女が派遣されて聖地を守護している為、聖都に戻って来れないんだとか。
聖域の聖女アウローラ。
聖都の教会総本山を聖域の奇蹟にて守護する聖女。
聖地の死守、確かに政治的な意味合いの強い女教皇選出より優先されるべきでしょう。
「地理的に考えればあの地を占領し続けるのは無理でしょう」
「その不可能を可能にするために聖女がいるんじゃないか」
「聖女は神の代行者であって政治的に利用される存在ではないのですがね」
「とにかく、一番年配だった神託の聖女エレオノーラがしばらく代行するんだってさ。当の本人はアウローラが一番ふさわしいって公言してるみたいだけど」
うーん、まさか乙女げーむでも何らかの要因で女教皇が既に亡くなっていて空位だったから姿を見せなかった、なんてオチだったりしませんよね? 女教皇が不在となった中現れた神に愛されしヒロインが新たな救済の象徴となった、みたいな展開だったとか。
まあ、しばらくは静観でいいでしょう。乙女げーむの舞台となる学院では女教皇の出番はありません。聖女候補者で対処出来ない異変が起こった場合は聖女が介入するでしょうし。誰が女教皇になろうと過度にヒロインたる妹を贔屓しなければ別に構いません。
「それで、ジョアッキーノはこの先どうなさるおつもりなのです?」
「いやさ、ソレってキアラも分かってるだろ?」
「私が申したいのはジョアッキーノがコンチェッタ様と末永く添い遂げたい、ではなく、コンチェッタ様をどうしたいのか、です」
「意味が分かんないんだけど。何が言いたいのさ?」
「では単刀直入に申し上げますが、コンチェッタ様を聖女のままとさせておくおつもりですか? 無論、教会の役職ではなく存在として」
「……っ!」
ジョアッキーノは怒りを露わにして立ち上がりました。こちらに拳を振り上げようとしたものの隣のチェーザレがいつでも動けるよう彼を睨みつつ腰を僅かに持ち上げたのに気付いてぐっと衝動を堪えました。コンチェッタが僅かに顔を動かして彼を心配そうに見つめます。
しかし聖女が奇蹟を手放すとしたら神に見放される程の大罪を犯すか、運命の相手と愛し合って子宝を授かり、子に継承するかしかありません。前者は論外、後者を選ぼうにも……その行為はコンチェッタにとっては悪夢を思い起こさせるでしょう。
「愛する女性を守りたい気持ちは分かりますが、それではコンチェッタ様は不老のままです。ジョアッキーノは彼女を残して天に旅立つおつもりですか?」
「それぐらい言われなくても分かってるよ! けれど、これ以上コンチェッタを苦しませたくはないんだ!」
「だから恋仲に関係を留めたいと? 考える時間は当然必要でしょうが、なるべく早めに決断した方がいいかと」
「は? どうして?」
「降誕の奇蹟が待ってくれません」
降誕の奇蹟は殿方と結ばれぬままに子を誕生させる奇蹟。古の時代に救世主を誕生させた聖母程ではありませんが、降誕の奇蹟で誕生する子宝は皆神より奇蹟を授けられます。なので聖女や枢機卿として大成する者が多いんだそうです。
ルクレツィアにコンチェッタに関する裏の記録を調べてもらったところ、コンチェッタの子は遠く離れた国の方々の孤児院に預けられるようになっていたんだとか。……受けた仕打ちから考えて生んだ子全てが降誕の奇蹟によるものではなかったのでしょうがね。
「記録されていた周期と最後のご懐妊から計算すると、おそらく一年も猶予はありません」
「何、だよそれ……」
「真剣に検討下さい。ジョアッキーノとコンチェッタの未来に関わりますので」
ジョアッキーノは恐る恐るコンチェッタを見つめました。コンチェッタは彼を安心させようと微笑みましたが……肩は震えて僅かに青褪めていました。目じりには涙が浮かんでいました。辛さや苦しみを気丈にも耐えているのが私にも伝わります。
ジョアッキーノはたまらずにコンチェッタを抱き締めました。無理はしなくていいから、と優しく強く彼女に語りかけます。コンチェッタも恐る恐る彼の身体に細い腕を回していき、静かに頷きました。まだ恐怖は残っていましたが嬉しさが勝っているようでした。
……仕方がありません。これはあまり教えたくはなかったのですが、この様子ですと結局最終的にはあまり良い結果にならないようにしか思えません。選択肢は多いに越した事はありません。主よ、与えられし奇蹟を私欲に使う事を許したまえ。
「宜しければ悪夢を呼び起こさせないような工夫を伝授しましょうか?」
「っ!? そんな方法があるのか!?」
私が投げかけた言葉にジョアッキーノは飛びつく勢いで前のめりになってきました。一旦落ち着くよう促してから耳をこちらに向けるよう願います。ジョアッキーノは逸る気持ちを抑えつつこちらへと耳を近づけました。私はそのあまりに無防備な耳に向けて……、
「ふっ」
「うひゃぁっ!?」
軽く息を吹きかけてやりました。
ジョアッキーノは素っ頓狂な裏返った声を上げつつ飛び退きます。
「ぷっ、あっはははは!」
その様子があまりに可笑しかったものですから思わず腹を抱えて笑ってしまいました。ジョアッキーノは耳に手を当ててこちらを睨んできます。顔が真っ赤で涙を浮かべながらなのがまた笑えてしまいます。その効果は私の想像を超えていました。
「き、キアラぁぁ~! いきなり何すんだよ!?」
「し、失礼……。ですが単に耳に息を吹きかけただけで大袈裟ではありませんか?」
「し、仕方が無いだろ!? 突然だったんだからさ!」
「不意打ちなのもありますが、実はもう一つだけ要因があります」
私は羞恥心を怒りでごまかすジョアッキーノを余所にコンチェッタへと近寄りました。さすがに彼女は私が本当は何をしていたかを看破したらしく、明らかに私に怯えていました。それでも声は出しませんし両手の拳は腕が震える程に強く握り締めます。唇を固く結んで私を見つめる眼差しは、決意を帯びていました。
「少しだけ、顔に触れます」
コンチェッタは軽く頷きました。私がゆっくりとした動作で手を近づけると反射的に身体を震わせますが何とか耐えます。私の方が緊張しながらついに手が首筋に触った途端でした。
「ぁ――っ!?」
コンチェッタの身体が弓なりにしなりつつ跳ね上がりました。声を出すまいと口に手を当てつつ必死になって堪えていましたが、指の隙間から漏れてしまっています。そちら方面の経験が無い私の心すら騒ぐぐらい声が、その……甘ったるくて熱を帯びていました。
コンチェッタは息遣いを荒くさせ、頬を紅色に染め、肩を震わせ、首に手を当てつつただ目を見開いて私を睨んでいました。その視線が恥ずかしさと怒りと屈辱、他多数の感情を入り混じらせて私を責めるものですから、私は申し訳なさと後悔で一杯になってしまいます。
「……それで、一体何をやったんだ?」
この場で唯一第三者となっていたチェーザレが一番先に我に返って疑問を口にしました。
「……これも活性の奇蹟のちょっとした応用です。感覚が研ぎ澄まされる、と表現すればよろしいでしょうか?」
「あー、なんだ? その、つまり……敏感になるって?」
誠に申し訳ありません。この発想の出所はわたしが読んだ、ある一定の年齢に到達しないと読めない内容の小説になります。まさか実践する機会があるなんて、ましてやこうまで効果絶大だなんて想像もしていませんでした。
「いえ本当は怪我で神経が麻痺したり鈍くなった方に使うのが正しいのですよ? こんな邪まな事に使うなどあっては――」
「そんな早口で言わなくてもいいじゃないか。言い訳に聞こえるぞ」
穴を掘って埋まりたくなる恥ずかしさを何とか振り払い、私はコンチェッタを見つめました。私への批難一色に染まっていた彼女はやがて私の触れた首筋を軽く撫でます。まるで先ほど味わった感覚を確かめるように。
「如何わしい真似をして申し訳ありませんでした。ですが、これが第一歩の助力になれば幸いです」
「……ああああああうあうう」
コンチェッタは静かに頷きました。まだジョアッキーノは私の意図を分かっていない様子ですが、これはコンチェッタさえ理解していればいいでしょう。……そう、いざ事を成す際に恐怖に支配されないようにする為に。
勿論愛だけで心に深く負った傷が癒えるならそれに越した事はありません。しかしそれでも克服出来ないかもしれない。この手段は外道に違いありませんが……身体で味わう感覚だけを先行させて心を後から無理に溺れさせてでも、と考える事はこの場合に限っては悪ではないかと。
「え? ちょっとコンチェッタ、どうしたんだよいきなり――!?」
するとコンチェッタは決意を込めて頷くと突然立ち上がりました。そして未だ困惑状態のジョアッキーノの手を取って部屋を後にします。彼を引く聖女の手は見かけによらずとても力強そうでして、彼は成すすべなく引っ張られていきました。
取り残された私とチェーザレは思わず顔を見合わせました。チェーザレは軽く批難の目を私に向け、私は苦笑いを浮かべます。
「アイツ等どこ行ったんだ?」
「今夜はこの屋敷で過ごす予定ですから、先ほど案内した部屋に戻られたのでは?」
「言い方を変えるぞ。何をしに戻ったんだ?」
「さて? 何をしに戻ったのでしょうね?」
知りません。容易に想像出来ますが私は知りません。
まあ、大きな第一歩を踏み出そうとしているのでしょう。




