私は家族に温かく迎えられました
コンチェッタによる女教皇の殺害を目の当たりにしたルクレツィアはただ茫然としておりました。彼女にとって女教皇は尊敬する人物であり偉大なる先人でしたから、部外者の私より受けた衝撃は計り知れなかったのでしょう。
「ルクレツィア様。一つ相談が」
「……っ!? キアラ、様?」
私はそんな彼女に取引を持ちかけました。彼女にはコンチェッタがこれ以上教会に関わる事無く平穏な生活を送れるよう方々に働きかけてもらわなければなりません。現役の聖女を務める彼女にしか成し得ない大切な仕事ですから。
「コンチェッタ様についてなのですが、冤罪を晴らした暁にはこれまでの禁固刑は不当なものだった事になると思うのです」
「え、ええ。そうだけれど……」
「では今の弑逆と帳消しにする形で調整してくださいませ」
「……っ!?」
「コンチェッタ様は一体何十年暗闇の中で幽閉されたと思っているのですか? しかもその間彼女は散々に汚されたのですよ」
目撃者は私達とルクレツィアしかいませんし口裏合わせて病死とする手もあります。しかし審判の聖女フォルトゥナが真相を暴く危険性が拭いきれません。それなら最初から罪を認めつつ開き直る方が堅実でしょう。
筋書としては、無実の罪を着せられ魔女の烙印を押されて数十年間監禁された。その間耐え難い程欲望のはけ口にされ続けた。全て女教皇がその座を得んがために仕組んだ。だから復讐した。この辺りを上手く脚色すれば酌量の余地は生まれるでしょう。
「……分かった。何とかその方向に持って行こう」
「それともう一つ。私共の討ち入りは正当な理由があってのものだった、と一筆頂きたいのです。このままでは一生教会から逃げ続けなければなりませんので」
また、教会総本山敷地からの脱出についても彼女に頼りました。このままでは女教皇殺害容疑で指名手配されてしまい、捕まれば最悪処刑されるかもしれません。聖女が汝ら罪無しと仰ったなら堂々とここから外に出られます。
……さすがに火炙りにされるのは一度で充分過ぎます。
本当でしたら羊皮紙も木炭も持っていたのでその場で聖女に書かせて即座に逃げたかったのですが、それではこの騒動の真実をどう捻じ曲げられるか分かったものではありません。その為、大人しく教会関係者からの事情聴取を受けました。
「教国兵士達を退けた際の異常な強さは一体何だ?」
「コンチェッタ様の奇蹟によるものです。活性の奇蹟での一時的な身体能力向上、だそうです」
「どうしてお前達は降誕の聖女様と同行していた?」
「こちらも神託の奇蹟によるものです。神は罪を被せられた聖女様をお見捨てになっていなかったのでしょう」
当たり前ですが私が聖女適性者だとは明かしません。あくまで全ての奇蹟はコンチェッタによるものだと印象付けるよう説明を工夫しました。衛兵達もまさか私が聖女適性試験を掻い潜ったとまでは想像しなかったようで、あっさり納得していました。誠、物は言い様ですね。
「討ち入り同然な真似をしなくてももっと別の方法があった筈だ」
「聖女様に姦淫の魔女などとあらぬ罪を着せていたのはそちらではありませんか。一応お尋ねしますが、私が暴力に訴えなかったら聞く耳を持ちましたか?」
「女教皇聖下を殺したのはお前達か?」
「私はただ女教皇聖下にコンチェッタ様をお許しになるよう嘆願しにこちらまで参った次第でして、決して殺そうなどとは」
取り調べは私の想像よりはるかに手緩いものでした。後から聞いた話ではルクレツィアが任意で聴取に応じた私達を丁重に扱うよう厳命したらしく、強くは出られなかったんだそうです。かつて激しい拷問を受けた私から言わせれば茶番に等しかったですね。
私は起こった事をそのまま説明しました。例えば女教皇が聖域の奇蹟を行使したのでコンチェッタの投擲は届かず、しかし私は仕様の欠点を突いてすり抜けた……なんて説明ではありません。コンチェッタの投擲は届かず、しかし私はすり抜けた、と言った具合に事実だけを淡々と。
「……つまり、降誕の聖女様が触れた直後に聖下が亡くなられた、と?」
「はい。お悔やみ申し上げます」
ですので私はあくまで直接的な死亡の状況を告白したまでです。どうしてコンチェッタが女教皇を掴んだら病気が一気に進行したか、を調べるのは教会のお仕事ですので。知らず存ぜずなただの小娘、私の役割はそれで十分です。
チェーザレやトリルビィ、ジョアッキーノも個別に事情聴取を受けたのですが、彼らも私の意を汲んでくださったおかげで私がこの一件で占める重要度は低く認識されたようです。コンチェッタを介した神の思し召し、との主張を最後まで崩さずに済みました。
「うん? フォルトゥナ様が聴取に同席したりはしなかったのかな?」
「あの方が授かった審判の奇蹟は白黒を見定められる程度ですから、真意までは読み取れませんよ。嘘ではないように告白すれば簡単に対処出来ます」
「ぼかした言い回しならごまかせちゃうものね。だから奇蹟に頼りすぎずに洞察力や推理力も磨けって指摘しているんだけれどさ」
「ところで、コンチェッタ様ご本人からも事情をお伺いに?」
「……いえ、あのご様子ではまず無理ね」
「当たり前です。悪夢を蘇らせるだけでしょう」
当初はコンチェッタ本人からも事情を聞こうとしたそうですが断念されました。一方的な異端審問で魔女呼ばわりされたのが惨たらしい仕打ちの始まりなのですから、恐怖以外の何物でもありません。壊された心は何も反応を示さず、ただ神官達と相対した際に絶叫を上げるばかりだったと後から聞きました。
その辺りで私とトリルビィは解放されました。チェーザレとジョアッキーノはコンチェッタの異端審問の為に滞在を延長するんだそうです。ルクレツィアやフォルトゥナ達聖女はコンチェッタに味方すると公言しましたし、晴れて無罪を勝ち取るのは時間の問題でしょう。
「キアラ! 無事だったか!」
宿に戻った時には夕日が見えていました。既に聖都封鎖は解除されているらしく街の人達の様子は落ち着きを取り戻しつつありました。私が姿を現すなり父と母がこちらへと大慌てで駆け寄り、まだ華奢でふくよかさの無い私の身体を抱き締めました。
「お母、様?」
「もう、莫迦! 私を心配させないで……!」
驚くしかありませんでした。神を始めとして皆から愛された妹と違って私の事など無関心とばかり思っていましたが、そんな従来の認識は根底から覆されました。ジョアッキーノと婚約して貴族の娘として役に立つから、との家の利益からでもありませんでした。
「あの、お母様。一つお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「何かしらキアラ?」
「私は……お父様やお母様から愛されているのですか?」
母からのお叱りのきりが良くなった所で私はたまらずに質問をぶつけました。確かに変化は実感できる程まで大きくなっていましたが、それでもなお妹や弟の方が私より可愛がられているとの思いが拭えていなかった私の言葉は、自分が思った以上に悲しみが滲んでいました。
母は私が無事戻ってきた事から生じる安堵で涙をこぼしながら私に笑いかけました。それはどの壁画や絵画で描かれる天使や聖母、そして聖女よりも慈愛に満ちていました。まるで私に「大丈夫、私がいるから」と優しく語りかけるように。
「勿論よ。だって、私の娘ですもの」
「お、母様……っ!」
緊張が途切れたからかここまで親の愛を感じた事が無かったからか、私は子供のように泣きじゃくってしまいました。大衆の目の前でやってしまったものですから時間が経って冷静になった後の恥ずかしさと言ったら。
私は……いつの間にか皆から愛されるようになっていたのですね。




