私は女教皇への断罪を見届けました
「な、なな、何をするですか許しませんよ!」
かつての私とわたしの人生全てを含めても家族以外で初めてした口付けは情緒的ではなく、驚愕一色に彩られていました。しかも唇と唇が触れ合う程度ではなく思いっきり貪られましたし。歯と歯が何回か当たったのはご愛嬌と言う事で。
やっとの思いで解放された後は顔が燃えるように熱くなってきました。混乱する頭を駆使してやっとの思いで口にした言葉は変な具合でしたし声が裏返っていましたし散々です。思わず彼に良いように味わわれた口元を手で覆い隠しますが、不思議と拭おうとは思いません。
「キアラがくだらない事言おうとしたからだろ」
「くだらない事って、私は……!」
「第一、今はそんな事話してる場合じゃないだろ?」
「じ、自分の大それた真似を棚上げしていけしゃあしゃあと……っ!」
チェーザレにはもっと言ってやりたい事は沢山ありましたが、確かにもっと頭を冷やしてから批難するのが賢い選択だと自分に言い聞かせます。何度か深呼吸して今にも飛び出そうなぐらい高鳴る心臓の鼓動を抑え、ゆっくりと辺りを見渡します。
私を殺そうとしたスペランツァは身体を痙攣させて倒れていました。彼女の傍にはジョアッキーノが付けていた腕輪が転がっていて、鮮血で染まっています。スペランツァは頭部から血を流していたので、彼が腕輪を投擲して彼女を倒したのでしょう。
ジョアッキーノは咄嗟とは言えスペランツァに頭部死球をしてしまった重大さに手を震わせて衝撃を受けているようでした。そんな彼をコンチェッタが心配そうに寄り添い、小さな両手で彼の大きくなった手を覆いました。自分を見つめる彼に彼女は僅かにはにかみます。
トリルビィはメイド服のスカートを払って服を正していました。彼女の傍では女神官が気を失って伸びています。外傷は見られないのでおそらく絞め技で相手の意識を刈ったのでしょう。そうしながらも彼女は心配そうに私を見つめていました。
そしてその他観衆こと衛兵達は……いつの間にか全員倒されていました。まさかの聖女による大立ち回りで時代劇の終盤よろしくな展開になるなんて想像もしていませんでしたよ。気を失っていたり痛みで呻いていたりとこちらには気付いていない様子でした。
「……まさか、そんな」
だから私が行使した復活の奇蹟の新たな目撃者はルクレツィアだけになります。彼女はすぐ傍で目撃したにも拘らず未だに現実が信じられないようです。いえ、正確には常識から逸脱していて理解出来ない、でしょうか。
「分かりましたか? これが私が聖女になりたくない理由です」
「……っ!」
私が言葉を投げかけるとルクレツィアは身体をびくっとさせました。私は彼女が何か言いだす前に言葉を並べ立てていきます。
「そもそもこの復活の奇蹟は教会で認められるのですか? 異端審問を受けた挙句に魔女として裁かれる未来しか見えません。ルクレツィア様に教会の教えを覆す権限はございますか?」
「神は、どうしてキアラ様にそのような奇蹟を……」
「知りませんし知りたくもありません。大事なのは、教会に籍を置けば私に待ち受けるのは破滅だけ、という一点に尽きます」
「……そう、ね。残念だけど、きっと認められないと思う」
ルクレツィアはエレオノーラ達と違って私の意思を尊重してくださいましたが、目の前に提示された理由がよほど衝撃だったのでしょう。彼女は物悲しげな笑みをこぼしました。そして優しく私の頭を撫でてくれました。
「大丈夫。キアラ様の奇蹟は私の胸の内にしまっておくから。エレオノーラ様方には私から説得して貴女を諦めてもらうようにするよ」
「そうしていただけると助かります。何しろそろそろ聖都の学院に通わねばならない年になりますので、遭遇する頻度も増すでしょうから」
「あー、そうか。分かった。援助が必要ならそっち方面にも働きかけを……」
「必要ありません。私には信用の置ける……いえ、心を許せる方々がもういますから」
私は自分の傷跡を確認するチェーザレを見やりました。トリルビィやジョアッキーノを差し置いて彼に真っ先に視線を送った理由は自分でも分かりません。ただ、頼れる人と考えた時にまず思い浮かべたのが彼だったとは確信を持って言えます。
ルクレツィアは「そっか」とつぶやきながら立ち上がりました。軽く伸びをしながら痙攣すらしなくなったスペランツァへと歩み寄ります。脈を計って瞳孔を覗いてから傷口を確認、「癒しを」との優しくも力強い言葉と共に手当てします。
「復活の奇蹟が教会で認められるようになるには相当な根回しが必要だと思う。年単位は待ってもらいたいんだけれど、構わない?」
「復活の奇蹟は……秘匿されるべきです」
死を超越出来ると知れ渡ったら最後、私はあらゆる所から引っ張りだこになるに違いありません。そしていつしか死の概念が安くなり、助けられて当然、間に合わなかったら何故救わなかったんだと罵倒を浴びる未来が簡単に想像出来ます。
神の都合で、人の身勝手で振り回される人生なんてもう沢山です。
それでも、とこちらを見つめたルクレツィアの面持ちは真剣なものでした。
「もし何らかの悪意で暴かれてからじゃあ遅い。この先みんなに打ち明けるかの判断はキアラ様に委ねるけれど、議論は前もってされるべきだ」
「……勝手にしてください。私の存在が示唆されなければ、ですが」
「勿論だとも。神が考え無しにそのような奇蹟をキアラ様に授けるとはとても思えない。少なくとも……教会が聖女に与えられた奇蹟を罪だと裁く権利なんて無い」
「さあ? 神の真意は私には分かりかねます」
そう言えばかつての私が異端審問にかけられた際は議論の余地なしでしたね。復活の奇蹟を信じずに悪魔に魂や身体を売って得た魔法だろうとか言われた記憶があります。万が一に備えて予防線を張るに越した事はないでしょう。
さて、残るは……此度の一件の元凶である女教皇ですか。
老婆は信じられないとばかりに目を見開いてこちらを凝視していました。怒りや嘲りは何処かに消え去り、残されたのは恐怖。口をもごもごさせていますが代弁者のスペランツァが気を失っているので何が言いたいかはさっぱりです。
「反魂の、魔女……!」
かろうじて聞き取れたその単語は、激しい怯えを帯びていました。
ルクレツィアがいたたまれないとばかりに苦悶の表情を浮かべて立ち上がりかけますが、その前に動いた者がいました。女教皇は自分の目の前に立つその人物、つまりコンチェッタを見上げ、コンチェッタは凍てつくような冷たく、しかし燃え盛る憎悪を湛えて女教皇を見下ろします。
「待ちなさいコンチェッタ、私にはまだやるべき使命が……!」
「ああああううううんあああああうう、ああうあうううあああああああああうううう――っ!」
強いて例えるなら張り手でしょうか? コンチェッタは女教皇の顔面を叩き、更に鷲掴みします。その途端でした。女教皇は声にもならないうめき声をあげて身体を捩ります。胸や腹を押さえて悶えながら咳き込む姿は重病人のソレ。
女教皇が力を振り絞って震える手を伸ばそうとしますがコンチェッタには届きません。コンチェッタは両目から大粒の涙をこぼしながらも決して女教皇を捕らえる手を離そうとしません。その異様な光景に圧倒された私は身動きが取れませんでした。
「ああううあああああああああうあうう、ああううあああああああああうあうう……!」
コンチェッタが解放した頃には女教皇は苦悶の表情で顔を歪ませたまま指一本動かなくなっていました。容体を確認するまでもありません。女教皇は絶命していました。他でもない、自らが蹴落とした聖女の復讐により幕を下ろされる形で。
いち早く我に返ったジョアッキーノはコンチェッタに駆け寄ります。それに気づいたコンチェッタはジョアッキーノの胸に飛び込み、泣き出します。そんな彼女にジョアッキーノは優しく、けれどもう二度と手放さないとばかりに激しく抱き締めました。優しく語りかけながら。
「一体、何が……?」
「……アレも活性の奇蹟の応用です」
「いや、ちょっと待ってくれ。奇蹟が人に危害を加えるのか?」
「農作物や小麦が日を当てすぎると枯れ、水を与えすぎると腐るのと同じです。奇蹟は……使い方次第で害を成します」
活性の奇蹟は本来体力消耗、睡眠不足、精神的疲労等を回復する効果があります。怪我人や病人を治しても体力が戻らなければ話にならないので、治療や浄化の奇蹟と併用されがちですね。私は一時的な身体能力向上に使った通り、その本質は生命活動の活性化なのです。
故に注意しなければならないのですが、活性の奇蹟は病人に使ってはいけません。何故なら無作為に施してしまうと病気の元まで活性化させてしまうから。不老にまで至ったコンチェッタなら微細な調整も出来るかもしれませんが、基本的には無理と考えて良いでしょう。
ところが、コンチェッタはあろうことか女教皇の病気だけを活性化させたのです。ただでさえ年を重ねて体力の減った身体で病気が暴れ回ればどうなるか? その結果はご覧のとおり、抵抗も出来ずに魂の灯火を吹き消されました。
憐れには思いません。
女教皇は罪の報いを受けた、ただそれだけです。




