私は女教皇を捕らえました
「ああううあああああああああうあうう……!」
「無駄ですよ。コンチェッタでは突破出来ない」
コンチェッタは何度も何度も石を投げつけますが悉く女教皇には届きませんでした。それでも彼女は諦めません、涙をこぼして、憎しみや怒りより悔しさを表に出して。石が砕け散る際にとてつもなく甲高くて大きな音が轟きますからよほどの速度で投げているのでしょう。
しかしジョアッキーノが用意した石ころの数は有限。やがて投げられる物が無くなったコンチェッタはジョアッキーノの制止を振り切って走り出しました。拳を振りかざして女教皇に殴り掛かりますが、やはり聖域の壁に衝突、その怒りは届きませんでした。
「あううああああうあうう……っ!」
「束の間の外の世界は楽しめましたか? 貴女の戻る場所は日の当たらない地下深くにある牢屋の中でしょうよ」
コンチェッタは何度も見えない壁を叩きました。自分の手が傷つくのもお構いなしに女教皇へと手を伸ばしては阻まれ。スペランツァはつまらない見世物を目の当たりにするかのようにわざとらしくため息を漏らしました。
「あううああああああああうああああう……!」
「往生際が悪いですね……。いい加減諦めなさい」
「っ! コンチェッタ!」
女教皇の左右に立っていたスペランツァともう一人の女神官がコンチェッタへと迫ります。追いかけてきたジョアッキーノはなおも女教皇に怒りをぶつけようとするコンチェッタの手を引っ張って自分の方へと寄せました。両手を取られたコンチェッタは彼の手を振りほどけません。
……? そんな絶好の機会にも拘わらずスペランツァ達はコンチェッタを捕らえようとしませんね。女教皇からそう距離を離そうとしていません。もしやあそこまでが女教皇が発動出来る聖域の奇蹟の範囲内なのでしょうか?
「はあ。いい加減飽きてきましたよ。大人しく捕まってもらえませんか?」
スペランツァはよほど聖域の奇蹟に自信があるのか余裕な態度を崩そうとしません。それもその筈、彼女はただ聖域に立てこもったままで十分。今はまだルクレツィアが衛兵を食い止めていますがここから更に人が呼ばれては多勢に無勢。時間が経つほど私達が不利になります。
だから後は時間を稼げばいい……なんて浅はかさは愚かしいですね。
「大人しくするのは貴女様の方でしょう」
「……!」
私は堂々と女教皇へと歩み寄ります。心配だとの声を上げるチェーザレやトリルビィには逆に付いてくるよう目配せを送りました。スペランツァ達はほんの僅かながら警戒するもののそれ以上の反応は示しませんでした。
どうやらスペランツァは聖域の奇蹟を勘違いしているようですね。大方自分に害を成す存在を阻む不可侵の領域を形成する壁、辺りでしょうか? 残念、先ほど突破したこの総本山敷地を囲む聖域と理屈は同じで、決して女教皇を守るような代物ではございません。
「……っ!?」
「そんなに驚いてどうかしましたか?」
「何故、どうして通り抜けられる!?」
「さあ? 神に見放されたのでは?」
害意や悪意を寄せ付けないのが聖域の奇蹟だとしたら、罪を悔い改めさせようと動いている私を阻める筈がないでしょうよ。
私は女教皇の目の前で彼女が張り巡らせた聖域の壁を難なく踏み越えてみせました。さすがの痴呆が進んだようにしか見えない老婆の女教皇も僅かに驚愕した様子でした。スペランツァなんて衝撃のあまりに少しの間固まっていましたよ。
我に返った女神官二名は慌ててこちらへと掴みかかってきますが、いち早く私は後方へと飛び退きました。焦るあまりに彼女達は私ばかりに注視して女教皇が閉じこもる聖域の境界から外に出てしまいます。
「チェーザレ! トリルビィ!」
「ああ、任せろキアラ」
「畏まりました、お嬢様」
事前に活性の奇蹟を施していたチェーザレはすぐさまスペランツァのお腹に殴り掛かりました。女性であっても容赦無いですね。トリルビィはもう一人の女神官から伸びた腕を取って鮮やかに投げました。投げ技を受けた女神官の身体は背中から床に叩き付けられます。
「年貢の納め時、と表現しても教国では伝わりませんか」
これで誰も守る者がいない女教皇へと私は悠然と歩み寄ります。スペランツァがお腹を抱えて苦しそうに何か喚きますが、うるさいとチェーザレが頭を床に押さえ付けました。私はなおも座したままの女教皇を立ち上がらせようと肩に手をかけました。
その時、女教皇の手が伸びて私の手首を掴みます。まさかここで動いてくるとは思っていなかったもので不意を突かれた私は反応出来ませんでした。今まで間抜けた……失礼、呆けた顔をしていた女教皇の顔が持ち上がり、私を見やりました。勝った、と歪な笑いを浮かべながら。
『コンチェッタを、殺せ!』
脳内に直接聞こえる女教皇の声は先程よりはるかに大きく、頭の中で響きました。怒鳴られているようにも思えましたし優しく諭されているようにも考えられました。私の手足が女教皇に掴まれて無理矢理動かされようとする違和感がして気持ち悪かったです。
私は腕を軽く回して掴まれていた女教皇の手を簡単に振りほどきました。そして逆に彼女の手首を取ります。枯れ木のような細いので簡単に手が回りましたね。会心の一手を打ち砕かれた女教皇の顔は驚愕と絶望に彩られました。
「何、故……?」
女教皇本人の口から皺枯れた声が絞り出ます。私から言わせればそんな事も察せない女教皇に失望を禁じ得ませんが、逆に私にとっての常識が彼女にとっての非常識なのかもしれませんし、一応教えて差し上げましょうか。
「伝心の奇蹟は貴女様が発信者、対象を受信者としています。その膨大な情報量が相手を上書きしてしまう副作用があるようですね。四六時中耳元で大声で怒鳴られたり吐息混じりで囁かれたりしては確かに影響を受けても仕方がありません」
「なら……」
「まだ分からないのは残念でなりません。それは神を発信者、聖女を受信者とする神託の奇蹟と何が違うのでしょうか?」
「……!?」
私は女教皇の手首を引っ張り上げつつ彼女の胸ぐらを掴んで立ち上がらせました。そして素早く後ろに回ると腕を捻ります。女教皇は声にもならない悲鳴を上げますがお構いなしです。ただ私の力でいつまでもそうしているのは大変なので、膝裏を突いてその場に跪かせました。
お生憎様です。貴女の声は私から言わせればあまりにも小さい。私を従わせたいならもっと大きくはっきりと印象に残る口調で仰って下さい。でないと右から左へ通り抜けるだけで聞き流してしまいますよ。
神は言っています。全てを救えと。
神はもっと優しく私に語りかけましたよ。神はもっと厳しく私に命じましたよ。常にかつての私にとって常識、日常、生き甲斐、そして人生そのものとなる程だった神の声と比べて貴女の命令など虚無に等しいのです。
「神の声が聞こえてしまう私に貴女の声など戯言にも値しません。お分かりですか?」
女教皇が振り解こうと抵抗しますが老婆の体力では到底無理ですね。しかし押さえつけるのが面倒ですね。いっそ後で回復すればいいのですから刃物を首に当てて脅してもいいかもしれません。それはあくまで極端な例ですが、それほど容赦なくたって問題ない輩ですし。
ひ弱な本体の代わりに狼狽したのはスペランツァでした。彼女はチェーザレに押さえつけられたまま顔だけを器用にこちらへと向けてきます。その表情は先ほど女教皇が浮かべた表情をそのまま転写したかのようでした。
「在り得ない! 例えお前が聖女であっても『私』の声が届かない筈が……!」
「理解が足りない方ですね。いつも耳にしている神託と比べて貴女の声など取るに足らないと言っているのですよ」
「……っ!? そんな……!」
スペランツァは愕然としていました。それどころか衛兵と戦っていたルクレツィアまで驚愕しながら私を呆然と眺めてます。はて、私はただ事実を申し上げただけなのですが、何が聖女達に衝撃を与えているのでしょうか? 彼女達だって神託を常に授かっているでしょうよ。
「違うんだ……」
「ルクレツィア様? どうかなさいましたか?」
「確かに私達は神より天啓を頂戴している。けれど、私達は聖下の伝心の奇蹟が掻き消される程の強いお言葉は授かっていない!」
「は?」
「どうしてこれ以上に強く神に語りかけられながら神を否定し続けられるんだ……?」
聖女が授かる神託は様々。そう認識はしていましたが、まさか私が一方的に押し付けられる神託が現役の聖女にとっても信じがたい程だったとは。それで女教皇ごときの影響は受けなかったのでしょうが、逆を言うとそれだけ私は神の庇護下にある事に繋がります。
こんな場面でも神は言っていました。全てを救え、と。




