私は女教皇の自白を聞きました
訳が分かりませんでした。本来責められるべき女教皇は微動だにせず、コンチェッタも眼中に無さそうでした。彼女は代わりにどういったわけか女神官と睨み合っていました。片方は憤怒に、片方は嘲笑を浮かべて。
「昔の貴女は本当に純粋で真面目でしたものね。人を疑う事を知らず、神を信じる者は救われると信じて疑わず、人の邪まな心を寛大に受け止める。本当、虫唾が走るんですよ」
「ああああうううううあうううああううああああうううう……!?」
「どうして? コンチェッタより私の方が女教皇に相応しかった。だから邪魔な貴女にはご退場願った。ただそれだけに過ぎませんよ」
どうやら女神官にはコンチェッタの言わんとしている事が理解出来るようです。私は思わずチェーザレを窺いましたが彼も分かっていない様子でした。ジョアッキーノは今にも飛び掛かりそうなコンチェッタを必死に宥めていてそれどころではなさそうですね。
そんな二人の剣幕を余所に不満を露わにしたのはルクレツィアでした。彼女は一歩前へ進み出ると、女教皇には会釈どころか目もくれずに女神官へと視線を向けました。彼女は更にあろうことか女教皇を指差したのです。
「神官スペランツァ。私達は聖下に用があってここに来たんだ。高齢になられて声の出なくなった聖下の声を代弁する役目を果たしてもらえないか?」
「正義の聖女ルクレツィア。それでしたら今もちゃんと果たしているではありませんか」
スペランツァと呼ばれた女神官はルクレツィアの反論を聞かぬうちに鎮座する女教皇のベールに手をかけ、乱暴に剥がしました。露わになった女教皇の顔は年相応に皺が刻まれていました。しかしそれ以上に衝撃だったのは目が落ち窪んで虚ろ、口は半開きで涎が垂れていたのです。
女教皇の間全体が騒然となりました。もはや誰の目から見ても女教皇は健全ではありません。今すぐ引退していただき床に伏せた方が宜しいでしょう。扉を閉じていなかったらすぐさま噂が伝播してこの現状が皆の口から囁かれる事でしょう。
「あいにく女教皇となった『私』でも老いには勝てません。コンチェッタのように活性の奇蹟を授かっていませんので」
スペランツァは何故か女教皇に対して一人称を使いながら肩に手をかけました。その仕草には教皇と並ぶ最高指導者への敬意も何もあったものではありません。明らかに私達の神経を逆なでする意図があってなのでしょう。
「貴女は何を言って……いや、まさか……!」
「ご明察ですよルクレツィア。これが私が神より授かった奇蹟、伝心です」
伝心。聞いた事の無い奇蹟ですが、おそらく以心伝心の言葉が意味する通り自分の心の深淵、微妙な事柄すら相手の心に伝えて理解させるのでしょう。これでスペランツァと意思疎通をして衰えた自分の代弁をしてもらっていたのでしょう。
しかしそれではスペランツァの言葉に説明が付きません。コンチェッタはスペランツァに憤りを露わにして、スペランツァは女教皇を自分だと語る。これが伝心の奇蹟によるものだとしたら、そのからくりは……、
「まさか、貴女様はそちらの女神官を乗っ取ったというのですか?」
「人聞きが悪い言い回しですが、間違ってはいませんよ」
自分の思考、自分の判断、自分の心境。そうした人の根底を構築する心を相手に伝え続け、すり込んでいったら? 相手とは異なる自分の心を全て曝け出して常に影響を与え続けたら? やがて相手は自分の全てを理解し、影響され、やがては自分と同じにならないか?
女教皇は伝心の奇蹟で女神官スペランツァを第二の自分に仕立て上げたのです。魂や肉体がそのままでも、もはやそれは相手を乗っ取ったと表現する他ありません。自己を塗り潰され犠牲となった女神官は……果たして生きていると言って良いのでしょうか?
「この伝心の奇蹟は神の代理人となってその信仰を伝えよとの神の意志に他なりません。現に『私』は聖女候補者時代からずっと人の争いを収め、罪人を悔い改めさせてきました」
「……人はそれを洗脳って言うんじゃないのか?」
「物は言い様ですね。神が私共聖女に言葉を投げかける神託と何が違うのです?」
教会への忠義など無いチェーザレの言葉にもスペランツァは動じません。理屈としては神託の奇蹟は神が発信者で聖女が受信者、伝心の奇蹟は女教皇が発信者で他の者が受信者なのですから、神と同義との解釈も極端ではありますが間違ってはいません。認めたくありませんがね。
「しかしあの女は私を認めようとしなかった。教会の誰からも支持されるようになっていた私ではなく、コンチェッタを次の女教皇にしようとしていたのですから」
「……!?」
「伝心の奇蹟は人々に悪い影響を与える。地道な奉仕と布教により人々を救済すべきだ、だなんて妄言を偉そうに語ってくれちゃって。私には理解出来ませんでしたね」
説明されなくても分かります。あの女とはきっと先代の女教皇を指しているのでしょう。不敬にも程があります。神は何故このような者に奇蹟を授けたのでしょうか? それとも神が与えた奇蹟が彼女の心を歪ませたのでしょうか?
「だからコンチェッタには魔女となってもらい表舞台から消えてもらった。聞きたければ工作の経緯も説明しますが?」
「……言えよ。どうせ暴露したいんだろ?」
「伝心の奇蹟で各々の深層意識には私の考えを植えましたが、大々的には動く必要はありませんでしたよ。「コンチェッタには誨淫の疑いがある」と囁いた程度です」
「では、コンチェッタが問われた姦淫の罪は事実無根だったと仰るのですか?」
「さあ? 存じません。異端審問は『私』の管轄外ですので。ですがコンチェッタ自身が授かっていた奇蹟が『私』を後押ししてくれましたよ」
「コンチェッタの、奇蹟?」
聖女達の上に君臨する形となる女教皇は正に教会の象徴そのもの。いかに不老になる程優れた活性の奇蹟を授かったコンチェッタでも他の聖女を差し置いて女教皇に任命されるには不十分でしょうね。なので活性以外にも与えられた奇蹟があるとは思っていましたが、まさか……、
「降誕」
「……っ!」
「男と交わる事無く子を生す奇蹟、処女降誕。それがコンチェッタの真の奇蹟ですよ」
スペランツァの暴露はこの場の人間に一体どれほどの衝撃を与えた事でしょうか? 確かに経典には聖処女が救世者を生んだ顛末としてそう語られていますが、その奇蹟を宿した聖女がまた現れるなんて誰も想像していなかったでしょう。
コンチェッタは顔を青褪めさせてよろけました。慌ててジョアッキーノがその華奢な身体を支えます。コンチェッタは無意識の内なのかもしれませんが、ジョアッキーノにしがみ付きました。まるでそうしなければ絶望に飲み込まれると言わんばかりに。
「本当は奇蹟によって子を生したコンチェッタを姦淫の罪に問うのは簡単でしたよ。伝心の奇蹟を使うまでもありません。疑心暗鬼になるよう囁けばいいだけでしたからね」
「そうやって罪をでっち上げたの……!? 救済の使命を負った聖女を!」
そもそもコンチェッタがどのような処罰を受けたかは異端審問に委ねたので自分は把握していない、とスペランツァは付け加えました。ただ事実だけを淡々と語る彼女からは罪の意識は微塵も感じられません。
「で、ルクレツィア。それが何かいけない事なのですか?」
「……えっ?」
怒りを露わにしたルクレツィアに対してスペランツァが浴びせた言葉は信じられないものでした。開き直りなんてものではありません。彼女は本当に自分が正しいと信じて疑っていなかったのです。さすがのルクレツィアも異質とまで言える彼女に戸惑うばかりでした。
「現に『私』はこれまで半世紀以上に渡り女教皇を務めてまいりました。その間『私』は私利私欲に走っていましたか?」
「……いえ」
「より多くの人々が救われるよう気を配りましたし、救済にあたる聖女の境遇の改善もして参りました。自分で言うのも何ですが優秀な女教皇だったと自負しています」
「確かにそうですが、しかし――!」
「聖女一人を犠牲にして太平の世が築けるなら必要経費に過ぎません。『私』にはそれを可能とする能力があります」
理解出来ましたか? そう締め括った彼女の言葉は絶対の自信に満ち溢れていました。
そんな彼女に私は言い放ってやったのです。
「いいえ。全く理解出来ませんね」




