私は正義の聖女と問答しました
私達の行く手に立ちはだかった衛兵達は皆一様に憤りを露わにしていました。この神聖なる場所に侵入しただけでも罪深いのに、あろう事か女教皇を悪だと罵る不届き者に怒りを隠せないのでしょう。一度感情を爆発させたら最後、魔女だとの誹りを受けそうですね。
一方のルクレツィアは昨日会った時と何ら変わらずに冷静で余裕を持った様子でした。それでも私達を見る様子は異なります。彼女の瞳は私達が正しいか過ちを犯しているのか自分の目で見定めるとばかりにこちらを捉えて離しません。
「女教皇聖下がそちらの少女を嵌めた。とキアラ嬢は主張するのね?」
「はい。不当な罰を与えた罪は償わなければなりません」
「証拠は?」
「ございません」
「証人は?」
「おりません」
確かに陰謀説は単なる憶測に過ぎません。私が生まれるはるか以前の出来事ですので調べる術がありませんし、被害を受けたコンチェッタが証言能力を失ってしまっていますもの。チェーザレ達だって私の言葉を信じて付いてきてくれているだけですし。
「なら聖下がやったって断言する根拠は何か聞いていいかな? ここまで大それた真似をしたんだ。友人を自分の妄言に付き合わせているわけでもないでしょう?」
「聞けばルクレツィア様も引き返せなくなりますが、よろしいのですか?」
質問に質問で返した私に無礼だと大声を張り上げそうになった衛兵をルクレツィアは手で制しました。衛兵の剣幕に私より一歩前に出ていたチェーザレが庇うように私を少し後ろに下がらせます。さすがにジョアッキーノとトリルビィは今まで経験してない緊迫した空気に飲まれかけているようですね。それでも何とか気丈にも堪えて相手と対峙しています。
そんな皆様を余所に私とルクレツィアは互いを見据えました。彼女は私が何を口にするか察しているようですし、私はそれを見越してここまで強気に出られるのです。もし頭の固い輩が立ちはだかったなら会話は不要、押し切っていたでしょう。
「構わない。キアラ嬢はどうしてそちらの魔女に肩入れする?」
「無論、神が言っていたからです。彼女を救い、女教皇に罪を償わせよ、と」
「な……っ!?」
神託、それだけがコンチェッタが魔女ではないと言い張る根拠。ですがある程度法によって社会が構築される国家と異なりここは教会なのですから、神の声は唯一であり絶対なのです。そして私が神託の奇蹟を授かっているのはルクレツィア自身が証明しましたもの。
驚愕の声を発したのは衛兵の者達でした。「在り得ない」と口にする者もいれば「狼藉者が戯言を」と憤る者もいます。ですが実際に神の声を聞ける聖女であるルクレツィアは真逆、嬉しそうに満面の笑みを浮かべました。
「女教皇聖下に罪を問うなんてどれ程の大事かは分かっているの?」
「知りません。教皇だろうと国王だろうと、罪を犯したなら償うのが当然でしょう」
数十年間女教皇としての責務をこなしたからって犯した罪が洗い流されると思ったら大きな間違いです。生き地獄を味わい続けたコンチェッタへの贖罪は聖女の頂点である女教皇であってもするべきです。長い間権威と名声は堪能した事ですし、もう十分ではありませんか?
「神の言葉を騙るのは一番愚かだしとても罪深い。それは分かっているね?」
「言われるまでもありません。むしろ私だって神の声など本当は代弁したくもありません」
「へえ、どうして?」
「人々の救済に身も心も捧げる義務が無くなりますので。ですが……」
私は視界の端にコンチェッタを捉えます。緊迫した空気が流れる場でも彼女は何の反応も示しません。表情は呆けたままですし焦点も定まっていないようにも見えます。……無実の罪による罰でこうまで精神的に追い詰められたのなら、私は黙っていられません。
「一人の人として私はコンチェッタに手を差し伸べたい。そう強く想う事は罪なのですか?」
ですから戯言でしかなかった神託にも耳を傾けましょう。神を敬いたいとは今も思いません、ただ状況を改善すべく利用できるものは何でも利用するまでの話です。それが例え私に尽くしてくれる侍女でも、私を守ると言ってくれた王子でも、そして神ですら。
「成程。キアラ嬢は人として彼女を救いたいから行動を起こした、と」
ルクレツィアは配下の衛兵達に道を開けるよう命じました。聖女に神官以外へ命令する権限は与えられていませんが、神の代理人たる聖女の言葉は神の言葉も同然。衛兵は各々不満と憤怒を露わにさせながらも渋々従って左右へと分かれました。
「……よろしいのですか? 本当に私が口先だけ達者なだけかもしれませんよ」
「問題ないよ。私はキアラ嬢を信じたりはしていないから」
酷い言い草でしたが信用などと不安定な言葉を持ち出されなかった分、私は安心しました。最初お会いした時から思っていましたが、中々の好印象ですよ。貴女のように自分の信念と純粋なる神だけへの信仰を持つ聖女がいる事は嬉しく思います。
「私はキアラ嬢が正しいって自分の直感を信じる。そうやって根拠だとか人の意見だとかの要素を抜きにした判断の方がいつも正しかったから」
「それが先日明かしてくださったルクレツィア様の奇蹟なのですか?」
「そう、そしてそれが正義を成せと私が神より授かった使命でもある、かな」
ルクレツィアは誇らしげに自分の在り方を口にしました。それが本来神より奇蹟を与えられた聖女の在るべき姿でしょうし、かつての私もそのように使命感に燃えていました。……今の私にとってはその純粋さは眩しすぎます。そして、おそらく後ろにいるコンチェッタにとっても。
では、と私は臆さずにルクレツィアや衛兵達を横切りました。チェーザレはいつ不意を突かれても対処できるよう緊張感を漂わせていましたし、ジョアッキーノは少しおっかなびっくりな様子で衛兵達の間を通過しました。
「じゃあ、行こうか」
「へ?」
そして最後にトリルビィが背後から騙し討ちされないよう注意を払いつつ通り過ぎた直後でした。ルクレツィアは衛兵達を従えてなんと私達に付いてくるではありませんか。そんな異常な光景に後から追加で私達を拘束しようと向かってくる衛兵達も手が出せないようでした。
「あの、ルクレツィア様? どうして同行なさるのですか?」
「私はキアラ嬢が正しいと判断して道を譲った。これは聖下への明確な裏切りでしょう。正しくても私には部外者面は出来ないのさ」
「……邪魔しなければ別に構いません」
大所帯になった一行は正義の聖女ルクレツィアが加わったのもあって誰にも邪魔されませんでした。それは女教皇の間を守護する衛兵も例外ではありません。衛兵は一瞬だけルクレツィアを窺いましたが彼女は何も言いませんでしたので、私の求めに応じて扉を開きました。
「待っていました、と聖下は仰っています」
女教皇の間の壮大なる空間の中、女教皇は悠然と待ち構えていました。相変わらず傍らには女神官を二名控えさせていて、その内の一人に言葉を代弁させています。その他には誰もおらず、広さも相成って寂しいとの印象を覚えました。
相変わらずベールで顔を覆い隠していて表情は分かりませんが、落ち着いていられるのも今の内です。いかにはるか過去の所業であっても、証拠が無くても、神は全て見ておいでです。ならば聖女が授かった奇蹟で暴けない真実ではありません。
「待っていた、と仰るからには私の訪問理由も分かっておいでですね?」
「姦淫の魔女コンチェッタについてか、と聖下は申しています」
「私が授かった神託によれば彼女が罪に問われた際に聖下が関わっているそうですが、経緯をお聞き――」
「……あ、う」
私が質問を浴びせながら詰め寄ろうとした時でした。後方から唸りにも似た声が聞こえてきたのは。私は声の主へと振り向いて思わず驚いてしまいました。だってこれまで反応が鈍かったコンチェッタが目を見開いて女教皇の方を見つめていたのですから。
「ああああうあああああああうあああううああああう! ああううあああああああああうあうう!」
そして、コンチェッタは憎悪に顔を歪ませて叫んだのです。言葉にならない悲痛な声で。
「騙した? 嫌い? さすがのコンチェッタでも長い幽閉生活で負の感情が芽生えましたか」
そんなコンチェッタの憎悪を受けて反応を示したのは女教皇ではありませんでした。これまで女教皇の声を代弁していた女神官が、今度は女教皇へ耳を傾けないままで、声を発したのです。それもコンチェッタへほくそ笑んで。




