私達は衛兵を退けました
吹っ飛ばされた異端審問官は後ろに従えていた兵士を巻き込んで路面を転がっていきます。トリルビィに突き飛ばされた腹辺りを押さえてうめき声を絞り出し、顔が皺だらけになる程の苦悶を浮かべていました。
この結果には教国兵士達や同行する神官、更には実行犯たるトリルビィすら驚いていました。かく言う私も予想以上の結果にしばし呆然としてしまいます。馬車に跳ね飛ばされてもアレほど人の身体が飛んでいきやしないでしょうから。
勿論この現象は一介の侍女に過ぎないトリルビィには成し得ません。種明かしをすれば活性の奇蹟のちょっとした応用になります。私がトリルビィに活性の奇蹟を施した結果、彼女の身体能力が一時的に向上しているのです。
「チェーザレ、貴方も!」
「……っ! 分かった!」
事情を把握している私が一番最初に我に返り、チェーザレへと呼びかけました。彼も賢いものですぐに私が何かした為だと察してくれたようです。すぐさま手を差し出してきました。私は彼の手を取ってトリルビィに行ったように、神のご加護を与えました。
ようやく事態が急変したと教会兵士達が察した時にはもう遅い。トリルビィが自分より一回りも二回りも大きな男性を軽々と投げ飛ばし、チェーザレもまた拳を打ち付けます。兜に守られていない露出した顔を狙うあたり容赦ないですね。
「キアラ、コイツはどうする?」
「非戦闘員まで片付ける必要はありません。無論、邪魔になるなら容赦は要りませんが」
兵士達を全員戦闘不能にして終了。残るはすっかり怯えてしまった神官のみとなりました。どうやら立ちはだかる意欲は失せたようですので先に進むとしましょう。チェーザレは彼をも昏倒させようとしていましたが、その胸ぐらから手を離して放り捨てました。
「そうか。……これでもう隠れられなくなったな」
「想定内です。どの道敷地内に入る際には強行突破するつもりでしたから」
騒ぎを起こしてしまっても急ぐ様子の無い私にチェーザレが声を落として語りかけました。彼の懸念は尤もですがこれから起こる事を考えれば誤差の範囲内です。今は気にせず進みましょう。
そうして見えてきました。総本山の正門が。
相変わらず敷地を囲む壁が圧迫するようにそびえ立っています。先日と異なって張り詰めた空気が流れていますね。壁の上に立つ兵士の数も多い気がしますし、敷地を出入り出来る門には多くの衛兵が張り付いていました。
「で、アレだけ厳重な警備をどう掻い潜るつもりなんだ?」
「まずは壁の上にいる兵士にお引き取り願いますか」
これも算段は立てています。先日のコンチェッタ救出劇でジョアッキーノは腰にぶら下げた道具袋に何かを入れつつ手に物を握っていました。おそらくは飛び道具の類だったのでしょう。でしたら私が彼の身体能力を増幅させればここからの遠距離でも届くと踏んでいます。
「ジョアッキーノ、手を……」
「アイツ等を倒せばいいんだな? 分かった」
ジョアッキーノは私が振り向いた時には既に石ころを手に投球体勢に入っていました。そして身体をしならせて勢いよく投げつけます。彼の手から離れた石は山なりなどではなく直線を描いて斜め上へと突き進んでいきました。
そして壁の警備兵の胸を覆った鎧に命中、轟音を立てました。警備兵が何も出来ぬままにその場でひっくり返ります。鎧は貫通していないようでしたので大事には至っていないようです。それでも負傷させるには十分過ぎました。
異常事態に気付かれる暇も無くジョアッキーノは次の石を投擲していました。兵士達は何が起こっているかも分からないまま次から次へと狙撃されていきます。何名かはこちらに気付いたようでしたがジョアッキーノはそういった者を優先して攻撃しました。
結局、壁の上から人影が無くなるまで騒ぎにはなりませんでした。
「……ジョアッキーノ、私は貴方が末恐ろしくなります」
「いやちょっと待ってよ。僕もどうしてこんな真似出来たのか分からないんだって!」
私は自分の目が信じられませんでした。一度目を離して擦ってもう一度窺っても事実は変わりません。もはや一流の投擲手すら霞む程の芸当をする才能だったなんて……と愕然としていたら、当の本人であるジョアッキーノが一番驚きを露わにしていました。
不思議に思っていて気づきました。ジョアッキーノとコンチェッタの手が固く結ばれ続けていると。そしてコンチェッタが虚ろながらもその眼差しをジョアッキーノに向けていると。
「……コンチェッタから奇蹟を施されたようですね」
「えっ?」
そう、これは正しく活性の奇蹟!
あろう事かコンチェッタは私が先程施した奇蹟を一目見るなり自分のものとしたのです。
さすがは不老にまで至る活性の奇蹟の担い手。おそらく私がジョアッキーノに施してもここまでの能力向上させる効果は無かったでしょう。
「彼女が……?」
ジョアッキーノがコンチェッタへと視線を落とすと、彼女はほんのわずかに唇を動かして懸命に何かを彼に伝えようとしていました。これまで全く反応を示さなかった少女が、既に長年の幽閉で心が摩耗したと思っていたのに、明確に自我を示したのです。
「……あ、ぅ」
「無理するんじゃない! 大丈夫だから……!」
コンチェッタは絞るように声を振るえわせましたが酷く掠れていた上にか細い吐息が漏れるばかりでした。
そんな彼女をジョアッキーノは抱き締めました。人目も憚らずに大胆にも。最初の内はされるがままだったコンチェッタでしたが、やがてジョアッキーノに握り締められていない手を彼の脚へと触れさせました。
彼女は取り戻しつつあるのです。醜い欲望で引き裂かれた人としての心を。
同じ聖女として喜ばしく思う反面、羨ましくも感じます。複雑です。
「これで弓兵は片付きましたから、後は正門を強行突破するのみです」
そんな私個人の感情は押し込めて私は堂々と厳戒態勢に入っている正門へと歩み出します。
門を守っていた兵士達はようやく壁の上の異変に気付いたようでして、何やら喚きながらこちらへと駆けつけてきます。更に兵士の一人が管楽器を大きく鳴らしました。きっと緊急事態を知らせる合図なのでしょう。
しかしいかに絶え間ない鍛練を積んだ兵士達でも聖女の奇蹟、神の加護を受けたトリルビィとチェーザレの敵ではありません。身体能力ばかりでなく反射神経も向上していますので。チェーザレの剣は相手の盾を引き裂き、トリルビィはお留守な足元を狙って転ばしていきます。
突然の騒動に正門前で民衆が狼狽えるばかりでした。彼らは嵐が過ぎるのを家の奥でただ待ち続けるように縮こまって端に寄っています。……やれやれ、教会に仇名す暴挙を働いていてもこちらが強者なら石を投げたり罵声を浴びせたりしないのですね。
「キアラ、増援が来るんだけどさ!」
「後方と左右からですか。聖都中に散っていた教国兵が集っているのでしょう」
ジョアッキーノが焦った声を出すので周辺を確認すると、確かに兵士達が集結しつつあるようです。アレだけの相手はさすがにチェーザレ達三人でも厳しいでしょう。さすがに職務に忠実な方々の命を私の身勝手で奪うわけにはいきません。
「ジョアッキーノ。コンチェッタを抱えるか手を離さないかするように」
「は? それどういう――」
「走れと言っているのです!」
「おいキアラちょっと待てって! ああもうくそっ!」
私はチェーザレ達が切り開いた教会総本山敷地までの活路を全力で走り抜けます。ジョアッキーノはなんとコンチェッタを抱きかかえて駆け出しました。それを見て取ったチェーザレとトリルビィもまた後に続きます。
正門は大きく開け放たれたままになっていました。跳ね橋も上がりませんし落とし格子が降りる様子もありません。門前から動かなかった衛兵は私達をあろう事か素通りさせました。これで私達を妨げる者はいなくなり、総本山敷地内が視界に映ります。
「お嬢様、もしやと思いますが……中へとわたし共は誘われていませんか?」
「いえ、正確にはこの開口部へと追い詰める手筈だったのでしょう」
教会の想定通りとなるなら私達は今絶体絶命の危機に陥った事でしょう。
しかしそうはなりませんでした。私達は難なく境界を通過したのです。
そう、敷地に張り巡らされた聖域の奇蹟を。




