私は神託の真の効果を知りました
ジョアッキーノが運命の出会いを果たした事そのものはとても素晴らしいと思います。むしろ私はおめでとうと申し上げたい所です。
しかし仮とは言え私達は婚約関係です。それは単に後に夫婦になる約束ばかりでなく貴族同士が取り交わした契約でもあります。その重大性は私なんかよりジョアッキーノの方が存じ上げている筈。それでも彼は心の内を告白したのです。
「ジョアッキーノ。真実の愛に目覚めたのは大変喜ばしいですが、私との婚約は如何なさるおつもりですか?」
「ごめん、こんな筈じゃなかったんだ。僕はただキアラと気さくに語ったり笑い合ったり出来れば楽しいんじゃないかって思ったから――」
「ですから私への弁解は結構。私との婚約関係は続けつつ少女を守るのかと聞いているのです」
「……いや、僕はそんな器用じゃない。きっとどっちも中途半端になると思う」
となれば私か少女かどちらかを選ばざるを得ませんね。
「では、私達の婚約は白紙に戻す、との理解でよろしいですね?」
「……ああ。それでいいよ」
そしてそうなれば少女の手を取るのは分かりきっていました。
「残念です。ジョアッキーノと夫婦になればそれなりに幸せになれたと思っていましたのに」
「……その、キアラ。もしかして何だけどさ」
「私が貴方様に恋していたか? いえ、ご安心ください。信頼出来て秘密を打ち明けられる友、との認識です。そこに婚約を結んでいるか否かは関係ありません」
これは強がりでもなく本音です。私にとってジョアッキーノは友達以上にはなっていません。それでもかつての私は友と呼べるほど身近な存在がいませんでしたので大きな前進でした。私にとって婚約関係はその延長線上でしかなかったのです。
「……キアラの言葉に甘える形になっちゃったな」
「いいではありませんか。むしろ私は嬉しいのです。貴族の義務だとか腐れ縁だとかによらない恋愛に溺れるだなんて素敵ではありませんか」
「そうかな? いや、そう言ってくれるなら気が楽になるんだけど……」
幸いにも彼は嫡男ではありませんから少女の正体を隠して一般市民とした所で何ら問題はありません。とは言え婿養子の形で貴族の家を継ぐ形になりませんので必然的に彼は平民階級となります。少女を教会から隠しつつ庶民の一人として生計を立てるのは並大抵の努力ではすまないでしょうね。
しかしそれも彼が選んだ道。手助けするかはさておき応援ぐらいはして差し上げてもいいでしょう。
「安心するのはまだ早いですよ。私が構わなくてもジョアッキーノにはまだマッテオ様とお父様の説得が待っていますので」
「げっ。そうだったよ。父さん達に何て言えばいいんだよ」
「言っておきますが私は何も関与しませんからね。ジョアッキーノの都合で婚約破棄となるのですから」
「それぐらい分かってるって。さすがにそこまで迷惑はかけられないし」
「第一、ジョアッキーノが熱烈な愛を抱いていても少女が拒絶したらどうするのですか?」
「……伝わるように努力するさ」
こんな話をしている最中もジョアッキーノの背中に担がれた少女は目を虚ろにさせて何の反応も示していません。悪夢のような日々に心が壊れてしまっていたらどれ程回復に時間を要するのかは私にも分かりません。
それでも彼の想いが少女に伝わるよう祈りを……祈る? 誰に対して捧げる? 神に? このような過酷な試練を与えた張本人たる存在に? 実に馬鹿馬鹿しい。エレオノーラ辺りにでも救わせれば少女はもっと早くに地獄から抜け出せたものを。
「……頑張ってください」
ですから私はジョアッキーノ本人へ祈りましょう。その願いが成就するように。
■■■
元来た道を引き返した私達は待ち合わせ場所で別れました。あの家にいた男性もジョアッキーノの背中にいた少女については何も問い質してきませんでした。ただし私達の通行は確実に報告されるでしょう。一刻も早く聖都から逃れる必要がありますね。
「ではお嬢様、お休みなさいませ」
「ええトリルビィ、お休み。起こすのはいつもと同じ時刻でお願いします」
「しかしそれでは睡眠時間が少なくありませんか?」
「そうでなければお父様方に疑われてしまいます」
私が夢の世界へ旅立ったのは夜明け前で済みました。疲れを癒す安眠の奇蹟もあるらしいのですが私は授かっていません。わたしが独り暮らししていた頃は深夜遅くまで起きていたら目覚まし時計に気付かず寝坊した失態もありますが、トリルビィが起こしてくれると信じて。
「おはようございます、お嬢様」
「……ええ、おはよう。起きようと思えば起きられるものですね……」
「出発するまでの辛抱です。馬車の中でゆっくりとお休みいただければ」
「あの揺れる籠の中で眠れるのは才能がいると思いますよ」
意外にも起床はいつも通りとなりました。しかし懸念していた通りまだ眠気は完全に取れていません。今は大丈夫でも少し時間をおいたら猛烈な眠気に襲われるに間違いありません。ここはトリルビィの言うとおり移動中に爆睡する手を使うとしましょう。
身支度を整えて父達と共に食堂へと降りていきますと、これまでと違って人々が騒がしくしていました。各々の顔色を窺うと誰もが驚きと焦りに彩られています。一体何が、どうなるんだ、との声が所々から聞こえてきました。
「失礼、一体何があったのですか?」
「おお、カルメロ卿」
父はこれまでの夜会で知り合った方に声をかけました。こういう時繋がりが出来ていると便利なものですね。私も学院に行った暁にはそれなりに交友関係を広げるとしましょう。勿論、私の全てを明かせる程の方はきっと限られているのでしょうが。
「実はですな、なんと教会がこの聖都を封鎖してしまったようですぞ!」
「何ですって……!?」
私は思わず控えていたトリルビィと顔を見合わせてしまいました。
聖都を封鎖、ですって……?
まさかまだ朝方なのにもう気付かれた? たまたま見回りが入った? いえ、それならまずは教会敷地をしらみつぶしに探し回る筈ですね。壁に覆われている上に聖域の奇蹟が張り巡らされているのですから不審者は出入りすら叶いませんし。
となれば敷地の外に逃げたとの確信があったからこその処置なのでしょう。それは決して迅速な捜査の末ではありませんね。十中八九聖女の仕業に違いありません。神託でも受けたのか他の奇蹟によるのか知りませんが、余計な真似をしてくれたものです。
「では聖都の出入りは出来ないのですか?」
「噂では検問が張られていて時間がかかるとの事ですぞ」
「困りましたな。こちらは今日帰る予定だったのですが……。何の為かはお聞きしていますか?」
「大罪人が逃げ出した、としか。実に物騒ですな」
……逃げる術を失いましたか。
私個人はジョアッキーノに逃がした少女を押し付けたのできっと帰れるでしょう。しかしジョアッキーノはもはやどうしようもありません。おそらく徐々に調査範囲を絞っていき最後には彼らを見つけ出してしまうでしょう。
「お嬢様……」
「……少し考えます」
とは言えもはや打つ手はありません。神は全てを救えと仰せになりましたが今の私は一介の貴族の娘に過ぎません。尤もかつての私のように聖女であっても教会が下した裁定を覆せやしないので、結局逃がすしか手が無いのですがね。
いえ、諦めるのはまだ早い。時間に猶予がある以上は考えに考え抜いて何とか抜け道を探らないと。ほとぼりが冷めるまで地下空間に隠れ潜む? いっそルクレツィアに説明して匿って……いえ、あまりにも博打に等しいですね。
「うーん、困った時の神頼みしかないんじゃないかな?」
と、お気楽そうに言い放つ声が一つ。
あまりにも癪に障って頭に血を上らせた私は声の主へと怒り交じりで振り向きました。……いえ、正直申しますと本当に振り向いたかは定かでありません。だって声の主は私と全く同じ容姿をしたもう一人のわたしだったのですから。
「神に祈れば救われるとでも? 愚か者のように縋れと?」
「違うって。私ったら忘れてない?」
「は? 何を?」
「乙女ゲームの仕様を」
乙女げーむの仕様……。神頼み……。
ぷれいやーにとっての作中の神とは作中人物の崇拝の対象、単なる舞台装置……だけではありませんでしたね。前わたしと確認し合いましたが、ひろいんが物語を攻略する上でのお助け要素でしたね。確か会話枠の端に設けてあったぼたんに書かれたしすてむ上の名義は……、
「神託?」
「神様から助言を聞く。だから神託でしょう」
……理解が追い付きません。
その在り方はあまりに私の知る神の声とかけ離れていて。




