私は降誕の聖女を連れ出しました
私は囚われの身となっていた彼女の首枷と足枷を調べました。どうやら処刑された私と違って彼女の終着点はここだったようで、鍵穴が潰されていました。非情にも彼女は朽ち果てるまでここで幽閉されたままだったのです。
「手際よく済ませましょう。トリルビィは彼女の身体を拭いてください」
「……あ、は、はいっ! 畏まりましたっ」
「ジョアッキーノはこの鋸で足に繋げられている鎖を切断してください」
「く、鎖を……!? ソレその為の道具だったのかよ!」
「チェーザレはどうにか首枷を外せないか調べてもらえますか?」
「……わ、分かった。キアラはどうするんだ?」
「効果があるかは分かりませんが彼女に治療を施します」
ただ茫然としていた三人に私は強めの口調で指示しました。やる事が与えられてようやく三人共正気を取り戻して動き出します。と言うかあまりに悲惨な光景なので何か動いていないとおかしくなってしまうからかもしれませんね。
「何なんですか、この汚さは……!」
「ろくに身体を拭いていなかったのでしょうね。大方汚れたら水を浴びせかけて終わらせていた、と言った所かと」
「なんて非道な……。それにこの、髪や身体中にこびり付いた汚らわしい体液は……!」
「深く考えない方がいいですよ。怒りしか湧いてきませんから」
トリルビィは袋に入れた濡れ手拭いで彼女の汚れた身体を丹念に拭き始めました。長い間身体を洗っていないのか垢がぼろぼろと落ちていきます。汚らわしい体液のこびり付きも酷いものです。石鹸を持ってくれば良かったかもしれませんね。
「キアラこれ本当に切れるのか!?」
「彼女を連れ出す事を最優先に考えて鎖を切ってください。足枷は後でゆっくり外せばいいでしょう」
「……分かったよ。くそっ、確かに僕がいくら道具持ってきたって無理だもんな……」
ジョアッキーノはまず足枷自体を切断しようとしましたがさすがに鋸で分厚い鉄の輪は無理でしょう。大人しく鎖をぎこぎこ削っていきます。とは言えやはり木材のように簡単にはいかず、汗水たらして歯を食いしばりながら作業に勤しみます。
「チェーザレ、上手くいきそうですか?」
「首枷自体は木製で固定金具でつなぎ止めてるだけだからな。壊せばいけるな」
「成程、それは頼もしい。ジョアッキーノに貸した鋸は要りますか?」
「いや、要らないと思う。自前の道具で十分だな」
チェーザレは首枷をじっくりと眺めてから割れ目に剣を捻じり込んでいきました。さすがにこちらは木製だったので鋼鉄の剣には及ばずに隙間が開きました。すると彼は小刀を一旦差し込んで今度は反対側の割れ目に剣を差し込みます。そうして金具でしか繋ぎ止められていなかった首枷は分解して床に転がり落ちました。
「お嬢様、それで……彼女は治るのでしょうか?」
「……あいにく私の奇蹟も万能ではありません」
私が授かった奇蹟、蘇生はどんな傷や病気だって治せますので、とにかく深く傷ついていた箇所は治しました。具体的に酷い有様だった部位は語らない方がいいでしょう。全て抜歯されていたのは虫歯の治療か、または下種な……いえ、これ以上の詮索は無用ですね。
ですが心に負った爪痕は治せないのです。心の救いはそれこそ妹が授かった神の慈悲たる救済の奇蹟でもないと不可能でしょう。なので奇蹟に頼らずに彼女を癒す他ありません。果たして私共に出来るかどうか……。
「……」
トリルビィが少女の顔を拭き終えた辺りでしょうか。ジョアッキーノの作業の手が止まっていました。彼は何故か呆けた顔をしてただ少女を見つめていました。私が彼の顔の前で手を動かしても気にする様子もありません。
私が彼の身体を少しゆすると彼は吃驚したような素っ頓狂な声を上げてきました。
「ジョアッキーノ。鎖は切断できましたか?」
「あ、ああ……。どうにか行けたよ。でも結構無理矢理やったせいで鋸の刃がボロボロなんだけどさ」
「後で廃棄しますから私が預かります。チェーザレ、彼女を運んでは……」
「い、いや! チェーザレは何かあった時対応してもらわなきゃ困るだろ? 僕が背負うからさ」
「? 分かりました。それではお願いします」
ほぼ役目を果たしていなかった襤褸切れを脱がしてから少女を毛布を包みました。体格の良いチェーザレに彼女を運んでもらおうと思ったのですが、ジョアッキーノが何やら必死な様子で主張してきました。特にこだわりも無かったので彼に任せますか。
ジョアッキーノが少女を見つめる眼差しは彼女をこんな悲惨な目に遭わせた怒りと憎しみが宿っていました。ですが少女自身に向けたのは優しさと愛しさ、と言えばいいのでしょうか? 様々な想いが入り混じっていて実に複雑でした。
「ではすぐに退散しましょう」
私達は速やかに元来た道を戻っていきます。さすがに既に寝静まった真夜中なのもあって誰とも遭遇しません。そもそもこの地下区画は本来秘匿。見回りをする者とその頻度も限られています。そうすぐにはこの脱獄沙汰は発覚しないでしょう。
少女が閉じ込められていた牢屋の扉は閉じるだけにして、地下通路へ通じていた扉は鍵をかけ直しました。これで少しは教会の調査をごまかせるでしょう。この地下空間が教会敷地の外に通じていると知っているのはごく少数ですし。
「それでキアラ。連れ去ったこの娘だけどどうすんのさ?」
「私は明日の朝に聖都を出発して大公国に帰りますので、連れて行きます。国境を越えれば如何に教会とて迂闊に手出しは出来ないでしょうから」
「ちょっと待ってよ。キアラはただでさえ聖女達に目を付けられてるんだろ? ヤバいって」
「では他に案がありますか?」
「僕が王国に連れて帰る」
……は?
私はジョアッキーノの正気を疑いました。かつての経緯から既に教会への信用を無くしている私と違ってジョアッキーノは南方王国の貴族の一員。ただでさえ危険な橋を渡っているのにそこまで教会に楯突く行為に踏み込んでしまったら、彼は破滅と隣り合わせとなります。
私は彼を咎めようと振り返りましたが、ジョアッキーノはこれまでにない程真剣な顔をしていました。その頑なな様子から察するに既に覚悟を決めたのでしょう。きっと私が説得を重ねても彼の決意は揺るがないでしょうね。
「どうしてそこまで彼女の肩を持つのです?」
「えっ?」
「私はただかつての自分と同じ境遇に陥っただろう少女を助け出したにすぎません。つまり私は彼女が一体どんな人生を送ったのか分かりませんし、名前すら知らないのです」
そう、神は彼女については何も仰りませんでした。それぐらい教えて下さっても良かったのに。とは言え私とて必要以上には関わりたくなかったので好都合とも受け取れましたが。私だって少女を連れて帰った後は遠い異国に亡命させようと考えていたのに。
私は疑問だったので問いかけたつもりでしたが、彼は何故かバツが悪そうに視線を逸らしました。ますます分かりません。一体何が彼を少女に執着させるのでしょう? 何の接点も無い赤の他人を助けたいとする意思の出所は……?
「ごめん、キアラ」
「別に責めてはいませんので謝る必然性を感じません。私は理由を聞いているのです」
「その、なんだ?」
「もったいぶらないで早く仰って下さい」
「……可愛い、と思った」
その言葉を理解するには時間を要しました。
可愛い? その少女が?
いえ、確かに汚れを取った彼女は美少女と呼んで差し支えありません。残念な事に無残にも汚され続けた理由も殿方を惑わす整った容姿と身体付きにあったんでしょうね。私はそんな見目麗しさも結果だけを捉えて女を何だと思っているんだと憤りしか覚えません。
ところがジョアッキーノったら彼女の受けた仕打ちすら些事だったのです。彼にとっては視界に映った少女こそが全てとなりました。彼は穢れていてもなお少女に圧倒され、尊さを見出し、そして心惹かれたのです。
「一目見た瞬間から汚れてたとかそんなのどうでもよくなった。その、何だろ? 天使がいたんだよ!」
「つまり、何ですか? ジョアッキーノはそちらの少女に……」
「……ああ、そうだよ。だから悪かったって言ってんじゃんか」
一目惚れしたんだよ。
彼は恥ずかしそうに頬を染めながらもうどうにでもなれとばかりの口調で言い放ちました。




