私は救いの準備をしました
妹との面会と女教皇への謁見を終えた私達はもう帰るばかり……とはなりません。来年聖都の学院に通うにあたり数年間滞在する場所の下見をする予定になっているからです。
市民階級や名ばかりで貧しい下級貴族の子は学院指定の下宿または寮に住む事となるのですが、経済的に豊かな名門貴族や大商人の子息、息女は家、または部屋を借りるのが普通なのです。当然大公国有数の家柄である私も後者が該当するのです。
ちなみに聖女候補者となっていた乙女ゲーでは異なります。教会の敷地内にある聖女候補者の住まう場所より通う形となります。ひろいんは学院以外の私生活の場でも悪意に晒されるのですね。陰湿なものです。おっと、悪役令嬢はこの私なのですから他人事ではありませんか。
「うむ、中々良い場所じゃあないか」
「そうでしょうか? 少し狭い気もしますが……」
「ううむ、言われてみれば確かに……。キアラ、どうだ?」
「いえ。無駄に広ければ使用人も掃除が大変です。私は落ち着いて生活出来ればそれで構いません」
そうした未来の国を担う若者の為に大公国が聖都内に所持する物件は幾つも有ります。国有の部屋、屋敷を借り受けるのですね。
私がやって来た部屋もその一つでした。部屋が三つに居間や庭も備わっています。おそらく残り二つは客間と使用人用のようですね。それと嬉しい事に風呂もあるようなのです。水も建物の屋上にある貯水タンクから引っ張ってこれるようです。
立地はさすが教国のすぐ北に位置する大公国が所有するだけあって素晴らしいです。賑やかな繁華街にほど近く、しかし近すぎないので騒々しくありません。学院にだってその気になれば歩いて通えるでしょう。公衆浴場等の娯楽施設もほどそう遠くない場所にありそうですね。
「私はここで問題ありません」
「空いている部屋はあと幾つかあると聞いている。すぐに決めなくてもいいんじゃないか?」
「きっとどれも素晴らしいお部屋なんでしょうね。目移りしてしまわないうちに気に入った所を選んだ方がいいかと思います」
「そうか、お前がそう言うならそうしよう」
と、言う次第で今日の目的は完遂。帰路は明日を予定しているので残りはすべて自由時間に費やせます。観光を目的とするなら大帝国時代の建造物を見て回るのも面白そうですし美術館で過ごすのもいいでしょう。劇場で合奏や劇を鑑賞するのも素敵そうですね。
ですが、今後蔑ろにされないよう親子の絆を深めるより私にはやりたい事があります。行楽は学院生活を送る私にお任せするとして、今は限りある時間を有効に使うとしましょう。事を成すにあたって入念な準備が必要ですから。
「お父様。私はこれから聖都の街を見て回りたいと思います。よろしいでしょうか?」
「聖都は治安が行き届いているとはいえ一人では物騒だ。誰かを連れて行きなさい」
「ではトリルビィを連れて行きます」
「ありがとうございます」
私は父と母にお礼を述べて優雅に一礼してみせました。それからトリルビィを従えてその場を後にします。
建物の外に抜けるとすぐ大通りに出るので多くの人が行き交っていました。余所行きとは言え私はドレスを着てガウンを羽織り帽子を被っています。明らかに少し裕福な家の娘に見えるのですが、教国連合の中枢たる聖都ではそう珍しくもありません。似たように上質な生地のローブを身に纏う女性もちらほらと見受けられました。
自分を偽らず、かつ隠れもせずに街中で堂々としていられる。何て素晴らしい事でしょう。
「お嬢様、どちらへ行かれるのでしょうか?」
「市場に出て雑貨を買います。ただお母様方には何を買ったか知られたくないので、トリルビィが自分のお財布から出したって事にしてもらえない?」
「それは別に問題ありませんが、一体何をなさるおつもりで?」
「下準備ですよ」
首をかしげるトリルビィを余所に私は鼻歌混じりに繁華街へと向かいました。
大公国の公都や南方王国の王都も栄えていますが聖都には到底及びません。しかし世界は広く、ここよりもっと華やかで活気に満ちた都市があるんだそうです。教国連合に名義貸しだけしている海洋国家は水の都と呼ばれているんだとか。一度は行ってみたいものですね。
とは言え教国と大公国は隣同士なのもあって市場で売られる品物はそう大して変わり映えしていません。聖都を楽しみたいなら買い物ではなく大帝国時代の建造物巡りや食い倒れに専念すべきでしょう。第一そんなお土産を求めに足を運んだのではありません。
「……松明ですか?」
「蝋燭はお高いですしランプを買う程でもないのです」
私は松明と油、火打石を購入してトリルビィに持たせました。それなりに値切りの交渉をしたつもりですが、おそらくこの裕福な格好から判断されて足元を見られているでしょうね。ですが私がこれから行こうとしている場所には必要不可欠ですので、背に腹は代えられません。
それから私は鍛冶屋に赴きました。屈強な殿方がノコギリや草刈り鎌を物色している中突如としてか弱い小娘が異分子として入ってきた時の反応は、まあ、予想通り驚かれた上で奇異な目で見られましたね。トリルビィは場違いな所に来たのではと不安を露わにしています。
「お嬢様……一体こんな所で何をお買いに……?」
「さすがにボルトカッターまではありませんか。あったとしても私には重くて使いこなせないでしょうね」
「ぼるとかったー? 一体何なのですかそれは?」
「これで行けるのかは怪しいですが……やってみるしかありませんか」
私が品定めを終えて手に取ったのは弓のこぎりでした。日曜大工が趣味だったわたしのにわか知識しか頼りになりませんが、おそらくは目当てにしていた金切りのこぎりの筈です。コレの出番は無いよう願いたいのですが……。
案の定店の主人に「これ下さい」と提示したら変な目で見られました。庭の手入れをするにも使用人に任せればいいのにどうしてどこぞの貴族の娘が自分で来店して道具を選定してるんだ? 浮かべている疑問はこの辺りでしょうか?
「嬢ちゃん。それは大人の男でもおいそれと使っちゃいけねえ代物だぜ」
「存じています」
「なら危なっかしくて売れねえ、って俺が言ったらどうする?」
店の主人はとても低くて渋い声で私に注意を促しました。ですが門前払いでないだけ交渉の余地はありそうです。やはり一応は客として来ているのですから無碍に扱おうとはしないのでしょう。好印象を抱きます。
「やりようはいくらでもあります」
「ほう、例えば?」
「そちらにいる殿方にその工具が買えるだけの貨幣を渡します。そして買っていただいたら成功報酬を払って工具を貰い受けます。小娘で駄目でも大の大人でしたら問題無いのでしょう?」
「……成程。確かに嬢ちゃんの言うとおりやりようはいくらでもあるな」
店の主人は刃で私の手が傷つかないよう工具を皮で包みました。それからお支払したお金と引き換えに私へと差し出しました。私は礼を述べつつ受け取ります。自分で抱えようとしましたがトリルビィに取り上げられてしまいました。
「負けたよ嬢ちゃん。何に使うにせよ気を付けてな」
「ええ、心得ております。ご心配いただきありがとうございます」
目的を終えた私はほくほく顔で店を後にしました。逆にすっかり荷物持ちになってしまったトリルビィは一体何に付き合わされているのか理解出来ていないようです。しかし私が何かよからぬ事を企てているとは察しが付いているようで、向ける視線はこちらを咎めるようでした。
「お嬢様。そろそろ一体何をなさろうとしているのか教えていただけませんでしょうか?」
「そうですね。トリルビィになら話しても問題無いでしょう。実は――」
「あれ、キアラじゃん。こんなトコで会うなんて奇遇じゃんか」
私の説明に割り込んできた声には聴き覚えがありました。やや特徴がある、そしてまだ成熟してない若々しい艶のある声は私の後ろから聞こえてきました。人の往来で賑わう中でも私はその声の主を見つけ出す事が出来ました。
彼ら二人は私に気付くとこちらへと歩み寄ってきました。
「お久しぶりです。チェーザレ、そしてジョアッキーノ」
二人の男性、チェーザレとジョアッキーノとの再会に私は自然と笑みがこぼれました。




