私は女教皇を欺きました
「それではお聞きしますが、貴女は聖女適性検査の結果を偽りましたか?」
「いいえ、私は一切の不正を行っておりません」
いきなり核心を突く質問でしたが私は平然と答えました。フォルトゥナは天秤を凝視しますがどちらの皿にも傾く気配はありません。どのような状態が何を指すのかは存じませんが、フォルトゥナの驚く様子から察するに結果は予想と異なっていたようです。
甘い。それでは存分に抜け穴を潜れと言っているようなものですよ。
何故ならどの適性検査を指しているのか不明確ですからね。
フォルトゥナの質問はおそらく過去二回の聖女適性検査を想定しているのでしょう。しかし私にはかつての私が経験した最初の聖女適性検査もあるのです。純粋だった私は神官の言われるがままに適性検査を受けてその素質を見出されましたから。
嘘は言っていないから審判の奇蹟も白だと示したのでしょうね。それでは真実を暴けません。
「ご満足いただけましたか?」
「いえ、まだです。貴女は神より奇蹟を授けられましたか?」
「奇蹟は授かっていませんね」
「……っ!」
悪びれも無く言い放った私の虚言にも天秤は反応を示しませんでした。フォルトゥナが食い入るように見つめても結果は変わりやしません。
これもまたフォルトゥナの聞き方が悪いのだと主張致します。と申すのも、『奇蹟』の奇蹟が存在しているからです。
例えば人の力ではどうにもこうにもならない時、まるで神の意志が働いたかのように物事が都合よく転がって苦境が解決される。そうした理論的には説明出来ない偶然が重なっていく事象を意図的に起こす奇蹟こそが『奇蹟』なのです。
ちなみに奇蹟の奇蹟を体現した者は未だかつておりません。それもそう、乙女げーむで設定資料集で記載されるだけしかない幻の奇蹟なのですから。もし本当に奇蹟の聖女が現れたら何だか良く分からないうちに人々は救済されていくのでしょうね。
「適性検査は正直に受け、奇蹟にも見放された私が果たして聖女になれるのでしょうか?」
「そんなっ! エレオノーラ様の神託では確かに……!」
「単に貴族令嬢とは別の定めがあると暗示されていただけとお聞きしています。私はエレオノーラ様の早とちりだったのではと考えておりますが、如何でしょうか?」
フォルトゥナはぐうの音も出ない程論破された感が滲み出ていました。ですがもはやこれ以上追求しようにも浴びせかける質問が思いつかないのか、苦悶の表情を浮かべていました。勝ちを確信した私は内心でほくそ笑んだ後、女教皇へと礼をします。
「フォルトゥナ様の審判の奇蹟によって私が取るに足らない小娘である事は完全に証明されました。これ以上何かございますでしょうか?」
「神に誓って聖女とは決して至れないと申すのか、と聖下は仰っております」
「そもそも私は神への信仰が揺らいでおります。迷える子羊に過ぎない身でどうして人を救う聖女になれましょう?」
女教皇直々から質問を投げられるのは意外でしたが内容は想定内です。はいかいいえで答えてしまうと不利になる場合は論点をすり替えてしまえばいいのです。偽らざる本音を打ち明けたのですから審判の奇蹟には引っかかりません。
女教皇本人は私に素質があろうがなかろうが些事だと思っているらしく、淡白な反応のままで傍の女神官に耳打ちしました。私へと向ける女神官の眼差しには若干の侮蔑が込められています。もはやこれ以上の茶番は無用とでも言いたそうですね。
「もう十分であろうフォルトゥナ、と聖下は仰っています」
「しかし、それでは神がエレオノーラ様に与えし天啓に説明がつきません!」
「既にこの娘は神の奇蹟の代行者にはなれないと証明された故これ以上は不要、と聖下は仰っています」
「……っ。御意」
フォルトゥナは無念だと顔を歪ませて引き下がります。天秤を持つ手も僅かに震えていました。まさか神より与えられし奇蹟をもってしても私の真実を暴けなかった無力さが悔しいのでしょうかね? 私はそれより彼女には奸智が足りないと思うのですがね。
「話は終わりだ下がれ、と聖下は仰っています」
「では、失礼いたします」
随分と上から目線ですね、と内心不快に思うもののおくびにも出さずに私は一礼しました。聖女だの神だのに関わりたくない私からすれば立ち去れとの命令は大歓迎です。言われたからにはすたこらさっさだと私は踵を返す……前に少しの間女教皇をじっくりと眺めました。
ふむ、やはりこの者には心当たりがありませんね。
聖女の頂点に君臨する女教皇は乙女げーむでは出番がありません。ヒロインが大聖女として覚醒して女教皇となるルートがあるぐらいで彼女自身は影も形もありません。エレオノーラを始めとする聖女達は立ち絵台詞有りなのですがね。
乙女げーむは学院に通うヒロインの一人称だから女教皇とは住む世界が違う、なんて言い訳は通用しません。げーむ内では他の登場人物や第三者視点の閑話も挟まれていますから。女教皇すら気に掛けるヒロイン、との構図の方が説得力が出るでしょうに。
女教皇にもなると救済の奇蹟すら授かった稀代の聖女候補者も意に介さないのか、逆に物語開始時点では状況が変わっていて女教皇はいない、とかでしょうか? 可能性は幾つか考えられますが……まあ、舞台に上がらない大物女優なんて興味ございませんし。
私は堂々と女教皇の間を後にしました。わずかに早歩き気味の私にルクレツィアが早歩きで追いついてきました。ルクレツィアは私と肩を並べながらもその視線は後ろの方、女教皇の間へと注がれていました。その瞳に僅かばかりの失望を宿らせて。
「残念ね。あそこまで耄碌していたなんて」
「耄碌? 女教皇聖下がですか?」
「だってそうでしょう? 聖下はエレオノーラが授かった神託を信じきれなかったんだ。人生の経験に基づいた常識を優先させるなんて、もうあの方に神の声は届いていないのかもしれない」
空しさややるせなさを露わにするルクレツィアの呟きを私は単なる他人事として聞き流します。女教皇が老害に成り果てようと今の私には全く関係ありませんし。それより私はもう今後は教会からも聖女からも追いかけられないと思うと小躍りしたくなってしまいます。
「ところでさっきは聞かせてもらえなかったけれど、キアラ嬢はどんな神託を受けたの?」
「ですから、何を仰っているのか私には分かりません」
「はい、嘘」
……そんな油断が失態を招いたのでしょう。悔やんでも悔やみきれません。
私が失言に気付いて慌ててルクレツィアへと振り向くと、なんと彼女はこちらへフォルトゥナの天秤を向けていました。天秤は両方の皿に何も置かれていなかったのに片方に傾いています。いえ、正確には先ほど私の血を落とした方が沈んでいるのです。
ルクレツィアは歯を見せて笑いました。彼女が傍らに視線を逸らした先には法衣の裾を両手で握ったフォルトゥナが悔しそうに自分の唇を甘噛みしています。ルクレツィアから差し出された天秤を受け取る手は不甲斐なさから生じる憤りか恥辱かで僅かに震えていました。
「程度の差はあっても神の声を聞けない聖女はいない。フォルトゥナ様はもっと頭を働かせないと」
「……面目次第もありません」
「さて、これでキアラ嬢が神託を授かっているって証明できたわけだけれど、まだ何か反論があるかな?」
確かに聖女は誰であれ神託を授けられます。エレオノーラは神託の聖女と呼ばれる程なのですから正確かつ具体的な啓示を受けるのでしょう。私の場合は使命の強要、すり込みとの認識ですがね。聖女候補者であれ素質がある者なら幼年期には神の声を聞く事もあります。
そう、聖女候補者となる適正値を満たさなくても神の声は聞けるのですよ。
「確かに私は何者かの声をふと耳にする事はあります。フォルトゥナ様の奇蹟によればそれが天啓なのでしょうが、それだけです」
私の暴論にフォルトゥナが顔色を変えて私に詰め寄ろうとしたのですが、ルクレツィアに手で制されました。彼女はただ私を見つめています。私は確かに詭弁を並び立てる負い目があるもののここで引き下がれはしません。
私はルクレツィアを決意を持って見据え返します。するとルクレツィアは何故か分かりませんが嬉しそうに微笑み返してきました。
「私は、無理にキアラ嬢を聖女候補者として迎え入れる事が正しいとは思えない」
「何故ですか!? 我々には次の世代の人々を救済する聖女となるに選ばれし少女を見つけ出す使命が……!」
「それは教会の勝手な主張だね。教会が常に神の意思を反映しているとはフォルトゥナ様だって思っていないのでしょう?」
驚愕して抗議するフォルトゥナを余所にルクレツィアは真摯に私を見つめてきました。
「私はキアラ嬢の意思を尊重しよう。正しき事を成せ、との私が聞いた神託の通りに」




