私は聖都でも救済が必要と聞きました
救済、それは強く想う相手を救う奇蹟。
例えば先天的な障害を改善させ、例えば困窮した家計を上向かせ、例えば傷ついた心を癒し。時と場合を選ばず様々な形で苦しむ人へと手を差し伸べて引き上げる。それは正に究極の奇蹟、神の愛の体現に他ならないのです。
他の奇蹟など児戯も同然でしょうね。だって他の全ての奇蹟は人を救うために神より授かりし能力。つまり人の救済を悲願としているのですから。むしろこれまでの聖女は全てこの救済の奇蹟をこの地上にもたらすために存在いていたと断言したって過言ではございません。
ヒロインが救済の奇蹟を発揮するのは乙女げーむの舞台でも終盤に差し掛かった辺りになります。るーとごとに救済の効果は異なりますが、一貫してヒロインと相思相愛になった攻略対象者を救う為に使われていました。それから物語は最高潮に達していくのです。
「本当、セラフィナは神に愛されているのですね」
「主人公補正に尤もらしい設定を付けたらこうなっちゃったんじゃない?」
「そんな身も蓋も無い事を……」
あえて欠点を挙げるのでしたら救済に結びつかない事象は起こせない、でしょうか。例えば貧しい家族にお金を施すのが救いになりますか? ささやかながら幸せならそれ以上は贅沢でしょう。風邪や怪我を安易に奇蹟で治しても? 免疫力や抵抗力が育ちませんね。
より多くの人を助けたいなら汎用性が高い治療や浄化の奇蹟の方が優れています。ヒロインが至高ながらも融通の利かない奇蹟が与えられたのも、ぷれいやー視点で普通の女の子が素敵な殿方との恋路を送る話になるように、辺りですか。
祝福も救済もすぐに目に見える形にはならない奇蹟です。聖女候補者として教育を受ける中で奇蹟の扱い方も学んでいるのでしょうが、妹は苦労していそうですね。それとも救済の奇蹟から漏れ出るように派生される奇蹟の各種を使って勉強しているのでしょうか?
「大体、救済の奇蹟だって万能じゃないじゃん。あんまり欲しいとは思えないなー」
「それを仰るなら奇蹟自体が無用の長物なのですが?」
「あははっ、そりゃ違いない」
まあ、どちらでも構いませんか。妹が歴史に名を刻む大聖女になろうと私にはこれっぽっちも関係ありませんし。悪役令嬢が妹に嫉妬する気が知れません。物語上のキアラは聖女の何に憧れてわざわざ悪意に染まったのでしょうね。
「家族と久しぶりに会えたのにあまり嬉しそうじゃないね」
「……!?」
急に声をかけられた私は思わず体をびくっと反応させました。慌てて声のする方へと顔を向けると、二十代半ばから後半辺りだろう女性が微笑みながらこちらを見つめていました。長い睫毛や長い猫っ毛も気になりましたが、凛々しい面持ちが一番印象に残りました。
服装から判断するに彼女は神官のようです。文献で読みましたが神官にも階級があって役割が異なるんだそうです。聖女を守護、補佐する神官が最上級でしたっけ。彼女の場合は着ている衣から窺うに雑務をこなす一般階級の神官と思われます。
「失礼、名乗ろう。私はルクレツィア。元はしがない貴族の三女って奴さ」
「キアラと申します。妹がいつもお世話になっております」
「ああ、いい。頭は下げなくたって」
妹と父達は近状を楽しく語り合っていました。妹を監視する神官は床へと視線を落としました。おそらくステンドグラスから差し込む日光の角度から大よその時間を確認したのでしょう。再び妹へと向き直りましたからまだ面会時間はあるようです。
「キアラ嬢、君がそうか。エレオノーラ様が妙に執着していたご令嬢だったかな?」
「それは聖女様に下った神託を誤って解釈しているせいだと思うのですが」
「その線も捨てきれなくてあの人ったら若干滅入っているみたいなんだ。今度会ったら慰めてやってくれないかな?」
「会う機会がありませんのでお答えいたしかねます」
うぐっ、まさか一般の神官にまで私の噂が広がっているなんて。エレオノーラったら一体どれぐらいの規模で言い触らしているのでしょう。十中八九リッカドンナとの一件がそれに拍車をかけているんでしょうし。ため息しか出ませんね。
「ところで初めて総本山に来た感想はどうかな? 凄かったでしょうーあの囲いの壁とか」
「はい。生まれて初めてアレほど大規模な建物を目にしました」
「ここの教会堂もかなり歴史を刻んでいるんだけれど、やっぱり聖都に来たからには一度は大聖堂に行ってほしいな。神の教えをいかに人々に伝えるかの工夫が凄いんだ」
「存じています」
識字率が高くないこの世界で布教するにはやっぱり教えが分かりやすく、かつ神の威光を知らしめないと。ですから聖都内の教会はどれも維持費の捻出に苦労しそうな程無駄に豪華な造りとなっているのです。聖都の大聖堂と言ったらその最高峰で有名ですし。
ですが私から言わせれば神や聖者の教えを直接伝える事に重点を置くべきなのではないかと。よって聖書を読み聞かせるのが一番でしょう。教会の意図が混ざっていない純粋な教えを広めるべきかと。わたしの人生を経た結果培われた視点に感謝ですね。
「うーん、そうするにはもっと印刷技術を上げないと駄目だろうね。庶民には本なんて高価な代物は一生かかったって手を出せない場合は多いし」
「木版で刷ろうにも紙も高価ですしね」
「地道に教会を建てて神父を派遣するか、宣教師を向かわせるかしかないのかなぁ」
「別にある程度量産出来たら貸本の形で行き渡らせればいいのではありませんか?」
「……貸す、か。それはいい考えかもしれないね」
ルクレツィアはただ家族を眺めるばかりの私にしつこい程に語りかけてきました。ですが彼女の考えや視点が教会関係者らしくなかったからか、不思議と受け答えが弾みました。意見を出し合う度に私が煽ったりルクレツィアが感心したりしました。
「幸か不幸かキアラ嬢の滞在中はエレオノーラ様もリッカドンナ様も外に出払っちゃってるんだ」
「それはようございました。ルクレツィア様から苦情を言っていただくようには?」
「神が言っているからって言って聞かないからねえ。神のお言葉は全てに優先するのさ」
「冗談ではありません……付き合わされるこちらにはいい迷惑です」
とは言え所詮は暇つぶしの範疇。別段私の立場が改善される根回しになる訳でも不利に転じもしませんでした。きっと名乗り合ったからって彼女との接点だってこれっきりになるでしょう。出会いとはそんなものですし。
「神託など所詮は――」
と本音が漏れる直前でした。
不意に私は語りかけられたのです。
私は教会堂を飛び出ました。広大な広場とその周囲に並ぶ建造物。少しずつ目を動かしていった私はその内の一点を見据えました。あの方向はかつての私が慣れ親しんだ、人生の何割かを過ごした場所と評していいでしょう。
ルクレツィアは歩いて、けれど少し大股で、こちらへとやってきました。彼女もまた私が見つめる方へと顔を向けました。こちらに微笑みかけていた優しさは消え、真剣な面持ちに引き締めています。
神は言っています、全てを救えと。
教会総本山のここで何を救えと仰るのでしょう? 現代の聖女だっていらっしゃるでしょうに。腑に落ちない私は疑問を浮かべつつ漠然とした神託しか授けない神に軽く憤りを覚えます。こう、たまには方針だけではなくもっと具体的な助言を下さっても良くありませんか?
「ねえ、どんな神託を受けたの?」
思わず質問を投げかけてきたルクレツィアへと振り向くと、彼女は既に教会堂内と同じ雰囲気に戻っていました。いえ、先ほどよりもよりこちらへと興味津々とばかりに目を輝かせていました。
「……何を仰っているのか分かりかねます」
「じゃあ私の方から教えちゃおうか」
ルクレツィアが? 神官なのに?
そんな疑問も浮かびましたが聖女候補者が全て聖女へと至るわけではないんだと思い出しました。奇蹟を授かっていても聖女を名乗るには不十分だった者の数少ない進路の一つが神官なんでしたっけ。
そんな今はどうでもいい私の考えを余所に、彼女は絶対の自信を込めた笑みを見せました。
「神は言っている。正しき事を成せ、と」




