私は屋敷での接され方が変わりました
妹が聖女候補者として聖都へ向かってから一年以上が経過いたしました。
年を重ねれば重ねる程に時の進みを早く感じてきますが、少女キアラとして送る日常は中々に長く感じました。心がかつての私やわたしの経験で成熟していても脳や身体の未熟さでそうなってしまうのでしょう。
あの日を境に私の境遇は少しばかり変化が現れました。
「キアラ。私に何か隠し事をしていないか?」
まず、お父様は私への疑念を抱いているようでした。
ある日の事、珍しく日が昇っているうちに政務を終えて屋敷にお戻りになられたお父様は私を執務室にお呼びになりました。屋敷でも執務に励む程仕事の虫なお父様が私を気に掛けるなんてどうしたのかと本気で不思議に思ってしまいました。
「お父様に隠し事だなんてそんな、恐れ多いかと」
「神に誓って思う所は無いか?」
「改まってどうしてそのようにお聞きになるのですか?」
勿論思う所は盛り沢山ですがお父様にはお話しいたしません。そして神に誓って真実を口にする意思だってこれっぽっちも湧きません。けれど嘘をつく気にもなれない私は早く核心を仰って下さいと話を振りました。
「……この間のキアラと浄化の聖女様のやりとりが気になってな」
「ええ、聖女様は何やら盛大に勘違いをなさっておいででしたね。フィリッポ様を私が奇蹟で治したとか」
「王国の公式発表では浄化の聖女様が治療された事になっている。ただ王宮内では通りすがりの奇蹟を担う乙女が宮廷音楽家を救った、と噂されていたぞ」
「それはようございました。フィリッポ様の演奏はとても素晴らしかったですから、その腕前が失われる悲劇があってはなりません」
私はお父様を前にしても動揺せずに当たり障りの無い返事を返します。お父様は顔をますます曇らせて私に疑いの眼差しを向けてきます。部屋の中は書記官や執事達を退室させていて私達二人きり。空気が重苦しい事この上ありません。
「第一、チェーザレ様とジョアッキーノ様も仰っていたではありませんか。私は自暴自棄になったフィリッポ様を取り押さえるだけだった、と」
「あぁ。聖女様の仰ったとおり証拠は無いな。しかしそれは殿下方と口裏を合わせて――」
「それはお父様の憶測に過ぎません。私が奇蹟を授かっていないと証明されている以上は時間の無駄だと申し上げます」
「……っ。いや、確かに浄化の聖女様だけが疑っているならそうかもしれない」
言いませんけれど若干僻みも入っているかもしれませんでしたね。自分では治せなかったフィリッポを治してしまいましたので。あの場で聖女の責任と義務を看板として掲げた彼女の誇りは尊敬に値すると私は考えます。
しかしお父様に疑念を芽生えさせたきっかけはあの方ではありませんね。十中八九……、
「だが、神託の聖女様もキアラを疑っていたではないか」
エレオノーラの天啓のせいですね。
神の声を絶対とするエレオノーラが少し欺かれた程度で諦めるとは到底思えません。かと言って聖女の名の下に強硬手段に打って出れば今まで築き上げてきた信仰が失われかねません。あくまで正当な手段で私が奇蹟を授かっていると証明しようとするでしょう。
「エレオノーラ様が授かった神託は存じませんが、キアラに奇蹟を授けたから聖女候補者として迎えに行け、のように具体的なものではなかったのではないでしょうか?」
「何? どういう事だ?」
「神の声は解釈次第だと言っているのです。神が聖女を介して手取り足取り人を導いているのであれば、この地上から罪は消えてなくなっている筈ですから」
「ぬう……」
しかしそれは起こらないかもしれない未来の話。今は私は神に愛されていない小娘に他なりません。立証する術がない以上私はしらを切りとおせばいいだけですから、わたしの言い回しをお借りするなら、ぬるげーです。
「そもそも、奇蹟を授かるのは神に愛されている証だからとても名誉な事だ、と仰ったのはお父様とお母様ではありませんか。まさかお父様は私が神に背く異端者だと仰るのですか?」
「い、いや。そんな事は無いぞ」
「では私はどこにでもいる娘に他なりません。それでは物足りませんでしょうか?」
「……私が悪かった。偉大なる聖女様二人がキアラを意識するものだからつい私もそんな目で見てしまってな」
致し方ないかと。それほど教国連合諸国では聖女は絶対視されているのですから。
その場はそれから恭しく一礼して退室して終幕となりました。ですがお父様は聖女候補者になった妹や後継ぎの弟ばかりでなく私にも少しずつ気を向けるようになりました。近状をお聞きになったり世間話を持ち掛けたり。
そんなお父様に私はこれまでより父親を感じました。
とは言えそんなお父様をお母様はあまり理解していない様子でした。少し体調を崩して南方王国に同行出来なかった為に聖女達が私に目を付けていると説明されても話半分だと解釈しているようです。
ですがお母様は依然として私にあまり関心が無いまま、とはいきませんでした。南方王国有数の名門貴族のご子息であるジョアッキーノと仮婚約を結んだせいです。貴族の娘としてこれ以上無い家への貢献と言える快挙にお母様は興奮なさっていました。
「素晴らしい縁談に恵まれて私も嬉しく思います。ですがキアラ、なおさらジョアッキーノ様に相応しい女性にならねばなりません」
「はい、お母様」
お陰様で更に完璧な礼儀作法や教養を求められました。厳しいと思いましたが転生を繰り返して別の人生を知っている私は女として磨かれていく自分が素敵だと惚れ惚れしてしまいまして。あと頑張る自分を素敵って思うのは間違っていないって主張したいのです。
それから使用人達からの接され方も変わったと思います。
「トリルビィ、ちょっといいでしょうか?」
「はいお嬢様、何でございましょうか?」
ある日、まだお天道様が空の真上で地上を照らしつけている時刻、私はとうとうトリルビィに訊ねてみる事にしました。
屋敷では使用人達が掃除や手入れに励んでいます。私の侍女たるトリルビィも例外ではなく私の部屋を掃除しています。本来部屋の主がいるのですから時間をずらすべきでしょうね。私がむしろ貴女の仕事を見学したいと強く要望した結果なのです。
「気のせいかもしれませんけれど……この所みなさん私を敬ってくれていませんか?」
「私共が仕える主のご令嬢なのですから敬うのは当然かと」
「いえ、そうではなくて……。仕事と割り切って頭を下げなくなった、って言ったらいいのかしら?」
どうも皆さんの態度が事務的でなくなったように感じるのです。最初は気のせいかと思っていましたが、すれ違う際に挨拶以外の「今日はいい天気ですね」等の気さくな一言が混じるようになって確信に変わりました。
「嗚呼、成程」
トリルビィは一旦作業を中断して顔をこちらに向けました。掃除道具も一旦置こうとしますがそこまで畏まらなくてもいいと私が促して中断させました。
「聖女適性試験をお受けになる以前のお嬢様は皆さんを遠ざけておりましたよね」
ええ。あの時は聖女にならなければいけないのか、との恐怖と絶望の只中にいました。ですから自分の事でいっぱいで人を気に掛ける余裕などありませんでした。屋敷の中でも最低限挨拶を交わし合うばかりで一歩踏み込もうなどとはとても。
「ですがこちらにお戻りになられた後のお嬢様は使用人にも分け隔てなく接しておられます。お嬢様より人としての温かさを感じたから皆さんそれに応えているのではないかと」
「……そんなに私、向こうに行ってから変わりましたか?」
「はい。通り過ぎる際にもお嬢様の方から挨拶をなさりますし、思い悩んでいる方には親身になって声をおかけになります。何より、失敗を犯しても咎めずに慈悲深くお許しになるようにお変わりになりました」
「自分ではあまり意識していませんでしたが……そう、私が変わっていたのですね」
聖女にならないって開き直った影響でしょうか? それともわたしって別の前世を思い出したからでしょうか?
何にせよ人との繋がりが少しずつ生まれているのは喜ばしい傾向ですね。これからも維持、発展させていければと願わずにはいられません。
「ところでお嬢様。チェーザレ殿下とジョアッキーノ様のどちらが好みでしょうか?」
「……。えっと、その質問は何でしょうか?」
「いえ。素晴らしい男性から同時に好意を持たれた感想をお聞きしたく」
「その、男女の仲まで進展するのはもっと先ではありませんか?」
トリルビィのように冗談を言い合える友人が増えるのはきっと素敵でしょう。




