私は聖女より忠告を受けました
「キアラ、次会えるのはいつぐらいなんだ?」
「私達が聖都の学院に行かねばならなくなる前にもう一度はお会いしたいですね」
「……まだ一年以上もあるぞ。もっと頻繁には来れないのか?」
「でしたら次はチェーザレの方がこちらにいらっしゃって下さい。歓迎いたします」
そしていよいよ出発の時となりました。お父様はジョアッキーノはともかく王子のチェーザレとまで仲良くなった私を意外な物を見る目で瞳に映していました。まさか聖女適性値の低い小娘が王子の興味を惹くとは思っていなかったのでしょう。
「フィリッポが目覚めた際はよろしくとお伝えください。それと、事情を説明する際は先ほど打ち合わせた通りに」
「ああ、分かっているさ」
フィリッポへの治療からまだ半日も経っていませんので彼は気を失いっぱなしです。結局彼には怖い思いをさせた謝罪が出来ませんでしたね。けれどきっと次また会えると信じるとしましょう。会おうと思えば会える距離しか隔てられていませんから。
ちなみに当然フィリッポには真実を打ち明けられる筈もありません。チェーザレやコルネリア方と口裏を合わせて説明する手筈となっています。肉切り包丁を手にした私に関しても理由付け出来るよう上手く調整できたと自賛したいですね。
「それではチェーザレ、ジョアッキーノ。またお会いしましょう!」
「ああ、また会おう!」
「今度はこんな慌ただしくしたくないな!」
馬車が走りだすとチェーザレとジョアッキーノが私に向けて手を振っていました。私も馬車の窓から彼らに手を振り続けます。そんなやりとりは互いの姿が見えなくなるまで続けられました。正直、こんなに別れが寂しいと思った事は無かったのではないでしょうか。
道中でお父様は意外だと口にされたので私は適当に答えておきました。あまり期待してなかった娘が予想外に交流の幅を広げたからですか? とは言いましても結局聖女への道をひた走る妹の方が可愛いのでしょうけれど。
――そんな帰路へと旅立つ私達が止められたのは王都を出る間際でした。
「何事だ!?」
「急停車して申し訳ありません! ですが急な割り込みがあって……!」
声を荒げるお父様に対して御者が焦りと興奮交じりで回答しました。窓から前方を眺めてみると脇道から別の馬車が飛び出してこちらに立ち塞がったようです。貴族の進行を邪魔するなんてと思ったのですが、馬車に描かれた紋章を見て驚いてしまいました。
馬車の主は勢いよく扉を開けるとこちらへと大股で突き進みました。こちらの護衛もさすがの彼女には手出しも出来ずに素通りさせてしまいます。そのまま彼女はこちらの馬車の側面、私が座っている側の扉を叩きました。観念した私は仕方なく扉を開け放ちます。
「ねえアンタ、どういうつもりよ?」
彼女、浄化の聖女であるリッカドンナは軽く怒りを露わにしていました。
リッカドンナはよほど慌てて来たようで法衣が少し乱れていました。それから息も少々上がっていましたので馬車には走って乗り込んだのでしょう。私を逃がすまいとの意思が節々に見られます。
お父様やトリルビィが何か口を挟もうとしたので私は手で制しました。リッカドンナはただ私だけを見据えていましたから。
「どう、とは?」
「とぼけないで。あの宮廷音楽家よ」
わざとらしくしらを切ろうとも思いましたが、さすがに演技をする気にまではなれません。どうやらリッカドンナは私を疑っているご様子。ここはチェーザレ達と打ち合わせた通りに進めるとしましょう。
「悔しいけれどあたしにはあの子を治す程の奇蹟なんて無かったわ。最低限日常生活を送れるぐらいまでにするのが精一杯だったの」
「聖女様が手を抜いていらっしゃるなんて全く思っておりません。最善を尽くされたとお聞きしています」
「なのに昼過ぎにはアイツは完全に治ってた。私以外の奴が彼を治したのよ!」
「それは幸いでした。彼の演奏には聞き惚れましたから。ますますのご活躍をお祈りいたします」
「アンタが王宮内で包丁を持って彼の所に向かったのを見たって大勢言ってるのよ」
「それは私がとある方よりご命令を受けた為です」
「はぁ? 誰よ」
「フィリッポの腕を治せる程の奇蹟を授かっていた方からです」
「――!?」
表向きの話の流れはこうです。
もう二度と演奏できないと失意の底にいたフィリッポはとうとう自殺を企てますが、そんな彼の前に何処からともなく少女が現れたのです。彼女は私に包丁を持ってくるように、チェーザレにフィリッポの曲がった腕を切り落とすよう命じました。私達は言われるがままにしました。
そして、私達は奇蹟を目の当たりにしたのです。なんとフィリッポの腕が元通りになったではありませんか!
少女は使命を果たすとどこかへ去って行きました。こうしてフィリッポは救われたのです。
ちゃんちゃん、お粗末様でした。
「アレほどの奇蹟を授かった方はよほど徳の高い聖女に違いありません。もしくは将来有望な聖女候補者がたまたまこちらに来訪していたのでしょうか?」
「あたしがこっちに来てるのにそんなの出来る奴が来てる訳ないでしょう……!」
「ですが現にフィリッポは治っているそうですね。それが他ならぬ証拠と思いますが」
「嘘ばっか言うんじゃないわよ!」
嘘ではありません。物は言いようと仰って下さい。実は少女が私だっただけで他は全て嘘偽り無いのですから。少女が現れた、去ったのタイミングも何時だったか具体的には説明してませんよね。
第三者が現れた。これが私達がでっちあげた表向きの真実になります。如何に教会とは言え教国連合諸国全ての女性を調べ尽くしたわけではありません。家なき貧民の子供が適性検査を受けていない例もあると聞いております。いないと証明するのは悪魔の証明に等しいかと。
「その辺りのご説明はチェーザレから既にされたものと思われますが、どうして改めて私を問い質そうとなさったのですか?」
「アンタ……とんだ食わせ物ね。エレオノーラ様があの方らしくなく狼狽える訳だわ」
「ご冗談を。私はリッカドンナ様の言う神に愛されなかった者ですので」
「ふざけないで!」
リッカドンナは私に掴みかかりました。見かねたトリルビィが割り込もうとしますが私が構わないと強く言うと堪えてくれました。聖女は怒りを湛えて私を睨みつけます。その怒りは……神を冒涜した私の罪深さへですか。
「聖女は成功する権利があるの。だってそれだけ神に愛されているんですもの。お金も名誉も男達だって思うがままだわ」
あまりの気迫に「暴露してしまってよろしいのですか?」などと挑発に似た問い返しをする余裕はありませんでした。
「でも! それ以上に聖女は神様からの愛に応えなきゃいけないのよ! 悩む人を助けて苦しむ人を助けて、罪深い人を改心させて! それが奇蹟を授かった女の義務でしょうよ!」
「それをどうして私に仰るのです?」
「アンタが神様の声に背いているからよ!」
成程。権利と使命は両立する、ですか。俗物だと過小評価していましたが、リッカドンナへの考えを改めなければなりませんね。
彼女は正しく誇り高き聖女に違いありません。
私を許せないのは当然なのでしょう。理解は致します。
ですがね、神はどのように人を愛していると仰るつもりでしょうか?
愛の果てが人々から罵られて踏み躙られて身を焼かれる末路でしたら、そんな愛など要りません。私は一介の人としての生で十分です。
「そんな事を申されても困ります。現に私は人のお役に立ちたくても何ら奇蹟を授かっていないと診断されておりますので」
「アンタのインチキは既にフォルトゥナ様が暴いたわよ。最初は血そのものに細工して、次は検査用紙にですって? エレオノーラ様まで欺いたのは凄いと言っておくわよ」
なんと、暴かれてしまいましたか。もしや試験結果の用紙を入念に調べられましたかね。執念深いと申しますか。それほどエレオノーラが授かった神託とやらは絶対なんでしょうか? 厄介この上ないですね。
「証拠は御有りですか?」
「えっ?」
「ですから私が治したとの証拠はあるのでしょうか?」
それでもこの場はいくらでも言い逃れが出来ます。何故ならリッカドンナは攻め手に乏しいから。王宮内は口裏を合わせた上で証拠は隠滅、私が奇蹟を授かっているかも定かでない以上、全て憶測の上に成り立っている仮説でしかありませんものね。
「……いえ。無いわ。だから今この場でアンタをどうにかしようとは思ってない」
「そうでしたか。ではそろそろ行ってもよろしいでしょうか? これから祖国への長旅が控えていますので」
おや、意外ですね。強硬手段に打って出て私を捕らえようとするとまで思っていましたが。
そんなしらを切る私に対して、リッカドンナは真剣な眼差しを向けてきました。
「これは忠告よ。アンタも奇蹟を授かっているなら神託は受けているんでしょう?」
「存じません」
「神の意志は絶対よ。目を背けたって逃れられやしないわ」
その一言を仰って用件は済んだようで、リッカドンナは踵を返して馬車に戻って行きました。お父様はまさかの展開に信じられない物を見る眼差しです。トリルビィは心配そうに私の方へと視線を向けていました。
そして、当の私は聖女の言葉が頭の中で反芻し続けたのです。




