私は奇蹟について説明しました
愚問だとばかりに言い放った私に対して一同は沈黙しました。特に生粋の貴族の子息であるジョアッキーノは信じられないとばかりに目を見開いていました。トリルビィもまた口元を手で覆ってまだ驚きから抜け出せていませんでした。
「いやだってさ、聖女って言ったら凄い人達じゃんか」
たまらずに声を上げたのはジョアッキーノでした。願い下げだと主張する私の常識を疑う勢いです。いえ、現に聖女とは神の代行者であり至高の存在と考えられている以上、異常なのは明らかに私の方なのは納得いくのですが。
「神に選ばれし存在、人類を救済する乙女達って奴? 女だったら誰だって聖女になりたいって思うってばっかり……」
「そうは考えない者もいるんだと覚えていただきたいですね」
「どうしてだよ? 聖女候補者になるだけで色々と全然困らないじゃないか」
「富にも名声にも興味ありません」
聖女候補者になった段階で婚約相手に困りませんし誰からも敬われます。聖女にもなれば奇蹟を高く売りつけたり貴族や大商人の御用達になって贅沢だって出来るでしょう。女性なら誰もが羨む夢のような成功を約束された存在。信じられませんがそれが現代の聖女のようです。
しかしかつてと聖女の置かれた状況が改善されたからって釣られる要素にはなりませんね。
「私は神の僕となって身を粉にして人々を救済して回るなんてしたくないのです」
「しょうがないじゃん、だってそれが神から奇蹟を与えられた聖女の宿命……」
「だから、その宿命が嫌だと申しているのです。いいですか、よくお聞きください」
あまりにも無視できない言い分に私は若干言葉を荒げてジョアッキーノへ迫るように前のめりになりました。
「如何に神託に従って奉仕しようと神は聖女を愛しません。聖女自身が救われないのにどうして他者を救おうなどと思えると言うのです?」
「ちょっと待ってくれ。その聖女自身が救われないって何なんだ?」
責めるように強い口調の私に疑問を投げかけたのはチェーザレでした。少し頭を冷やして考えてみますと、確かに傍目からは聖女は皆より傅かれて重宝されて歴史に名を残す羨むべき存在なのでしょう。神への信仰が揺るがない限り使命に従う聖女達は幸福で有り続ける筈ですし。
そうですね。まずはそこから説明する必要がありますか。
「チェーザレ。一つお聞きしますが、聖女の奇蹟とは如何なるものでしょうか?」
「えっ? そりゃあ怪我や病気で苦しむ人を治す的な奴だろ?」
「それは奇蹟の一端に過ぎません。勘違いしているかもしれませんが、聖女だからと必ずしも重体患者を救えるとは限りません」
「どうしてだ?」
「人によって与えられる奇蹟が異なるからです」
例えば単なる擦り傷や切り傷を治す程度である治癒の奇蹟は聖女候補者なら誰でも行使出来る筈です。わたしの経験を踏まえて解釈するなら、自己免疫力と自己回復力を促進させる効果があるからのようですね。同じ理由で微熱や軽い病気も治せるのですね。
ですが指を切り落としてしまった、内臓に重い病気を負った、となれば治療や回復の奇蹟がなければいけません。その効き具合も修練次第で左右されますし、どれ程血の滲む努力を積み重ねても人によって起こせる奇蹟の限界は定められています。
歴史上聖女と呼ばれる方は少なからずいらっしゃいましたが、誰もが複雑骨折した腕を完全治療出来たのではないのですよ。なのでフィリッポを救えなかったリッカドンナを似非聖女だと決めつけるのは早計だと申しておきましょう。
「聖女は列聖される際に最も優れていた奇蹟を称号として授けられると記憶していますが、あの方はどのように呼ばれておりましたか?」
「……浄化の聖女、だったか」
「浄化は毒や邪気、瘴気などの穢れを払う奇蹟です。病気には絶大な効果を発揮しますが、大怪我となると不得手だったかもしれませんね」
「……言われてみたらアイツ結構渋ってたな」
先日街中でリッカドンナが見せた公開治療では様々な病気を治していましたが怪我は軽傷な方ばかりでしたからね。リッカドンナも南方王国そのものを敵に回したくはなかったでしょうから、手当ての前に自分では完全に治せないと強く主張した事でしょう。
それに教会の権威を損ねるような輩は聖女に任命などされません。私に突っかかってきたのは逆にそれだけ聖女としての役目に誇りを持っているとも受け取れます。まあ私の憶測が多分に入り混じっているので断言は禁物ですがね。
「では、キアラ様が授かった奇蹟とは一体何なのでしょうか? 欠損した腕を再び生やす程の奇蹟なんてお目にかかった事が……」
「何か昔に戦場を駆け抜けた聖女にそんな奇蹟を行使してたって言われてるっけ?」
「再生、の奇蹟でしたか……」
「世紀の大聖女に勝るとも劣らないじゃないか。そんな奇蹟まで与えられてどうして神を忌み嫌うんだ?」
再生、ですか。確かにフィリッポの腕を取り戻すなら再生の奇蹟で十分ですね。しかしささやかな奇蹟を兼ねる大きな奇蹟も存在しているのです。解毒や闇払を兼ねる上位互換の浄化もその類として扱われます。
そして、再生や治療、回復、浄化等の生命活動を再び取り戻す奇蹟を全て内包した奇蹟。それが私に与えられし神の首枷なのです。
「復活。それが私に与えられた奇蹟です」
「……っ!?」
ようやくチェーザレ達も事の深刻さを悟ってくださったようです。コルネリアやトリルビィは愕然としましたし、ジョアッキーノはマジかと顔をひきつらせ、チェーザレも僅かに顔をしかめました。この場に王宮近衛兵がいたら即刻捕らわれたでしょうね。
だって、人は死後神の下に召されるとされる教会の教えに真っ向から背いているんですもの。神の下である天国から、または罪を償う為に罰を与えられる地獄から地上に引きずり戻す蛮行。それが復活の奇蹟と考えられても仕方がありません。
「死者を蘇らせた私は聖女の身から転落、魔女扱いされて裁判にかけられました。過程は思い出したくもないので説明しませんが、最終的に魔女として人としての尊厳を踏みにじられ尽くして処刑されました」
「死者蘇生って、まさか……!」
コルネリアは真っ青な顔をさせて一目散に本棚へと駆け寄りました。彼女は古びた本を取り出して頁を一心不乱に捲っていきます。そしてある項目に目が留まり、力を失った手から本が床へと落ちていきました。
チェーザレが母へと駆け寄ろうとしましたが彼女は大丈夫とつぶやきながら戻ってきます。酷く愕然とした様子で今にも気を失いそうなほど顔面蒼白となっていました。それでも何とかコルネリアは席に戻ってテーブルに本を広げてみせました。頁をめくる指を振るわせつつ。
そこに描かれていた挿絵の者は酷く醜く描かれていました。逆さ十字架かつ火刑に処される魔女に民衆が石を投げつける様子は神に仇名す愚か者の末路を私達にこれでもかと見せつけます。私は何の感慨も無く見つめていましたが、他の人達はそうでないようでした。
「反魂の魔女、マルタ……」
そう、それは如何にかつての私が背信行為を行ってきたかをつらつらと書き記した、教会の定めた正史だったのです。
「後世に残された記録は初めて見ましたが、散々なこき下ろされ様ですね」
かつての私が犯した罪とされる事象のほとんどは身に覚えがありません。それに私が神託のままに行った救済が何一つ記載されていませんでした。よほど私の聖女としての活動を認めたくなかったのでしょう。少し苛立ちを感じてしまいます。
「いや、待って。ちょっと待って。この魔女マルタって死んだんだろ? でもキアラは生きてるじゃないか。どういう事だよ?」
「……あー、そう言えばこの考え方は異端とされていたんでしたね」
あまりの衝撃にたまらず声を上げたジョアッキーノですが、仕方がありません。死後に神の下に召されるとされる教えにおいては復活は救世主にのみ与えられし奇蹟ですし、そして……、
「私、転生の奇蹟も授かっていますので」
輪廻転生の考え自体がありませんもの。




