私は血染めのドレスを着替えました
神託によって定められつつある未来に怯える私はチェーザレの提案で血染めのドレスを着替える事になりました。
彼は部屋まで私に付き添ってくれました。目の前が真っ暗になりそうだった私の足取りはおぼつきません。支えてくれるチェーザレが何と頼もしかった事か。
「キアラに替えの服を用意してくれ」
「っ!? 殿下、一体何が……!」
「フィリッポの再治療をしたせいだ。詳しい話は追って知らせる」
「かっ、畏まりました。ですが殿下の御召し物は……」
「後でいい。準備だけしておいてくれ」
衣服や寝具のシーツを畳んでいた使用人達は血にまみれた私達を見て声を失いました。チェーザレは矢継ぎ早に指示を送ったので使用人達の疑問はすぐさま止みます。チェーザレは身体を震わせる私の華奢な両肩を以前より大きくなった手で掴みました。
「キアラ。俺はあっちに戻って後片付けを指示してくる」
「あの、チェーザレ、私は……」
「大丈夫、とりあえずみんなにはあの時に見た事は絶対に喋らないよう指示を出しておくから。これからどうするのかは後でゆっくり話し合えばいいと思うぞ」
「え……ええ……」
彼はどうしていいかも分からない私の手を取って導いている、そんな錯覚に陥りました。それが今の私にとってどれほど心強いものだったか。彼が思っている以上の絶望の淵にいる私にとってチェーザレは希望にすら思えてしまったのです。
王宮使用人の手を借りて着替えている最中も私の視線は去っていく彼の背中を追っていました。彼だったらきっと私の苦しみを打ち明けられる、とすら考えてしまう程に。彼を巻き込むわけにはいかないと理性は強く主張しますが、未だ神託の意のままだった私はもう限界でした。
「いいの? 秘密を知ってる人が増えたらいつか聖女の耳に入っちゃうかもしれないわよ」
「……このまま抱え込んでも神託に唆されて救済に励んでしまうでしょうから」
「反対はしないけれどそれなりのやり方があるでしょう? 破滅の回避、それがまず最初の悲願なんだからさ」
「勿論です。まだ弱さを全て曝け出すほど追いつめられてはいません」
甲斐甲斐しく私の身体を蒸し手拭いで拭う使用人の後ろでわたしが語りかけてきます。言われるまでもなく真実を打ち明けてこの場限りで心が軽くなっても意味がありません。どうせ明かすなら私の味方になっていただかないと。
聖女だの悪役令嬢だの、神や他の者達に利用されるだけの人生はまっぴらごめんですから。
「キアラ、終わったか?」
チェーザレが戻ってきたのは私が着替え終えてからでした。彼はフィリッポの部屋まで往復して後始末をしてきたにも拘わらず新たな服に着替えていました。こういう身支度に要する時間の差が男女間で生じるのはどうにか出来ないものですかね。
「はい。お借りしたこのドレスですが、一度袖を通してしまった以上は私より買い取りの形とさせていただければ」
「いや、いい。金は要らない。元の持ち主にはこっちで新しいのを用意するから」
「そう言う訳には参りません」
「いいから。フィリッポを救ってくれた礼の一部とでも考えてくれ」
先程はチェーザレの時のような取ってつけたような打算すらありませんでした。自分の事で頭がいっぱいでそこまで気が回りませんでしたが、善意は有難く頂きましょう。このドレスの持ち主とは体格が近いのか、若干裾が長めな以外はほとんど気になりませんし。
「血まみれなのはこっちで処分してもいいか?」
「問題ありません。本当なら持ち帰って無事な箇所を裁縫の材料にしたかったのですが、国を越えた長旅には荷物になるだけですし」
「再利用か。うん、そうだよな。結構いい生地使ってるし出来る限り無駄にはしたくないし」
「チェーザレはさすがですね。倹約に励めば国も豊かになりましょう」
使用人は先ほどまで私の身を纏っていた血染めのドレスを丸めてから恭しく一礼すると退室していきました。私もチェーザレに促されて部屋を後にします。向かう先は出口……ではなさそうですね。
「それで、どのようにあの場の後片付けをしたのです?」
「どうって、増えたフィリッポの腕は誰にも見せられないからとりあえずジョアッキーノにあずかってもらった。後で共同墓地にでも埋めてくる」
「私に腕を元の姿に戻せる程の奇蹟があればフィリッポに怖くて痛い思いをさせずに済んだのですが……」
「数人しかいない聖女の一人があんな応急処置しか出来なかったんだ。贅沢は言ってられないって」
私が授かってしまった復活の奇蹟は天に召された死者すら再び生命活動をさせるもの。既に治ってしまっていたフィリッポは改善させられないのです。なので彼には再び傷ついてもらう他ありませんでした。後で彼には謝罪しなければいけませんね。
「床掃除は使用人に頼んでおいた。フィリッポには悪かったけれど自暴自棄になって鼻を打ったせいで鼻血が出たって事にしておいたから」
「……まあ、その程度の名誉の損失は致し方が無いかと」
「それからフィリッポは気絶したままだったからまたベッドに寝かせておいたぞ」
「目撃者はどうなさったのです?」
「フィリッポを看病してた使用人なら途中で気を失ってたじゃないか。後は俺とジョアッキーノとキアラん所の侍女ぐらいだったと思うぞ」
あれ、そうでしたっけ? 言われてみれば確かにチェーザレ達三人の他の反応は返って来ていなかったような。扉は閉まっていましたから外から状況は窺えませんし、部屋はフィリッポが独占していたので他には部屋にいませんでしたし。
フィリッポの方は後からいくらでもごまかせるでしょう。ですがジョアッキーノとトリルビィには最低限打ち明けなければいけませんね。二人が私を庇ってくださるか聖女に突き出すかは私の話術にかかっていますか。
「ジョアッキーノ様とトリルビィはどうしました?」
「とりあえずは母さんの所に行ってもらってる。……さすがにこのまま解散ってわけにはいかないだろ?」
「お心遣い感謝いたします」
もう隠せないのですから真実と向き合わなければいけません。
他人の秘密を突き付けられるトリルビィ達ではなく、告白する私の方が。
■■■
コルネリアの部屋は国王の寵愛を受ける妃に相応しく広い間取りでした。しかし思い描いていたような豪華絢爛な様子ではありません。私物は少ないですし調度品も要所に置かれるのみ。簡素にまとめられて清潔、それが部屋全体に品格をもたらしていました。
そんな広い部屋には寂しい人数しかおりませんでした。私が前にするのはコルネリアとチェーザレ、そしてジョアッキーノのみ。コルネリア付きの侍女を始めとする王宮使用人達はコルネリアの命令で人払いされていました。私の傍らにはトリルビィが控えています。
「お嬢様、気分が優れないようでしたらまた日を改めて……」
「いえ……今日を逃せば当分の間明かす時間は来ないでしょう。何より告白する勇気がある今しか考えられないのです」
「……承知致しました」
トリルビィは私の真実よりも私の身を按じてくれていました。そんな心遣いが今の私には心強くてたまりません。コルネリアもジョアッキーノも真実なんかより私へ心配が先行しているようでして、とても嬉しゅうございました。
そんな彼、彼女達だからこそ私は嘘の無い真実を口に出来るのです。
「結論から申しますと、先ほどフィリッポに施したのは聖女の奇蹟と呼ばれる代物に間違いありません」
「はあっ!?」
一番大声を上げたのはジョアッキーノでしたが皆大なり小なり驚きを露わにしていました。ただコルネリアとチェーザレは同時に納得いったように頷いてもいましたが。ジョアッキーノは片眉を吊り上げて頭に疑問符を浮かべている様子でしたね。
ちなみに聖女になる前の候補者が奇蹟を行使する例は歴史上あったそうです。神より使命を言い渡されている、と有難がられるんだそうですが、神を凌いだ崇拝の対象になる前に教会で保護して正式な聖女となるよう教えを施すんだとか。
「いや、ちょっと待ってよ。キアラは聖女の適性値が低いから父さんの嫁になるって話でこっち来たんじゃなかったのかよ?」
「はい。適正値が低いと偽ったためそうなりました」
「嘘だろ……。聖女って特権目当てでズルする女は結構いるらしいけど、逆なんて聞いた事無いぞ僕は」
「現に逃げた例がここにおります」
「いや、何でだよ?」
どうしてか? そんなの決まっているではありませんか。
「聖女になりたくなかったからです」




