私は神託に唆されました
「……やはり私を呼んだのはその為でしたか」
発した声は私自身も驚くほど低くて冷淡なものでした。
怯んだ彼の手を私は手首を捻って振りほどきました。よほどの力の差が無ければ拘束の外し方はあるのですよ。かつてのわたしの知識ではあるのですけれど。
ジョアッキーノも傍に居る手前、具体的な単語は口に出せません。ですが今ので彼もどうして私の奇蹟を頼るのか、との批難であると分かったでしょう。失望を露わにした私を見て取った彼はそれでも顔色を変えずに私を瞳に映し続けます。
「この国の王子として私に命じるおつもりですか?」
「いや、そんなつもりは全く無いぞ」
「では私に懇願すると?」
「そもそも俺はキアラに何かやれとか言うつもりは無いんだけど」
……はい?
声にこそ出しませんでしたが私の頭は疑問符で一杯でした。私の混乱を目にしたチェーザレは少し申し訳なさそうな顔をさせつつ頭を掻きました。
「ごめんな。そう言えば事情だけ説明して目的とか話してなかったっけ」
……言われてみれば確かに。どうしてここに連れてこられたのかお聞きしていませんでしたっけ。もしや奇蹟でフィリッポを治せとは私の早とちりでしたか? 怪我人が違和感を覚えていると耳にしたものですからてっきりそうだとばかり。
「今フィリッポがどんな感じなのか意見を聞きたかったぐらいだな」
「……そうだったのですか」
「それにしてもキアラは凄いな。王宮かかりつけの医者より的確な診察だったし」
「にわか知識に過ぎません。専門家のご意見の方がよほど参考になるでしょう」
チェーザレには私が奇蹟を授けられていると明かしています。聖女と患者の主張が食い違っている以上、かつてのわたしの記憶で言うセカンドオピニオンで第三者の見解を聞きたかったのでしょう。だからと言って私を巻き込むなんてかつて交わした契約すれすれなのですがね。
「フィリッポは本当にもう治らないのか?」
「私の意見は先ほどフィリッポに述べた通りです。現代の聖女が各々どのような奇蹟を授かっているか存じませんので、断言は致しかねますが」
「……じゃあもっと凄い奇蹟を持つ聖女だったらフィリッポを治せるかもしれない、と」
「既に治っていますよ。後は彼をどう満足させるかに過ぎません」
確かにフィリッポは失うには惜しい才能ではあります。しかし命に別状はありませんし日常生活だって普通に送れるでしょう。彼の努力次第なら音楽家としての再起も叶うかもしれません。なら、これ以上の奇蹟は贅沢と言っても過言ではないでしょう。
「ところでキアラは今日帰るんだよな。この後の予定とかはあるのか?」
「いえ。マッテオ様のお屋敷に戻った後は出発までゆっくり過ごそうかと」
この淡々としたやりとりの裏には、私がフィリッポを治さないのかとの問いかけも入り混じっているのでしょう。なので私はもう帰ると伝えて暗に私は彼を治さないと答えます。確かにフィリッポは気の毒ではありますが、だからと奇蹟を披露していい理由には至りません。
だって、チェーザレの時と違って内密に出来ませんもの。
それに奇蹟を成してしまった後にごまかしも利きませんし。
「フィリッポにはどうか諦めずに夢を叶えてくださいとお伝えください」
「……それでいいんだな?」
「ええ、ようございます」
私がチェーザレにはにかみますと彼はこちらに視線を合わせようとせずに前へと向き直りました。それから私とジョアッキーノを出口へと誘います。ジョアッキーノは私達の不思議な会話に首をかしげていましたが、私はあえて気付かぬふりをしました。
――そうして歩みだした途端でした。眩暈に襲われたのは。
あまりの立ち眩みに思わず膝を崩しました。耳を塞いでもソレは頭の中に鳴り響きます。嫌だと必死に抵抗しても声は強くなるばかりです。それは我儘を繰り返す子を叱りつける父親のように威厳に満ちており、過ちを犯した子を諭す母親のように慈愛に溢れていました。
神は言っていました。全てを救え、と。
少しでも気を逸らそうと何とか立ち上がって出口へと向かいますが、壁伝いで何とか歩く程度しか出来ません。部屋の外で待機していたトリルビィが何か言っているようですが、はるか遠くから語りかけているように頭の中に入りませんでした。
気が付いたら私は王宮の出口ではなく厨房に入っていました。キッチンメイドと料理人が自分達の職場に土足で踏み込む令嬢に気分を害さぬ筈もなく顔をしかめて怒鳴りましたが、後ろのチェーザレが何やら言って怒りを堪えたようでした。
視線を走らせた私が手に取ったのは家畜の四肢をも切り落とせる程大きな肉切り包丁。反転して元来た通路を戻ろうとして私を追いかけていた三人と目が合いました。ジョアッキーノがぎょっと驚きを露わにし、トリルビィが悲鳴を必死に出すまいとしていました。
私は人を殺傷できる凶器を手にして大股で進んでいきます。向かった先はほんの少し前までいたフィリッポのいる部屋でした。私は戸を叩かずにそのまま開きます。あまりに乱暴だったものですから咎められるとも思ったのですが、どうやらそれどころではないようでした。
「フィリッポ。何をなさっているのです?」
フィリッポは今正にメイドの制止を振り切って開け放たれた窓へと駆けようとする最中でした。この部屋は結構高い階層にありますし下には木も生えていません。落ちればきっと身体は原形を留めないでしょうね。
「キアラさん……僕は――」
「いえ、やはり何も仰らなくて結構。投身自殺を図ったのは一目瞭然ですので」
私、と言うより友人のジョアッキーノやチェーザレがいなくなって覚悟を決めたまでは良かったものの戻ってくるのは予想外でしたか。
私は彼に遠慮なく歩み寄ります。他の方から見た私がどうなのかは与り知れませんが、フィリッポが浮かべる恐怖からすると恐ろしい形相か鬼気迫る雰囲気を醸し出しているのでしょう。とうとうフィリッポは堪えきれなくなって再び窓の方へと向き直りますが、遅い。
「させませんよ」
走りだそうとした瞬間にフィリッポはその場に転びました。何のことはありません。私が背後から飛び掛かって彼の脚を掴んだからですね。おかげでこちらも前面を強く打ちつけて結構痛いのですが必要経費のようなものです。
「ジョアッキーノ様はフィリッポが暴れないよう脚を押さえつけてください。トリルビィは彼の頭ともう片方の腕をお願いします」
「か、畏まりましたっ」
「何でだよ、ったく……分かったよやればいいんだろ!?」
状況が掴めないトリルビィは私の命令に頷いて言うとおりにします。ジョアッキーノも納得いかない様子でしたが私に従ってくださいました。私自身はうつ伏せになったフィリッポに馬乗りになります。必死に脱出を試みるフィリッポも三人がかりでは歯が立ちませんね。
そして私は手にしていた肉切り包丁の柄をチェーザレへ突き付けました。
「それからチェーザレ。彼の腕を切り落としてください」
「……は?」
「治ってしまった腕はこれ以上手の施しようがありません。最初からやり直す他はね」
「……。分かった」
抑制の無い私の指示にチェーザレは黙って頷きました。何をされるのか悟ったフィリッポは青褪めて渾身の力を込めてきますが何とか三人で押さえつけます。
「嫌だぁ! 止めてくれ、僕は――!」
「うるさいですね。叫ばれると面倒ですし痛みのあまりに歯を噛み砕きかねませんし、これでも口に含んでください」
「ほが……!?」
私は絶叫して大きく開いたフィリッポの口に丸めた布を詰め込みました。逃れようとしてもトリルビィが固定しているせいで出来ませんでしたね。そうして彼は成されるがままに身動きが取れなくなり、曲がったままとなった腕をさらけ出しました。
「ごめんフィリッポ。でもこれがお前の為なんだ――!」
チェーザレは包丁を勢いよく振り落としました。




