私はわたしと語り合いました
「神様は言いました。全てを救えと。なら最初は自分を救っちゃいましょう」
その声は確かに私の声でした。けれど私の口から出たものではありません。
恐る恐る毛布を払って寝具から起き上がった私の目に飛び込んできたのは、私自身が窓辺で差し込む朝日を浴びている姿でした。私の起床を確認した私自身は朗らかに笑いかけてきました。私……あんな表情も出来たのですね。
「おはよう私。良く眠れた?」
「……おはようございますわたし。残念ながら悪夢にうなされて気分は最悪です」
「えぇ~? それは残念。けれどわたしも夢見る時って変なのばっかだしね。夢なんて見ずにぐっすりって方がいい感じ」
「違いありません。私も楽しい夢は見た例がありませんね」
私が私自身を見つめている異常な事態。けれど私は異様なほど落ち着いて理解出来てしまいます。わたしもまた同じように慌てる様子が無く私に語りかけてきたようですし、互いに認識は一致しているようで話は早そうです。
彼女は私。正確にはあの夢の中で過ごしていた大学院生のわたし。なんて事でしょう、私はてっきり処刑された後すぐ今の人生を歩み始めたと思ったら間にわたしを挟んでいたのです。……ん? もしかして逆です? 私が前回わたしを思い出さないままだったとか?
「どっちでもいいんじゃない? 肝心なのは今の私が聖女だった私と大学院生だったわたしの両方を思い出しているって点だもの」
「ではこれは自問自答となりますね」
「そう言う認識でいいんじゃない? 自分自身と相対しているように見えるのは、脳内で無理に処理しようとした結果だって思えば」
「脳内、ですか……。あまり医学が発達していないこの世界ではそんな表現はありませんでしたね」
目の前のわたしが私に手招きします。寝起きでおぼつかない足取りをさせる私の手を取ったわたしは窓辺に置かれたテーブル席へと誘い、向かい合う形で椅子に腰を落ち着かせます。わたしは私と同じ容姿の筈なのに雰囲気が全然違っていて、不思議です。
「でもこうして貴女と話し合えるようになれるとは思わなかったわ。何かどうも毎日過ごしてて違和感が凄かったのよね」
「そうでしたか? 私は昨日まで特に普通に生活を送っていましたが」
「はあ、じゃあ今の私の主導権は貴女ってわけね。私は檻の中でお預け?」
「観客席で高みの見物、と仰って下さい。可能なら貴女様が主演となられても良いのですよ」
この話は早くも終了、と手をぱたぱたさせたわたしはどうやら私なんかよりずっと頭の切り替えが早いようです。羨ましい限りですね。
「んじゃあまず自己紹介から。わたしは神園真里亞よ」
「私はマルタと申します。これからよろしくお願いいたします、マーリア様」
「敬称なんて要らないわよ。だってわたし達は二人でキアラでしょう?」
「貴女様がそう仰るのでしたらお望みのままに」
お互いに名乗り合いますがその程度の情報でしたらどうやら共用されているらしいので把握しております。マーリアが大学院生のわたし、マルタが聖女だった私、そしてキアラが今の私達ですね。わたしや私がどう生きてきたかも大体分かっております。
問題が一つ。どうやらわたしと私は意識が統合出来ていないようなのです。多重人格、とでも申しますか。とにかく今の私には今のわたしが何を考えているのか分からないのです。わたしの人生を振り返ってその思想から大よその見当こそ付きますがね。
「それより、わたしは先ほど私自身を救えと仰いましたね」
「ええ、そうよ。私を狂わせた元凶である神様の啓示、だったっけ? 全てを救えって言ってたんでしょう?」
「……はい」
「私自身を犠牲にしてまで他人に奉仕しろなんて言ってないじゃん」
これは驚きました。確かに神はそこまで具体的には仰っていません。
……成程、使命と思っていたのは私の勝手な思い込みだったのですね。神託の解釈はいくらでもあったという訳ですか。
「そもそも神様が直接語りかけてくるから何なの? って感じだし」
「それは貴女様が神を畏れないからです。私にとっては神は絶対でしたから」
「いや言っとくけれど無神論者ってわけでもないわよ。神の教えを広めた聖者への敬意は表するしね」
「……偉大なる先人を敬う、ですか。その考えもございませんでした」
本当、いかにかつての私は視野が狭かったのでしょう。嫌になってきますね。
さて、そんな事はどうでもいいでしょう。ゆっくりとわたしと語らい合うのは後でも構いません。目下どうにかすべきなのは近い将来に私へと近寄る破滅の足音でしょう。即ち、聖女適性検査をどう乗り切るか、ですか。
「自分を救おう、とわたしは仰いましたが、では具体的にはどうすれば?」
「まずさ、聖女適性検査をどうにかしないとね。アレがキアラの悪役令嬢になる切っ掛けだし」
あくやくれーじょーですか。可愛い言い回しですね。思わず笑ってしまいます。そうしたらわたしが「何だ、私だって笑えるんじゃん」なんて言ってきました。しかも可愛いなんて付け足して。恥ずかしいとはこの思いを表すんですね。
「キアラは聖女適性が低いから妹に劣等感を抱くわけだけれど……」
「乙女ゲーでのキアラと違い、私はかつての私の能力を引き継いでいます。神に愛されしヒロインとやらの尺度が分かりませんが、おそらくはそのような嫉妬など覚えないかと」
「ええ、だから悪役令嬢化は避けられると思うのよ。代わりに……」
「かつての私をなぞるように聖女となってしまう、ですか。そんな将来など反吐が出ますね」
「だったら思いっきり逆にするしかないわ」
「……聖女適性を偽って無いものとしてしまう、ですか」
それは少し勇気が要りますね。教国連合の女性はこの聖女適性の値で人生の成功が決まると言って過言ではありません。何せ女性の社会的地位はあまり高くないものですから。聖女を輩出した家は教会から莫大なお金が支払われますし、選ばれずとも高ければ爵位の高い貴族の家から引く手数多なんです。
逆に、例え国家元首の家に生を受けても聖女適性が全く無かった場合、その時点で人生は終幕。無能な女に人権など無いと言い切ってしまっていいでしょう。さすがに私とわたしの能力を総動員してもこの世界で女一人が暮らせる術はありませんから、最後の手段でしょう。
「聖女に選ばれない程度に結果を抑え込むしかありませんね」
「何か手があるの?」
「適性検査が私の知る通りのままでしたらおそらく可能です。ですが手段として可能であっても実行出来るかは……」
「あー、不正防止って奴?」
かつての私の時代では聖水に浸した紙に自分の血を一滴垂らし、その広がりと輝き具合を調べていましたね。なので垂らす血を薄めれば反応が薄くなって適性値が下落するわけです。
無論、そうやって検査結果をごまかす不正が横行して似非聖女が生まれた反省を踏まえ、聖職者が立ち会う決まりとなっていました。指の平を軽く切って血を流すまで凝視されるのですから、どうごまかしても結果を偽るのは厳しいでしょう。
「ん? 指を軽く切って流した血で検査するんでしょ? なら指に細工しちゃえば?」
「別の液体が流れ出るよう仕組んでいたら一発で暴かれてしまうでしょう」
「そうじゃなくてさ、垂れ流れる血を浄化しちゃえばいいのよ。聖女の奇蹟で」
「あ」
何と言う発想の逆転でしょうか。
鮮血は聖者のものでない限りは穢れであり、確かに聖女の奇蹟で浄められます。しかし、しかし……! まさか聖女ではないと偽る為に聖女の奇蹟を行使するなどと、私では到底思いつかなかったに違いありません!
「素晴らしいですね! それで行きましょう!」
「あー、浮かれるところ悪いんだけれどさ、やりすぎないでね。さすがに無能者の烙印はわたしも押されたくないし」
「あ……左様でございますね。極限まで効果が薄くなるよう抑え込まねば」
嗚呼、嗚呼!誠に感謝致します。
神にではありません。わたしと巡り会えたことにです。
ようやく光明が見えてきた私に向けてわたしが手を差し伸べてきました。これは自問自答なのですから本当は誰もいない先を私は眺めている筈なのですが、それでも私はわたしの意図に応えたいとしか思えませんでした。
「これからよろしくね、私」
「ええ、こちらこそよろしくお願いいたします。わたし」
私とわたしが握手を交わします。
これから待ち受ける破滅の未来を回避して、人として幸せに生きる為に。




