私は讃美歌を披露しました
翌日、私はフィリッポとお会いする機会に恵まれました。これもチェーザレがお膳立てして下さったからになります。単に私を喜ばせたいのか、それともフィリッポにとっても私との出会いが何かに結びつくのか、チェーザレの意図は分かりかねますが。
私の想像では宮廷音楽家たちは演奏の無い日は練習ばかりしているかと思っていました。しかし防音機能を有した練習場に足を運んでみると意外にも人が来ておりませんでした。フィリッポを含めて三名しかいらっしゃいません。
「あ……あの、初めまして……。ボクがフィリッポです」
「初めまして。私はキアラと申します。気軽にキアラとお呼び下さい」
突然練習の邪魔をする乱入があったにも拘わらずフィリッポは気分を害していない様子でした。彼はオルガンの蓋を閉じてからこちらに足を運び、用意された簡易的な造りの椅子に腰かけます。私も部屋の片隅に置かれた椅子を自分で持ち込み、彼の傍に座りました。
「ところで他の方々は今どちらに?」
「えっと……みんな他の所に行っちゃってます」
と漠然とした言葉から始まった説明によりますと、宮廷音楽家達は普段は貴族御用達の教育係を務めているそうです。そして次の出番に向けて練習を積む際に集うんだとか。今日は夜会が催された次の日なので出払っているのでしょう。
「それから貴族の家に呼ばれて演奏をする日もあるみたいです……」
「お見えになられないだけで忙しくされているのですね」
とは言え私の目的はフィリッポでしたのでむしろ好都合とも言えます。結構聞きたい事がありますので。ふふっ、好奇心が湧き上がってしまいます。
まず楽器なるものはおいそれと手に入る代物ではございません。楽団が所持する他は貴族や商人が娯楽の一環で収集する程度。庶民には高価すぎる嗜好品に該当するでしょう。フィリッポが自身の音楽の才能に目覚めるきっかけが分かりません。
「フィリッポは市民階級の出身だとお聞きしました。楽器に触れる機会には恵まれていなかったのでは?」
「それ……みんな同じ事聞きますけど、そんな事ないです」
「えっ?」
軽く驚きの声を上げた私を余所にフィリッポは棒のような物を取り出しました。そして手首で軽く振るうと壁を叩きます。思っていたより大人しく軽快な音が響きました。
「今のだとただ叩いただけですよね」
「え、ええ。そのようですね」
「でもこうすると……」
フィリッポはもう何度か壁を叩きました。今度は一定のリズムを刻んで……いえ、違いますね。もしかしてこれは立派に曲を演奏しているのでしょうか? ただ棒を打ちつけるだけの動作でも立派に私の耳を惹きつける音楽が奏でられていました。
「演奏になります。その、楽器が無くたって音楽は出来ます」
「成程……楽器が無くても立派な演奏家になれるのですね」
「さすがに物を叩くだけじゃ飽きちゃって……次にこんな風にしました」
フィリッポが取り出したのはやや太めの木の枝でした。ただし手の平程度の長さとそれより少し長めのものに断ち切られています。彼はまず短い方を親指と人差し指で摘まむと、もう一方の手で持った棒で軽く叩きました。次に長い方を同じように叩きます。
「少し音が低くなった風に聞こえたと思うんですけど……」
「ええ、確かに」
「そんな感じに木の枝を集めて切って、教会にあるオルガンと同じ音階が鳴るように並べたんです。手製の楽器……って言えばいいんですか?」
「木琴! まさか自作したのですか?」
なんと、街中の物を叩く即席打楽器では飽き足らずに楽器を自作なんて!
更に詳しく伺うと一度聞いた演奏の音色は記憶するので楽譜も必要無いとか。そうやって彼は家の手伝いの合間を縫って手製の楽器を奏でる日々を送っていたんだそうです。
主な曲目は教会で奏でられる宗教音楽や讃美歌、吟遊詩人達の持ち歌など多岐に渡るそうです。その内フィリッポに興味を示した大人達が知っている曲を教えているうちにレパートリーが増えていったんだとか。
更に彼はその内木琴だけでは飽き足らず、鉄琴や笛、弦楽器まで自作するようになったと聞きました。さすがに貴族お抱えの職人が手掛けた楽器には劣りますが、彼の演奏欲を満たすには十分だったのでしょう。
「そうしたら楽団長がボクを気に入っちゃって……あっという間にここに入る事に決まっちゃった」
「それ程の才能を持つ方を見過ごせなかったのでしょう」
かくして彼は最年少で宮廷音楽家を務めるに至りましたとさ。誠に素晴らしい話です。良き才能を認められて更に開花させる場にいるのですから。彼はまだまだお若いですしこれから伸び代もございます。いずれは誰もが絶賛する音楽家となるに違いありません。
「で、チェーザレは音楽って何か出来るの?」
「あー、何も。そう言うジョアッキーノの方こそ英才教育受けてるんだろ。何か出来るだろ」
「はぁー? そんなの無理に決まってんじゃん。僕の音痴っぷりはチェーザレだって知ってるだろぉ?」
「確かにアレは悲惨だったな……。俺達二人とも向いてないんだな」
なお、チェーザレもジョアッキーノも私の感動を余所に身も蓋も無い話をしていました。フィリッポはそんな二人に苦笑いを浮かべます。彼の話では以前ジョアッキーノは盛大に音感の無さを披露してしまったらしく、その場が大笑いに包まれたんだとか。
「その場には私もいたかったですね」
「じゃあそう言うキアラはどうなのさ? 僕らを笑い飛ばすぐらいだから自信あるんだろ?」
ジョアッキーノは苦虫をかみつぶしたような顔をさせて私へと詰め寄りました。私を標的にして掻い潜ろうとなさっているのでしょうが、そうは参りません。
「笑うだなんてそんな。ですがよくぞ聞いてくださいました。私の数少ない自慢出来る要素をお見せ致しましょう」
「は? え? いや、冗談じゃなくて?」
「フィリッポ、オルガンをお借りしても?」
「え? う、うん。大丈夫」
私が自信たっぷりにする様子を見たジョアッキーノは面白い程慌てました。チェーザレも軽く驚かれた様子です。フィリッポだけがこれからどんな演奏が聴けるのかわくわくしているように見受けられます。せめて彼に及第点と言わせるぐらいだと幸いなのですがね。
そして呼吸を整えた後に私が演奏、歌唱したのは讃美歌でした。かつての私が聖女になるべく神官達に徹底的に仕込まれた楽曲になります。あいにく私には音楽の才能が無かったものですから、ただただ身体に覚え込ませる作業の繰り返しの末にやっとの思いで習得しています。
素晴らしい曲だとは思います。神を讃える歌詞に目を瞑るなら。歌によって人を救う聖歌の奇蹟を授かった聖女もいらっしゃったと聞いた覚えがありますが、あいにく私の演奏はただ人に曲を聴かせる効果しかありませんね。
「お粗末様でした」
演奏を終えて席から立ち上がった私はフィリッポ達にお辞儀をして、拍手に包まれました。彼らだけではありません。練習場で自分の練習をしていた他の宮廷音楽家二名もいつの間にかこちらにいらっしゃって私の音楽を聞いていたのです。
「申し訳ありません、私の拙い演奏で練習を妨げてしまって……!」
「いや、素晴らしい讃美歌だった! 透き通るような声には思わず聞き惚れてしまったよ」
「確かに伴奏は可もなく不可も無くで我々からすれば要練習物だったが、それを補って余りある歌だった。貴族のご令嬢でなければ団長に貴女を推薦していたのだがな」
なんと、意外にも高評価でした。かつての私は疲れ切った皆様の心を癒す為にささやかな演奏会を催した程度。このように専門の方から批評される経験などありませんでした。褒められるのは嬉しいと申しますかこそばゆいと申しますか。
「凄いですよキアラさん! ずっと聞いていたかったです!」
「神を讃えるとか馬鹿馬鹿しいとか思ってたけど、聞き入っちゃったよ」
「……聞き惚れてた」
「ご満足いただけて幸いです」
フィリッポは目を輝かせて私を絶賛します。ジョアッキーノも軽口は叩きますが僅かに興奮している様子でした。チェーザレはまるで歌に魂を奪われたかのように余韻に浸っています。そうした反応が見れただけでも披露したかいがございました。
「にしても今の曲は聞いた事ないな。ジョアッキーノは?」
「いや、知らないよ。フィリッポはどうなの?」
「えっと……ううん、ボクも知らない……」
「結構古い歌だな。単語とか言い回しとかが時代を感じるって言うか」
「それでも多くの教会で歌われる由緒正しい曲だった筈だな」
なお、浮かれた私は時代の違いを忘れていまして危うかったのは余談になります。




