私は天闘の寵姫を蘇らせました
「ヌールルフダー、貴女一体何を……!?」
『マジーダ姫は陛下より賜わった戦士達の尊い命を浪費した。よって妾が罰を下した』
「だからって何も火炙りにするだなんて……!」
『アウローラも知っていよう。妾が偉大なる神より授かった断罪の奇蹟は対象とする者の罪深さに応じて発揮される効果の度合いが異なる。このような業火になるのは偉大なる神が下した裁きに他ならぬ』
マジーダだった炭からは肉が生焼けしたような焦げ臭さはありません。よほどの高温で焼かれたのだと推測出来ます。ヌールルフダーの弁が正しければそれほど罪深いからこそ起きた結果に他ならないのでしょうが……。
「わざわざ自分の手で殺すために迎えに来たっていうの……?」
『無理に理解しなくても良いぞ。そなた等の異端審問とやらを受けるよりはよほど名誉が守られよう』
「貴女の奇蹟は人を救うために与えられたんじゃなかったの……?」
『偉大なる神のもとに召されるのもまた救いではないか?』
納得がいかないアウローラとヌールルフダーが言い争っていますが、私はそんな二人などお構いなしにただマジーダに視線が釘付けになっていました。
世界の終末日に全ての人が蘇ると信じられている教会圏諸国において、死体が残らない火刑は最も重い罰にあたります。教えは違えど信仰する神が同じな獣人圏諸国も同様の筈。だとするなら、マジーダに与えられた罰はむしろ魔女への仕打ちです。
そして、鮮明に頭によぎるのは、かつて聖女だった私の末路。救いなど無く、全ての人から愛されなくなり、最後は遺骸を残すことすら許されずに破滅した、聖女マルタとしての苦しみ、痛み、悲しみ、そして……恨み。
「……本当に神がそう言っていたんだとしても、私は認めません」
マジーダは確かに私達に甚大な被害をもたらしました。そして過剰なほどに私達を追い詰めました。しかしそれらは聖地を奪い返すためであり、この先に再び攻めて来られないよう詰める意味があります。その正義感は果たして悪だと言えるでしょうか?
反省はすべきでしょう。けれどその機会を奪ってすぐさま最後の審判に委ねるなんて間違っています。
私は崩れ落ちたマジーダの躯に歩み寄り、まだ一応原形を留めていた口元に手を置きました。まだ衝撃を受ける周囲の者は誰一人として妨害してきませんでしたし、いち早く気付いたラーニヤは何故かファディーラと呼ばれた蜥蜴人に制止されていました。
「神よ、この者の命を救いたまえ」
私が祈りを捧げるとマジーダに触れていた手が淡く輝き、やがて私とマジーダの全身を光の粒子が包み込みました。途端、ごっそりと体力と精神力を持っていかれた感覚に陥り眩暈が襲いました。危うく卒倒しかけましたが何とか耐えました。
やがて光はマジーダを癒していきます。やせ細り灰色の炭と化していた四肢が、骨がむき出しになり中身が灰になりかけていた胴体が、そして頭蓋骨に皮がへばりついているだけだった頭部が、瑞々しい姿を取り戻していったのです。
『う……げ、ほっ……!』
完全に肉体の修復が終わったところでマジーダは息を吹き返しました。まず激しくせき込み、次にゆっくりとまぶたを開き、まどろんだ眼で周囲を眺めます。私が為した奇蹟に言葉を失い静寂が辺りを支配する光景をどう感じたでしょうね?
『……そなた、何をした?』
真っ先に我に返ったのはヌールルフダーでした。私を射殺さんばかりの視線で睨みつけての問いかけでしたが、疲労困憊で呼吸をするのもやっとだった私は返事を返せません。苛立った彼女は私へと手を振りかざし――、
『何をしたと問うておる!』
「!? 止めなさいヌールルフダー……!」
咄嗟にアウローラが私をかばうように彼女の前に立ちはだかりました。権杖を前に突き出したのはおそらく聖域の奇蹟を発動させるためですか。それでもヌールルフダーの動作の方が早く、時既に遅し……だったようなのですが、何も起こりません。
『何故じゃ、何故この小娘を罰せられぬ!?』
信じられないとばかりにヌールルフダーは声を張り上げて何度もこちらに手をかざしますが、やはり何も起こりません。張り巡らされた聖域の奇蹟にも何ら影響がないことからも本当に彼女の意図した通りには発動していないようです。
「断罪は罪を裁く奇蹟でしたよね。ではキアラは何も罪を犯していないのでしょう」
『馬鹿な! 妾の裁きを覆しておいて罪が無いなどあり得ぬわ!』
「断罪はヌールルフダーの判断ではなく神の思し召しって言ったじゃないの。なら、神が言っていたんでしょうね。ここで死ぬ定めではない、って」
『~~っ!』
死の淵から蘇ったマジーダはようやく頭が覚醒したのか、飛び上がりました。そして自分の手を見つめ、握ったり開いたりしたり軽く跳躍して感覚を確かめます。夢ではないと確信したらしい彼女は何かしたらしい私へと視線を向けました。
――その目には恐怖の色が入り混じっていました。
得体の知れない存在と対峙するかのように。
『キアラ、だったか? あたいに一体何をした?』
「激しく焼損していた肉体を癒し、神のもとに旅立つ間際だった魂を呼び止めただけです」
『ふざけんな! あたいは間違いなく死んだ! 陛下の裁きを受けて!』
「生命活動を停止したことを死と定義するならそうでしょうね。私は死後肉体から解き放たれた霊魂が審判を受けるまでの者を救う奇蹟を授かっていますので、違います」
この説明は私の憶測だらけですがね。死後どれだけの月日が経過しても呼び戻せるかの検証なんてしていませんし。そもそもまさか骨と炭と化した肉体まで修復出来るとは思ってもいませんでしたよ。
それでもマジーダは私の説明でようやく合点がいったようです。ただ頷きながらも私を恐れている様子は消しきれません。私とて手を組んで感謝されると逆に困りますので丁度いい反応だと受け止めますが。
「復活の奇蹟、と便宜上呼ばれています。他の方には内緒ですよ」
『……良かったのかよ? そんな仰々しい奇蹟を公の場で見せびらかせちまってよ』
「悔いはありません。私が救いたいと思ったから手を差し伸べただけですので」
『アンタがそう言うなら別にあたいは構わねえけど……いや、やっぱ構うわ』
マジーダは自分で自分の頬を軽く殴りました。わずかに痣が出来ましたが、ようやく普段の彼女らしく強くて頼もしい表情に戻りました。
『なあキアラ。やっぱあたい達と一緒に……違えな。誘ったってどうせ断るんだろ?』
「よくお分かりで。教国で生まれたからには私は教国で何かを成すべきなのでしょう」
『じゃあもしそっちで迫害されるようだったらこっちに逃げてこい。絶対にあたいが守るから』
「……そのお気持ち、有難く頂戴いたします」
『その、何だ? ありがとうな』
マジーダは照れ混じりに礼を述べると踵を返し、ヌールルフダーの前に跪きました。
『陛下。もとよりあたいは偉大なる神の僕。いかようにも罰は受ける覚悟はありましたが、そうもいかなくなりました』
『これ以上の罰は受けぬ、と申すのか?』
『聖女に救われた命を捨てるような恩知らずにはなりたくありませんので』
『故に妾にも歯向かう、か。妾が聞かなんだらそなたどうするつもりだ?』
『そうなったら逃げるしかないんじゃないんですかね?』
『……くははっ! 実にそなたらしいな! よいぞ、罰を受けたそなたは許された。妾が認めよう』
『有難き幸せです』
ヌールルフダーは大笑いをすると背後の船を指し示しました。マジーダは深く頭を垂れた後に立ち上がり、こちらに振り向くと『じゃあな』と呟きつつ軽くお辞儀をします。それから跳躍、高く飛び上がって船へと乗り込みました。
『次の時代を担う良き後継者に恵まれたな』
「そう言う貴女だって素直な後輩を育てているじゃないの」
正妃と女教皇が互いに笑みをこぼしました。聖国にて二人の間に一体どんなやりとりがあったかは存じませんが、単なる敵同士を超えた関係が築かれたのは明白です。地域も宗教も人種も超えた仲とはなかなか貴重ではないでしょうか?
『じゃあなアウローラ。神の導きあれ』
「お達者でヌールルフダー。偉大なる神のご加護があらんことを」
『……もう二度と会うことはあるまい。そなたとは同じ人種であったなら友だったかもしれぬな』
「いえ、案外また会えるかもしれないわ。その時には互いに歩み寄れる未来であってほしいものね」
ヌールルフダーが号令をかけると獣人達は撤収していきます。ラーニヤが去り際に『じゃあ、また会えれば』と声をかけてくれたので私も「ええ、また会う日まで」と返しました。
寵姫と聖女。神に奇蹟を授かり全ての救済を託された少女達。
教えの解釈の仕方に差異はあれど、全ての救済するとの悲願は同じです。
で、あるなら、人間と獣人がいつか手を取り合う日が来るかもしれませんね。
そう思いながら私達は獣人達が水平線の彼方へ旅立っていくのを見送りました。
これで第三章は終わりになります。
お読みいただきありがとうございました。
終章となる第四章はおそらく冬頃からになると思います。




