私は縁談相手とお会いしました
私達がやって来たのは大公国からは教国を挟んで反対側に位置する南方の王国。まさか嫁ぐ先が大公国の貴族ではないとは思ってもいませんでした。しかし別段頻繁に実家に帰るわけではありませんし陸路で数日の距離ですので遠いとは思えません。
「おおっ、ようこそ遠路はるばるいらっしゃいましたな!」
「マッテオ卿、しばしの間世話になります」
「そしてそちらのお嬢さんが貴卿の?」
「はい。キアラと申します。キアラ、挨拶なさい」
出迎えた中年の男性は気さくな方でした。数名の使用人を伴った私達母娘を笑顔で歓迎してくださいました。裕福な証なのか男性は太って……もとい、大柄でしたね。言語は同じでしたが若干こちらと訛りが違うようで少し違和感を覚えました。
私が会釈の後に自己紹介をすると男性、マッテオは私を頭のてっぺんから足のつま先まで舐め回すように眺めました。自分の娘とそう大して違いの無い私を女として物色するのは如何なものかと思いましたが、口には出しませんでした。
早速、屋敷に通された私はマッテオのご子息と思われる方々や使用人でない淑女とすれ違いました。淑女はおそらくマッテオの妻の一人だったのでしょう。年を重ねていましたが見麗しい方でした。マッテオが私に気移りする気が知れません。
応接室で早速お父様とマッテオの親睦が始まりました。和気藹々としていたのでよほどの交友があるのでしょう。ただ言葉の端々から察するにどうも此度は先方よりお父様が望む婚約のようでした。マッテオはお父様が望んでいるから私を歓迎しようと仰っているように聞こえます。
貴族同士の婚約に当人が口を挟める訳もなく、話はとんとん拍子に進んでいきました。やれ結納はどれぐらいだやれ婚姻は私が学院を卒業した後にだとか、私からすれば自分の事なのにまるで興味が湧きませんでした。
「では私は席を外すから、二人でお話してみなさい」
挙句、お父様は無責任にそう言い放って席を立ちました。残された私はマッテオと向かい合う形となります。
私は構わずにテーブルに置かれた菓子を摘まんで口に運び咀嚼します。とても美味しゅうございます。用意して下さった料理人には感謝を述べねばなりませんね。マッテオはそんな私を一人の女性としてではなく、まるで娘に向けるような優しい眼差しをしてきました。
「それでキアラ嬢」
「はい、何でしょう?」
「貴女はこの話に乗り気ではないようだが?」
私が貴族令嬢の義務だとかの模範解答を口にする前にマッテオは手で制してきました。小娘の台本通りの台詞を聞く気は無いとの意思の表れですね。
「本心を口にしても問題ありませんか?」
「おお勿論だとも。臣下も従者もこの場にはおらぬ。遠慮なく言いたまえ」
「では、全く興味がございません」
「それはそれは! 興味深い答えだな。こんな肥え太った儂の夜伽の相手を務めるなど虫唾が走るとでも言うかと思っておったぞ」
言われてみれば確かにマッテオの仰る通りですね。家の為になれて光栄です、もしくは貴方のような父親に近い年の男に身も心も許さなければならないなんて、とでも言えばよかったのでしょう。あいにく私は己に与えられた役目をこなせれば良く、この婚約が成立しようがしまいがどうでもいいのが本音です。
そんな生意気な小娘にマッテオは面白いと笑いました。
「儂が貴女に子を産めと命じたら?」
「この婚約が成立して貴方様がそれを望むなら」
既にマッテオにはご子息がおられると事前にお聞きしています。私がマッテオと子を生しても養子に出すか嫁がせるかしないと平民にせざるを得ないでしょう。あまり意味のある行為とは思えませんね。
「では逆に儂が新参者の貴女を虐げたら?」
「それは困ります。私とて人形ではございませんので許容できる事柄には限度がございます。その内家出してしまうかもしれませんね」
「ほう! しかし今まで蝶よ花よと過ごしてきた貴女が一人で生きられるとでも?」
「術はありますが、この場で貴方様に明かす気はございません」
生まれ変わってからは確かに生粋の貴族令嬢ですが、以前に聖女として諸国を回った経験があります。別に身体を売らずとも私一人でもそれなりには生活を送れる自信はあります。
私の言葉がハッタリではないと受け取ったマッテオは興味深いとばかりに呻りました。
「……キアラ嬢程のご令嬢なら儂でなくとも引く手数多であったろうに」
「さて、マッテオ様。父が選んだお相手ですので私からは何とも申せません。ただ、おそらく聖女としての適性が低かった為に避けられているのでしょう」
「はっ、如何に適性値が高い娘に子を産ませてもその娘が聖女になれるとは限らんのになあ。それこそ神の気紛れであろうに」
「違いありませんね」
神の気紛れと申しましたか! 確かに奇蹟を授けられるなど神の気紛れと評するのが相応しいでしょう。そうなると神は私達を愛してはいるけれどあくまで世界と言う舞台を観劇する感覚なのかもしれませんね。
……だから神は私達を救わない。私達が苦しむ姿すら愛おしいから。
そんな神への苛立ちをおくびにも出さないでいると、マッテオは顎に手を当ててしばし熟考した。
「どうかなさいましたか?」
「この話は断ろう。キアラ嬢には儂より相応しい男が必ず現れると思うぞ」
マッテオは真剣な面持ちをさせて話を切り出しました。
しかしそれではお父様が困ってしまいますね。折角苦労して私の相手を見つけたというのに。私とて大人になってまでお父様方の厄介になるつもりはございません。修道院に行けば私が奇蹟を授かっていると発覚してしまいますし、行き遅れたら平民となりますか。
「勿論儂の考えで破談となるのだ。キアラ嬢の縁談には儂も助力しよう」
「貴方様には多大なる感謝を」
「そうだ! 儂の倅はどうだ? 家を継ぐ長男は既に婚約者がおるが、キアラ嬢と年が近い次男にはまだ相手がおらんのだ」
「マッテオ様のご子息、ですか」
いい考えが浮かんだとばかりにマッテオは顔を明るくさせた。
同世代となれば話をお受けし易いのですが、まずはお会いしてみない事には何とも申せません。人柄も分かりませんし。とは申してもえり好み出来る立場にはないのは認めます。私の意向は判断材料にこそなれど、決定権はあくまで家の当主たるお父様ですから。
「分かりました。ご紹介していただけますか?」
「うむ。では家の者に呼んで来させ……いや、どうせならこちらから行ってみるか」
マッテオは膝に手を突きながら立ち上がるとこちらに手を差し伸べてきました。私は気遣いに甘えて彼に腕を引かれながら席を立ちます。するとマッテオは何故か眼を見広げて驚きを露わにしました。
「どうかなさいましたか?」
「いや、年を取ったとはいえ儂とて男。キアラ嬢が躊躇わずに儂に触れてきたのでな」
「別に殿方と接したからとこの身が穢れるとは思っておりません。それに貴方様は妻帯者、何の問題がありましょう?」
「いや、キアラ嬢がそうお考えなら儂はそれで良い」
言いたい事は分かります。まだ婚約者すらいない生娘の私が軽々しく男に触れるなどふしだらな、辺りでしょうか? しかしかつて聖女として奉仕した際は血と汗と埃にまみれた方に大勢触れてきました。今更殿方に触った程度で嫌悪感など抱く筈もございません。
私はマッテオに案内されて屋敷内を歩んでいきます。私達が気さくに語り合う姿にはすれ違う使用人達も驚いた様子でした。もしかしたら何人かは私が正式にマッテオの妻となるのではと勘違いしたかもしれませんね。
「ジョアッキーノ、儂だ。入るぞ」
「ん? ああ、いいよ」
マッテオが叩いた扉の向こうからは声変わり途中の高くも低くもない絶妙な時期の若い声が聞こえてきました。マッテオは自分で扉を開いて私を室内に招き入れます。中にいた私と大して年齢の変わらない男子、ジョアッキーノはマッテオの来訪に驚いた様子でした。
「父さんどうしたの? 友人が来るんじゃなかったっけ?」
「お前にその友人の娘さんを紹介しようと思ってな」
「……話が違うじゃん。父さんが娶るって話だったと思うけど?」
「話してみたら儂には勿体なかったのでな。未だ婚約者のおらんジョアッキーノに丁度いいと思ったわけだ」
ジョアッキーノはあからさまに面倒臭いと顔をしかめました。まさか自分に話が降りかかってくるとは思っていなかったのでしょう。ご愁傷様です。
ところが私は紹介されようとしているご子息ではなく、彼の友人と思われしもう一人の男子に視線が釘付けとなりました。見違えるように体格も血色も良くなった殿方はしかし決して忘れる筈もございません。
「貴女は……」
「貴方様は、チェーザレ?」
まさか、遠い土地にてチェーザレと再会するだなんて。




