私は救える命を救いませんでした
「待ちなさい! どこに行くつもり!?」
もはや意味を成さない城壁を潜ると丁度マジーダとラーニヤ両名が奥へと駆けていく姿が見えました。
彼女達の背中に向けて大声をあげたのはリッカドンナのようです。お付きの騎士達共々万全の装備を整えて迷惑がかからない城壁内側の広場で待ち受けていたらしいですが、聖女である彼女すら無視されたのです。
「キアラ! 貴女も神託を聞いたの?」
「はい。市街地外周の城壁まで向かいましたが彼女達を阻止出来ず、申し訳ありません」
「いいのよ。聖域の奇蹟に依存して防御が疎かになってた聖国側にも責任はあるんだし」
そうリッカドンナ様は優しい笑みをこぼして慰めてくれますが、聖域の奇蹟を最後の内周まで打ち砕かれてしまったのは事実です。折角神より忠告頂いたのに情けない限りです。これで聖国の滅亡に大きく前進してしまったのですから。
「あたしも寝てる間に神託を授かったの。慌てて飛び起きて騎士達を起こしてこっちに向かったのはいいんだけれど、アイツ等ったらあたしを討つ絶好の機会だったのに無視していったわね」
「はい。寵姫達にとって神の教えを偽る聖女は怨敵です。戦場と違って護衛の少ない今こそ好機だった筈ですが……」
ところがリッカドンナは、聖国の中枢深くまで侵入されている緊急事態にも関わらず、焦る様子も見せません。真剣な顔をさせて深く考え込みました。
「……ねえキアラ。神からどう言われた? あたしは警戒しなさいって感じだったわ」
「私もそうです。漠然と寵姫達の襲来は感じ取れましたが、その狙いまでは読めていませんでした」
「そうね。神は言っていないかったわ。聖地を脅かす寵姫達を退けろ、とはね」
「意味が分かりません。この状況で警戒しろとなったら寵姫達の夜襲以外は考えられないではありませんか」
「そうあたし達が判断して動くことこそが神の導きだったとしたら?」
「……!」
結果だけを見れば私もリッカドンナもまんまとマジーダやラーニヤに抜かれてしまいました。それはまるで、彼女達の真の狙いから遠ざかっているかのようではありませんか。神は私達だけに仰っているのですか? ここで死ぬ定めではない、と。
「とにかく追うわよ。寵姫達が何をするかは見届けないと」
「はい」
「先に行きなさい! あたし達も後を追うから!」
「はい!」
考察は後回しにして私達は足を動かします。馬に乗った私達が先行し、また神託を頼りに大雑把な寵姫達の進行方向を察知します。どうやら彼女達は聖地に点在する教会等ではなく、その傍らにそびえ立つ王宮に用があるようですね。
王宮に戻ってきた私達は目を疑いました。先程までの様相とは打って変わった凄惨な光景、しかし昼間に散々目の当たりにした悲劇が繰り広げられていたのです。具体的には、寵姫達が強行突破した際に破壊された門や犠牲になった守衛達の亡骸によって。
神のもとへと召されますようにと祈りを捧げながら職務を全うした物言わぬ兵士達を横切って王宮へと入りました。いくら聖国の中枢とは言え聖域の奇蹟に守られている上に真夜中な状況では警備も薄いようで、命を落とした者はそう多くはありませんでした。
そして、私達はついにマジーダ達に追いつきました。
『キアラ、って呼ばれてたな。悪いな、もう用は済ませちまった』
しかし、時既に遅し。マジーダの手は赤黒く染まっていたのです。
彼女は笑みを浮かべながら腕を振り払い、手に付着した血や肉片を飛び散らせました。良く伺うと部屋の中へ強引に突撃したせいか扉が廊下を挟んだ左右共々複数破壊されているようです。他には目もくれずにここだけ凶行に踏み切ったとなれば……、
「私はおろか聖女であるリッカドンナ様すら無視したのはこの為でしたか」
『偉大なる神の教えを偽り、魔都を築き上げ、私腹を肥やした輩に鉄槌を下したまで』
狙いは初めから王宮に住む聖国の王族達でしたか。
『キアラの相手はしていられないんでね。これから夜が明けるまでに肥えた卑しい豚共を駆逐していかなきゃな』
『同じく偉大なる神から奇蹟を授かった者としてのよしみで忠告する。明日にでも聖地から去るべき』
二人は最も奥の部屋へと身を滑らせました。急いで後を追いますが彼女達は窓を破って外へと飛び出たようです。バルコニーから下をのぞき込むと既に王宮から離れていく二人の寵姫達の姿が見えましたが……私達が飛び降りれば潰れた肉塊になるだけですか。
「どうする? アイツ等を追いかけるか?」
「肥えた豚、とはおそらく聖国貴族のことでしょうね。王宮周りの屋敷を片っ端から襲撃するつもりでしょうか?」
「……もはや彼女達を止める手立てがありません。追い付いても逃げられて次の標的を襲われるだけかと」
もはや一方的な殺戮は止められません。一夜にして聖国の主要人物は歴史から退場することとなるのが目に見えるようです。
……いえ、諦めるのはまだ早いですね。あまりに速やかにことを運ばれたおかげで未だ王宮の中はそこまで混乱していません。じきに激しい物音に気付いた者達が騒ぎを起こすのでしょうが、今ならまだ誰にも気付かれていません。
私は部屋の中央やや壁よりに置かれている寝具へと駆け寄りました。本当なら柔らかくて寝心地抜群だろう派手な柄をした寝具は深紅に染まっています。所々引き裂かれて羽毛が飛び散っていたり大きな穴が開いているようです。
「……国王王妃両陛下ですか」
そして、もう息をしなくなった男女が二名。幸いにも夢を見ている間に押し入られたらしく、安らかな寝顔のままだったのが不幸中の幸いでしたか。外傷も致命傷だろう引き裂かれた喉と保険にと心臓に振り下ろされた刺し傷ぐらいですから……、
「駄目だキアラ」
状態を確かめる私の肩にチェーザレが手をかけました。思わず振り返った私に向けて彼は静かに顔を横に振ります。
「……まだ何もしていませんが?」
「目撃者がいないからって復活の奇蹟を使おうとしてなかったか?」
「どうしようか悩んでいた最中です」
神は言っています。全てを救えと。貴族の娘に生まれ変わった今の私も猛烈にそうしたくなるぐらいに神託は私に影響を及ぼしており、もはや呪縛と呼ぶべきですね。恐ろしいのは理性では駄目だと分かっていても使命に殉じたいとの欲求が生じる点ですか。
ただ、今回ばかりは悩んでしまうのです。聖国の王族達を助けることが果たして救済に繋がるのか、と。
神は私とリッカドンナに神託を授けてまで今晩王宮から引き離しました。おかげで客人扱いで王宮に滞在していた私達は標的から外されて難を逃れています。まるで、神が寵姫達を王宮に招き寄せたかのようではありませんか。
聖地で驕り高ぶった罪人達を粛正するために。
「死をもって償うことが救いに繋がるなら、私が無理に天に召された魂を引き戻すのは神の意に反するのではないでしょうか……?」
「だったら止めておくべきだ。どんな奴にも救いの手を差し伸べたいって思う慈悲深さはキアラの魅力なんだけど、それでキアラが身を滅ぼしたんじゃあ意味が無い」
「み、魅力って……」
「無駄に豪華な王宮、時勢を読めてない盛大な夜会、尤もらしく大義を掲げた扇動。こいつ等はキアラが助ける価値なんて無いと思う」
チェーザレから真剣な眼差しで見つめられた私はためらいが生じます。こんなのただ目先で苦しむ人を救っていれば良かった聖女の時にはありませんでした。大局を読むとはまさにこれを言うのかもしれません。
そんな風に迷っていたからでしょうか。部屋の外がにわかに騒がしくなってきました。何名かは部屋の中の様子を確認したのか、大声を張り上げたり惨状を嘆いたりしているようです。人の気配は段々と私達のいる最も奥の部屋に近づいてきます。
時間切れ、ですか。
「……間に合わなかったのね。残念だわ」
真っ先に姿を見せたのはリッカドンナでした。彼女は燭台に刺した蝋燭の灯りを事切れた国王達へと近寄せ、次に口元に手をかざしました。命を落としているのが確認出来ると神へ祈りを捧げます。
「昼も言ったけれど救えなかったからってキアラだけのせいじゃないわ。寵姫達を止められなかったあたしにも責任があるもの」
「……そう言ってくださると少しだけ気が楽になります」
「それで、こんな大胆な真似をした寵姫達はどこに行ったの?」
「飛び降りて別の屋敷に向かいました。おそらくですが、聖国の主要な人物を一気に処理するつもりかと」
「だったら戦える人を全員叩き起こして追うしかないわね」
リッカドンナは君主の暗殺で狼狽える聖国近衛兵に指示を送りました。仕える主を失ったばかりの忠臣達にとって聖女の命令は希望の光だったようで、我に返った彼らはすぐ動き出します。
王宮の塔に吊るされた大鐘が緊急事態を告げるべく鳴らされる音を聞きながら、私はただ自分が下した選択に衝撃を受けていました。それがこれからの私にとってどれほどの重大さか、どれほど影響を及ぼすかはもはや未知数でした。
今日、私は救えた命を救わなかったのです。




