私達は夜襲を受けました
神は言っていました。警戒しなさい、と。
すぐに目が覚めた私は寝ぼける頭に活を入れつつ寝具から起き上がり、祭服を羽織って権杖を手に部屋から飛び出ました。そして隣室で就寝していたトリルビィを起こすべく戸を叩きます。
「……お嬢様? どうしたんですか?」
私の侍女は目を擦りながらも扉を開けてきました。日中は私に仕えている分質の良い睡眠を確保するために熟睡しているとも覚悟していましたが、夢の世界から帰還してくれたのなら幸いです。
「すぐに出発します。急いで支度を。私はその間チェーザレを起こします」
「えっ? あ、はい、分かりました」
手短に用件を伝えると彼女の返事を待たずに反対側の客室、チェーザレの部屋の扉を叩きます。眠りに付く周りに迷惑にならないように、しかし当人には気付いてもらう程度にはうるさくするのは難しいですね。
「……どうした?」
チェーザレはトリルビィよりも若干時間がかかった挙句に無理やり覚醒させられて明らかに不機嫌な様子でした。憮然とした表情で目は半分しか開かれていませんし、口から洩らした声はとても低かったです。ふむ、緊急事態でもない限り彼の眠りは妨げないようにしましょうか。
ただそれも短い間のこと。切羽詰まった私の様子に彼は自分の頬を軽く叩きました。
「巻き込んでしまって申し訳ありませんが、同行していただけますか? 嫌でしたら私一人で向かいますが」
「……すぐに準備する」
チェーザレは豪快に寝間着を脱ぎ散らかすと、手早く服と軽装鎧を着込みます。最後に剣を腰にぶら下げて準備完了。せめて寝ぐせぐらい整えたらと提案したのですが、どうせ兜を被るから意味無いと論破されました。
その間にトリルビィが弓矢を携えて部屋から出てきたので、早速出発しました。聖女候補者として派遣されたのをいいことに王宮の馬を借りて闇夜の街中を走ります。あいにく私は乗馬の技能が無いのでチェーザレの後ろに乗って彼を背中から抱き締めますが。
「それで、まだ夜も明けてないこんな時間に一体どうしたんだ?」
「手短に伝えると、敵が夜襲を仕掛けてくるようです」
「……!」
「もう夜も半分以上過ぎた今だからこそ攻める絶好の機会なんです。もう街は寝静まっていますし夜番の兵士達の気も緩んでいますからね。あ、そこの十字路を左に進んでください」
「ん? 昼間に戦った南側じゃないのか?」
「あちらはいつ敵の軍勢が攻めてきても良いように厳戒態勢がしかれていますからね。こちらの不意を突くのでしたら警戒が疎かになった側面を突く方が効果的でしょう」
もちろん別動隊が出発する気配が無いかの監視は怠っていないのでしょうが、それはあくまで城壁を突破出来る程度のまとまった戦力が動くことを想定しています。少数精鋭で迂回しようとするのを察知するのは中々難しいでしょう。
「普段は聖域の奇蹟で守られていますからそんな小細工は捨て置いてもいいのでしょうが、あいにく今の敵軍は突破する術を持っています」
ましてや、寵姫二人だけで動かれて不意打ちされたらなす術がありません。
私は神から助言を授かったことを明かします。それで寵姫の再襲来があるかもしれないと思い当たったのでしょう、チェーザレとトリルビィは表情を硬くしました。しばらく馬の蹄が石畳を蹴る音だけが鳴り響きます。
「ですけどお嬢様、先ほどは奇蹟を宿した寵姫とやらは奇蹟を破れずに引き下がりませんでしたっけ?」
「アレッシアの慈愛の奇蹟……とはまだ断定されていませんでしたね。とにかく彼女の奇蹟の影響で突破が叶わなかったのでしょう。なら、アレッシアがいない間に目的を果たせば問題ありません」
十分に休息を取って改めて出直してくると想定していましたが、その裏をかかれましたか。これも推測ですが、ラーニアが遠見の奇蹟で聖地の全体的な状況を確認して行けると踏んだのでしょう。
やがて日中防衛戦を行った場所とは別の門が見えてきました。城壁上で警戒に当たっている聖国軍兵士達の様子からするとまだ寵姫達はこちらまで接近していないようです。間に合った、後は神託があったから最大限注意するよう伝えれば……、
――世界が割れたのは、安堵で胸を撫で下ろした直後でした。
太陽が昇っていない真夜中であっても空にヒビが入って砕け散る様子はこの目ではっきりと捉えられました。消える間際に奇蹟の欠片が虹色にほのかに輝いて幻想的であり、そして儚くもありました。
「遅かったですか……!」
城壁がにわかに騒がしくなりました。まだ距離的には遠いので何を言っているかは聞き取れませんでしたが、兵士達が慌ただしく動くのが松明に照らされて良く分かります。外側に向けて弓を射かけたり石を投げているようですね。
が、それもそう長くはありませんでした。突然黒い影が奥から飛び出てきたと思ったら瞬きするうちに蜘蛛の子を散らすように集まっていた兵士達を一蹴したのです。何名かは叫び声をあげながら城壁上から転落していくではありませんか。
私達が城壁のふもとに着いた頃には最初の攻防……正確には一方的な蹂躙が終わったようで、再び夜の静寂が戻っていました。城壁上へ繋がる階段はどこだと周囲を見渡したのですが、次の瞬間、目の前に何かが落下してきた衝撃で轟音が鳴り響きます。
「マジーダ姫、ラーニヤ姫……!」
彼女達、二名の寵姫は昼間と変わりない姿で姿を見せたのです。
漆黒の猫は闇夜に溶け込むようでありながらその瞳だけが輝いているように見えました。純白の兎は松明の火に照らされて橙色に染まっているように見えます。……両者とも昼間の疲れは完全に抜けているようでした。
『あん? またアンタか。鬱陶しいぐらい邪魔してくるのは偉大なる神があたい達に課した試練とでも言うのか?』
『関係ない。彼女達では追い付けない』
咄嗟に身構えた私達を尻目に寵姫達は踵を返し、なんと市街地の奥へと疾走し始めたのです。瞬時にトリルビィが矢を射るもののまるで後ろに目があるかのようにジグザグに動かれて躱されてしまいます。
「逃がしてはいけません! 追いましょう!」
私達も慌てて騎乗して追いかけるものの、なんと彼女達は馬よりも速く走っているようで全く追いつけません。しかも街道ではなく入り組んだ裏路地を縫うように進んでおり、背中を捉えるのがやっとな有様です。
トリルビィが弓で、私がボウガンで攻撃を仕掛けるも相手に傷一つ負わせられず。やがて引き離された私達は完全にマジーダ達の姿を見失ってしまいます。こうなったら神託の導きに従って大雑把に進むしかありません。
「それにしても昼間は聖女を倒すために突っ込んできたのに今はキアラのこと無視したよな。傍には俺達しかいなかったのにどうしてなんだ?」
「……標的が違うのかもしれませんね。活性の奇蹟で補助を受けたチェーザレやトリルビィを退けて私を亡き者にするには時間がかかると判断したのかも」
「聖域の奇蹟を壊したならもう務めは果たしたんじゃないのか?」
「いえ、あくまで推測ですが……今宵はより踏み込んできたのかもしれません」
一旦裏路地を抜けた私達は街道を突き進みます。朝方や夕方は人通りで溢れていた道も真夜中は寂しい限りですが、交通量が少ないのは速度が出しやすくていいですね。これで裏路地を進むマジーダ達との差を少しでも詰められればいいのですが。
「元来た王宮の方向だな、こっち」
「まさか、マジーダ姫達の狙いはもしかして……!」
丘の上にそびえたつ王宮がもう目と鼻の先の距離になった時でした。王宮や聖地一帯を囲っていた最後の聖域の奇蹟が破られたのを意味する、空が砕け散る現象を目の当たりにしたのです。それはまるで、つかの間の栄華の終焉に立ち会ったようでした。
市街地を抜けて区画を区切る壁に到着した私達は再びマジーダとラーニヤを見つけました。ですが私達の接近を意にも介さず、まずマジーダが城壁と小塔の壁を巧みに蹴って上まで登り、上から垂らした紐でラーニヤが昇っていきます。
「そうか、ああして昼間も先ほども内側に侵入したんですね!」
「感心している場合じゃありませんお嬢様! ここを突破されてしまったら……!」
ええ。そうですね。
もう私達には聖地を守る術が残されていません。




