私達は明日に備えて撤収しました
ひとまずは敵軍を退けた聖国軍側にはもはや反撃に打って出る余力など残されていませんでした。司令部が寵姫達の強襲で壊滅したので軍の立て直しにも苦労している有様。混乱していないのは聖女のリッカドンナが心の支えになっているからでしょう。
「負傷した人の数が多すぎるわ。さっきまでと同じように命に係わる人だけ治療して他は医者に診てもらいましょう」
リッカドンナは命を救うことに専念すると明言して流れ作業のように次々と治療を施していきました。一人一人重点的に治す体力的余裕も時間もありません。縋るような眼差しを向けられながらも次の怪我人に移らざるを得ないのはやりきれません。
ただ、この決断は軍部にとっては不服なようでした。それは当然でしょう、彼らが欲するのは戦力であって戦えないお荷物ではありません。犠牲者が増えてもいいから明日目が覚めたら戦えるぐらいもっと一人一人重点的に治療しろ、とでも思っているでしょう。
「異議があるなら教会に申し立てして頂戴。アンタ達に命令されるいわれは無いわ」
数名程お伺いを立ててきた将校に対してリッカドンナは奉仕の手を止めるどころか顔すら向けずに一蹴しました。脅しにも屈せず自分の信念を曲げない聖女の姿勢に教会側の人間は感動した様子でしたね。
ただ、それだけのことをしても天に召される命もありました。私かリッカドンナが来た時にはもう息を引き取った方もいれば、目の前でこと切れた方もいました。私達に出来たのは安らかに眠りたまえと神に祈るだけでした。
言い訳に過ぎませんが、私なら救えたとうぬぼれるつもりはありません。復活の奇蹟を用いれば確かに救えたかもしれません。が、そこまで一人に奇蹟を施すと後が続けられません。数をこなさねばならない以上は線引きがどうしても必要になってしまいます。
「救えなかったからって気負うことなんて無いのよ」
自分を責めているように見えたのか、リッカドンナが奉仕を中断して私に声をかけてきました。一心不乱だった私は彼女の語り掛けでようやく手を止めます。私を見つめるリッカドンナは私を安心させるためなのか柔らかい表情を浮かべていました。
「キアラはあたしの指示に従っているだけだもの。無力感に苛まれるぐらいならあたしを恨みなさい」
「そんな。全ては私が至らないからに過ぎません」
「そうかしら? 歴代の聖女の記録を紐解いてもキアラぐらい効率よく大勢を治療出来る方は少なかったと思うけれど? 修業を積んだからって行使出来る奇蹟の限度はそう簡単に増やせないしね」
他者と比べるなんて不毛だ、と思いましたが口にはしませんでした。かつて聖女だった頃の私は先人や後輩がどうだろうと関係なく、自分がどこまで人を救えたか、にしか興味ありませんでしたから。
「聖女は神でも救世主でもないわ。ただ人がちょっと神から奇蹟の一端を授かっただけ。自分さえもっとしっかりしていたら、なんてのはただの自己満足ってあたしは思うけれどね」
「……残念ながら私はあまり上手く割り切れない性分なようです」
「大体、反省や後悔は後でいくらでもしなさいよ。今はとにかく最善を尽くして、次は今を教訓により良い選択を取れるようにすればいいじゃないの」
「……ありがとうございます、リッカドンナ様。少し心が軽くなりました」
おそらく聖女として活動した時間は前世を含めると私の方が長いでしょうに。人の本質は危機的状況でこそむき出しになる、とは言われますが、聖女の営業をしていた南方王国からは考えられないぐらいリッカドンナは立派でした。尊敬にすら値します。
私が心からのお辞儀をするとリッカドンナは満足げに微笑んでから再び治療を再開しました。さすがに戦の直後なのもあって作業効率は平時より格段に落ちているようですが、誰一人として弱音を吐く気配はありませんでした。
私も彼女にみっともない姿を見せたくないと意気込みを新たに怪我人と向き合います。私に付き合ってくれるチェーザレとトリルビィからは疲れが滲み出ていましたが、まだやれると私に強く頷いてくれました。
「はい終わり! 撤収よ撤収!」
私達が引き上げた頃には太陽が沈みかけていました。まだ怪我人は大勢いましたが命に別状は無い方ばかりで、後は医者に任せておけとリッカドンナが決断したのです。もし全員治療して回ったら徹夜してもこなせなかったでしょうね。賢明な判断です。
「聖女様。でも、腕が動かなかったり苦しそうに呻いてる人はまだいましたよね? そういう人達の手は取ってあげないんですか?」
「明日指一本動かせなくなるぐらい全力を尽くせって言いたいの? 戦争が終わっていたらそうしても良かったんだけどね」
リッカドンナの手伝いをしていたアレッシアはまだ理想と現実の差が分かっていないようで素直に疑問を投げかけました。ただもう疲れ果てていたのもあってリッカドンナが返した返事はやや投げ遣りでした。
「明日もあるんだしある程度余力は残しておかないと」
「でも、相手側は一旦退いたじゃないですか」
「マジーダ、だったかしら? あの黒猫が万全な状態に戻ったらまた攻めてくるわよ」
あの天闘の寵姫は守りの要だった聖域の奇蹟をもろともしません。慈愛の奇蹟の影響がどれほどだったかは分かりませんが、明日も上手いこと弱体化させられるとは限りません。ゆっくり休んで英気を養って再び戻ってくることでしょう。
そして、彼女の存在は私達の先行きに大きく影を落としていました。聖域の奇蹟が無力と化した今、勢いづいた敵の軍勢を止める手立てはありません。教国圏国家の領土からは海路でしか結ばれていないこの聖地においては救援も見込めませんし。
「戦争については素人なあたしでも分かるわ。今回は間違いなく負け戦よ」
リッカドンナが発した現実的な推測に神官や騎士は驚いた様子でしたが、誰もが薄々はそう思っていたらしく、反論を出したり発言を咎める者は現れませんでした。
「マジーダ姫を対処しない限りは勝ち目がありませんね」
「全く、あんな奴がいるって分かってたらあたしじゃなくてルクレツィア様が派遣されていたでしょうに。聖国の連中はどうして寵姫の存在を報告してこなかったのよ」
「おそらくですが認めたくなかったのでしょう。教会に与しない異教の者が聖女と同じく神から奇蹟を授かっている、などと」
「その視野の狭さが聖地を失うことに結びつくって分からないのかしらね?」
リッカドンナもそこまで考えていましたか。移動中の幌馬車の中にいるのはリッカドンナの部下や付き人、それから私の関係者ばかり。命を捨てる覚悟で死守するだとか根性を見せるだとか現実性の無い意気込みは聞かれませんでした。
「聖地が陥落すれば投降するか逃げるしか道はありません」
「どうやって逃げるのよ? 港に停泊する船に限りがあるわ。陸路で戻ろうにも国をいくつ横切らなきゃいけないか分かってるの?」
「降伏する際に撤収を認めてもらうよう交渉するとか?」
「アッチからしたらコッチは異端者の集まり。見逃してもらえるとは思えないわね」
「あ、あの」
議論が不毛になりつつあった時でした。アレッシアがおずおずと手をあげます。場の空気が重かったのもあって渡りに船だとばかりに乗ることにします。
「そもそもさっきから聖女様やキアラ様が言ってる寵姫って何なんですか? 聖女と同じ意味合いで使ってるみたいですけど……」
「……言われてみれば確かに君主の寵愛を受けた妻、とは違いそうね。あたしは単にキアラがあの獣人達がそう名乗ったって言ってたからそう呼んでるだけなんだけど」
「……何の根拠もない憶測で構いませんか?」
これは大学院生だったわたしの世界と照らし合わせての想像に過ぎませんが、おそらく獣人達の王はその権威に正統性を持たせるために神の教えを広げた救世者の後継者と名乗っているのでしょう。故に、神より奇蹟を授かった少女達を保護し、救世の奇蹟を全うするよう援助するのも王の義務である、と考えても不思議ではありません。
ただ、教会圏側が教会と言う組織に属する形を取るのとは違うのでしょう。きっとですが、獣人圏側ではあくまで王個人が神からの使命として少女達を囲う、即ち正しい意味でのハレムの一員としているのではないでしょうか?
王に最も大切に扱われて寵愛を受けるから寵姫、ではないかと。
「そんな権威の象徴ともいえる寵姫をこの戦いで派遣してきたってことは、単なる侵略ってわけじゃあなさそうね」
「マジーダは我々を聖地を奪った簒奪者だと言っていました。獣人達にとってもここが聖地なんだとしたら、奪還は悲願に違いないでしょう」
「じゃああたし達がここを占拠し続ける限り戦争は終わらないじゃないの」
正当な理由がある以上向こうは絶対に引き下がらないでしょうね。かつての大帝国のように周辺地域一帯も勢力圏に入れられれば解決しますが、夢のまた夢です。
彼らが仕掛けたのは聖戦。私達が去らない限り幕は降りません。




