私達はかろうじて寵姫を退けました
自分の膝元から胸辺りまでの長さがある巨大な盾を構えた騎士達が隙間から矛を向けて立ちはだかりますが、それを見越したように彼女は大地を蹴って宙を舞いました。
放物線の先は騎士達やチェーザレを超えて私やリッカドンナの位置まで到達しています。このままその爪を振るって私達を引き裂けば任務完了、と言った辺りでしょう。これまでのやりとりで私達に戦闘能力が無いと判断したのでしょうが……。
「飛びましたね?」
『ッ!?』
その瞬間を待っていましたよ。
私は厚手の祭服に隠していた武器を取り出して迫りくる彼女へと向けました。既に弦は引き切っていますから後は発射するだけ。既に攻撃態勢に入っていたマジーダは思わぬ展開に一瞬驚きを露わにしました。
私は隠し持っていたクロスボウの引き金を引きました。
マジーダは咄嗟に顔と喉元を覆い隠すように腕を前に出しました。
矢は私が狙った額に刺さらずに毛で覆われた太い腕に突き刺さりました。
マジーダは私達のすぐ脇を通過して地面に着地します。私はもはや役目を終えたクロスボウを捨ててマジーダから距離を離しました。向こう側のリッカドンナはロザリアが手を引っ張って退避させているようです。
『小賢しい真似をっ!』
「生き残る知恵と仰ってくださいませ!」
護身術程度が戦場で通じるわけが無く、剣も振るえない弓も引けない体たらくでは自分の身を守るにはスリングショットやクロスボウ等の武器に頼らざるを得ません。物騒なと言うなかれ、戦闘用の奇蹟が無い以上戦場では工夫が必要だったのですよ。
そして、マジーダは再び聖女を守護する騎士達と戦い始めたのですが、先ほどと異なり一方的な展開にはなりません。俊敏な彼女の動きにも反応して盾で受け止めたり体当たりで間合いを詰め、終いには攻勢に打って出たのです。
「さっき騎士を手あたり次第触ってたのは活性の奇蹟を施したからか?」
「ご明察。寵姫達が言い争っている間にやらせていただきました」
種明かしをするなら私が一時的に補助しているのです。それにしてもさすがは聖女を守る任務に就いているだけあって強いですね。マジーダは何とか致命傷を負わないように攻撃をかわしつつ反撃をするのが精一杯のようです。
天闘の寵姫を足止めしている間に残った兵士達がラーニヤへと立ち向かいます。彼女の方は戦闘訓練を受けているとはいえ一騎当千に至る奇蹟持ちではないので、獣人特有の動きに惑わされなければ対処のしようがあります。
『マジーダ姫!』
『……っ! ああ分かってるさラーニヤ姫!』
最初に大きく飛び退いたのはマジーダでした。彼女はリッカドンナや私と一定の距離を保ちつつぐるっと回ってラーニヤと合流します。兵士達も退避行動を取った黒猫を追撃しようとはせず、三度相対する状況へと戻りました。
仕切り直しか、と思いきや、マジーダが私を指差しました。
『おいお前、名前を聞こうじゃないか』
「はい? 私の?」
戦場で名乗り合う程夢想家ではありませんし名乗るほどの者でもありません。むしろ名が知れ渡ってしまえば泥沼に足を踏み入れるに等しく、愚行と言えましょう。とは申せ、これ以上天闘の奇蹟を持つ彼女を挑発したくはありませんから……。
「ただのキアラです。あいにく聖女でも何でもありません」
『聖女キアラか。忘れないよ』
「いやだから私は――」
抗議しようとしましたがその時には既に二人は踵を返して逃走していきました。向こうから「追え」だの「逃がすな」だの勇ましい命令が聞こえますが、騒々しさから察するに一蹴されているようです。
二人の寵姫を退けて安堵した一同は張り詰めた空気を解きました。力なくその場に座る者、安堵の吐息を漏らす者、中には私が応急処置した兵士に駆け寄る者もいました。騎士や女官達は真っ先にリッカドンナの無事を確認する辺りさすがです。
「……っ」
「お疲れ様。だけど無茶しすぎだ」
緊張が解けて力が緩んだ私の身体はその場に崩れ落ち……る前にチェーザレに支えられました。立てますからと言っても聞きません。それどころか足腰を踏ん張れない私を見かねたチェーザレは抱きかかえてくるではありませんか。
「チェーザレ、皆が見ている前で……!」
「あんなに熱烈に俺と添い遂げるって言ってくれたのに今更か?」
……。それもそうでした。
いやそれはあの場の雰囲気がそうさせたんであって今は恥ずかしいんですけど! あまりに顔が熱くて火を吹き出してしまいそうです。どんな顔をしているのかも分からないので手で覆いたくても腕にも力が入らなくてそれもかないません。
「何とか撃退出来たな。あまり犠牲が出なくて良かった」
「数は問題ではありません。尊い命を失ったことには変わりありませんから」
先ほどの強襲を受けて辺りは凄惨な光景が広がっていました。結構な割合で私が応急処置を施したので命を繋ぎ止められましたが、手を伸ばしきれなかった者達は既に息を引き取っていました。
もしなりふり構わずに復活の奇蹟で蘇らせても魔女によって偽りの生を与えられた云々と難癖をつけられて魔女裁判を受ける破目になるだけです。残念ながら……神のもとに召されるのが正しい在り方なのでしょう。
「アイツ等、攻められる度に相手しなきゃいけないんだろ? 対策立てた方がいいな」
「ええ、今回はかろうじて追い払っただけです。次は――」
とまで口にしてチェーザレに同意しかけましたが、一つ恐ろしい可能性が浮かんでしまいました。寵姫達の敗走した方角、敵軍が攻めてきた場所、そしてこちらの陣営の配置。それらの情報を頭の中で上手く表示させると……。
「助かったわキアラ。言いたいことは山ほどあるけれど、あたし達が今無事なのは間違いなく貴女のおかげよ」
「リッカドンナ様。急かしますがご同行を」
「えっ? ちょっとキアラ!」
私はチェーザレの腕から降り、礼を述べようと歩み寄ってきたリッカドンナの手を取って走り始めました。チェーザレや騎士達が私達に続きます。リッカドンナは走り慣れていないようなので少し速度は緩めですが。
向かったのは先ほどマジーダ達が逃げて行った方角。獣人の寵姫達の犠牲となって倒れた者達が視界に映りますが、今は見なかったことにします。リッカドンナも鬼気迫る私を見て何も言わずに走ってくれました。
「何よ、これ……」
そして、地獄絵図を目の当たりにしました。
リッカドンナのつぶやきがその場に居た者の嘆きにも聞こえます。
惨殺、が正しいでしょうか。聖国陣営の本陣に集っていた将校は寵姫の手で心臓の鼓動を止められていました。念のために全員の息と脈動を確認しましたが……残念な結果に終わりました。
「やられましたね……。司令塔を失った軍はもはや機能しません」
「アイツ等、逃げるついでに将軍達を殺したってこと!?」
「正確には目標の優先順位があったのでしょう。真っ先に象徴たる聖女を狙い、万が一しくじっても軍を指揮する者を排除すれば……」
「どの道この防衛戦は勝てなくなる……ってわけね」
戦局を知らせる連絡員が次々とやって来ては惨状を目の当たりにして言葉を失いました。一応騎士が伺いますがその内容は防御線を突破されたりとあまり思わしくないものばかりでした。しかし対応する指示を送れる者はもはやこの世には残っていません。
「リッカドンナ様。如何なさいますか?」
「……えっ?」
ですから、皆の士気が保てる者が臨時に上に立つ他ありません。聖女でしたら文句無しでしょう。
私が話を振るとリッカドンナは間の抜けた返事を返してきました。一方私の意図を察したこの場の者達は一斉にリッカドンナへ注目します。その眼差しは縋るようで、救いを求めるようで、とてつもない重圧となって襲い掛かっていました。
「もはや城壁が突破された今、この戦線を維持するのは困難です。この区画は放棄して下がるしか無いと思います」
卑怯ですが、この場で戦う者達の行く末はリッカドンナの決断に委ねられたのです。




