私は慈愛の聖女を思い返しました
今日も早めに奉仕を終えて撤収することとなり、リッカドンナはアレッシアと共に彼女が所属する修道院へと向かいました。私はリッカドンナが解散していいと言われたのでお言葉に甘えて王宮へと戻ります。
正直、聖女が奉仕活動中に切り上げて充分な食事、休憩、睡眠を取れるなんて夢にも思いませんでした。一刻も早くより多くの人を救うべく不眠不休が当たり前だと考えていたので。きっと時と場合にもよるでしょうが、今のやり方は賢いと思います。
「どうしたんだよキアラ。アイツに何か思うところがあったのか?」
帰る途中、やはり私の異変に気付いていたようで、チェーザレが心配そうに声をかけてくれました。リッカドンナ達一行は途中で降りたため、幌馬車の中は私達二人だけです。不安を見抜いて一人で抱えさせまいとする気持ち、私にはとてもありがたいです。
「慈愛の大聖女、って聞いたことありますか?」
「知らない奴なんていないだろ。歴史書にも書かれてるし、逸話は物語にもなってるな」
「アレッシアの奇蹟はどうも彼女を彷彿とさせるのです」
慈愛の大聖女アンナ。
絶望と混沌が世界を支配していた時代が去り、安寧と平穏を取り戻した世の中において人々の尊敬と希望を一身に集めた聖女。その奇蹟である慈愛は人々から怒りや憎しみから解放し、いかなる争いをも収めた、と記録されています。
彼女の功績は忘れられぬように今の時代でも語り継がれています。そして聖女が目指すべき尊き者として大聖女と呼ばれるようになりました。歴史上それ程までに名が知れ渡っている聖女は指を折る程度でしょう。
「ちょっと待ってくれ。それじゃあ何だ、キアラはアレッシアが大聖女の生まれ変わりとでも言いたいのか?」
「そこまでは言いません。ただ同じ奇蹟が後の世で授けられたとしても不思議ではないと思っています」
そして、大聖女の偉業としてもう一つとして三名の魔女の断罪があげられます。
大まかな事実は以前セラフィナと一緒に見た劇の通りです。ただし魔女へと堕ちた動機については未だに明かされていません。劇や教会の公式記録は当然、歴史書や伝記ですら憶測が並べられているだけなのです。
その多くは語るに値しませんが、一つ興味深い推察がありました。苦しみと悲しみから救う奇蹟として竜退、脱出、復活は必要とされたが、平和が戻った世界は慈愛を必要とした。魔女となった、されたのは時代の流れだ、と。
冗談じゃないとの個人的な感情は置いておき、確かに魔竜を殴り倒したり脅威から逃げ伸びる奇蹟は平穏な毎日を送るには不要な代物とも納得できます。舞台上から蹴落とされたのは理不尽ですが退場は致し方なかったのかもしれません。
「……じゃあ、アイツはキアラの敵なのか?」
「いえ、アンナ当人はとても良い子でしたよ。……表向きは」
「表向きは、って……何されたんだよ?」
「別にアンナから迫害された覚えはありませんから安心してください」
アンナを始めとして後進の聖女や候補者達は私達三人をとても慕っていました。私達も彼女達が立派な聖女となるよう可愛がったものです。特に世界は愛に溢れていると語っていたアンナは私達から見ても太陽のようにとても温かく輝いていました。
ただ、アンナはあまりに純粋過ぎました。
愛だけでは人は満たされないとは分かっていませんでした。
愛を信じれば人は必ず救われると信じて疑っていなかったのです。
「教会にとってアンナは理想の聖女でしたよ。それも癖のあった私達三人が片付けられた要因の一つだったかもしれません」
「何だよそれ……」
「まあ、今となっては過去の出来事です。アレッシアが慈愛の奇蹟を授かっていたとしても、別に聖女でも何でもないキアラになった私には関わりありませんし」
正直今からアンナと付き合えと言われたって御免被ります。人の愛を信じる彼女と人の悪意を身をもって思い知らされた私はもはや相容れません。彼女の愛に巻き込まれたくありませんから距離を置くのが正解でしょう。
「分かった。じゃあ俺もアレッシアとは親しくしないようにする」
赤裸々に語ってしまったところ、チェーザレは私を安心させるためなのか静かに、しかし力強く頷いてきました。
「別に私に合わせなくたっていいんですよ?」
「そうもいかないだろ。キアラとアレッシアが鉢合わせするかもしれないんだ。少しでもキアラが悲しむ可能性は無くしたい」
「私のことでチェーザレを束縛したくないんですが?」
「俺がそうしたいって言ってるんだ。キアラは気にしなくてもいい」
チェーザレったら、またそんなことを言う……。
彼の選択肢を狭める申し訳なさよりも私を想ってくれる嬉しさの方が先行してしまうのですから、私は本当に罪深い女だと思います。
揺れる幌馬車の中、私は自分の頭をチェーザレの肩に預けました。チェーザレは軽く驚いた様子で私を見つめてきましたが、その反応が何故か不満だったので更に欲を出して彼の腕を掴み、自分の首の後ろに回させました。
「道が舗装されていないからか馬車が揺れますね。支えてくれますか?」
「……分かった」
ようやくチェーザレも度胸を見せてくれ、私の肩を抱いてくれました。
それからはお互い一言もしゃべりません。ただ静かな二人きりの時間が流れていくばかりでした。
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「侍女たる者、時には空気に徹することも重要です」
「私達と距離を置いてずっと外を眺めていたのはそのためですか……」
ごめんなさい、トリルビィのことはすっかり頭の中から抜け落ちていました。
それぐらい彼女は空気を読んで静かにしていましたね。
「謝る必要なんてありません。むしろわたしはチェーザレ様には感謝してます」
「チェーザレが私を気遣ってくれて、ですか?」
「お嬢様、自覚はないんですか?」
「自覚?」
自室に戻って法衣を脱ぐ手伝いをしてもらっていたトリルビィの表情が真剣なものとなり、私を見つめてきました。
「お嬢様はご自分で思っているよりずっと聖女らしいあり方をしています」
「……っ!?」
愕然としてしまいます。聖女になんてもうなりたくないと願いながらも苦しむ人に手を差し伸べる矛盾。線引きは出来ていると思いながらも実際は神託に引きずられている……そんな現実を突き付けられた形でした。
「そんなお嬢様もチェーザレ様といる時は普通の女の子に戻ります。ですからわたしはあの方に感謝しているのです」
「そう、だったんですね……」
「はい、終わりました。夕食までまだ時間がありますからお茶を入れましょう」
普段着に着替え終えるとトリルビィは法衣を衣装棚へとしまい、恭しく一礼した後に部屋を後にしました。一人残された私はソファーに体を預けて外を眺めます。日が暮れて満天の星空が世界を覆っていました。
「チェーザレが、私を普通の女の子に……」
チェーザレはよく自分は私に救われたと言います。
ですが……今は私の方がチェーザレに救われているのかもしれません。




