私は聖域の聖女の出発を見送りました
「それじゃあリッカドンナちゃん。聖地は頼むわね」
「アウローラ様。どうかご無事で」
次の日の朝、アウローラは遠征軍と聖国軍と共に出陣していきました。まだ日が昇って間も無かったのですが、街は聖女の出発を見送ろうと多くの市民が集いました。その多くが先行きの不安を振り払おうと聖女に希望を託しているようにも見えました。
朝食を取り身支度を整え終えたらまた遠征軍の駐屯地へ出発です。昨日と違ってリッカドンナは私達と同じ幌馬車に乗りました。彼女曰く、自分一人のために別の馬車を出すなんて馬鹿げている、ですって。
「じゃあ今日も頑張っていきましょう。無理をして自分が倒れちゃ駄目だからね」
「「「はい!」」」
駐屯地に着いたらリッカドンナから一言があり皆が元気よく返事をしました。昨日もそうでしたが毎日どんなに時間が無くても朝礼と夕礼だけは行うんだそうです。そうして班の一体感を高め、効率よく奉仕をこなす秘訣のようなものなんだとか。
早速私達は怪我や病気に苦しむ方々の治療を開始しました。昨日に続いてリッカドンナは自分の班で迅速に診て回り、私はチェーザレとトリルビィの手を借りて一緒に密かに治し続けます。その場所にいた方を全て診終えた頃には太陽が天高く昇っていました。
「休憩、お昼にしましょう」
「「「はい」」」
野戦病院から離れて私達は王宮から持参した弁当を口にします。重労働をした後は沢山食べないと夜までもちませんからね。多少お腹が溜まってきても水と一緒に飲み込んでいきます。味は意外と美味しかったですよ。最悪固いパンだけも覚悟してましたし。
「リッカドンナ様……食べるの遅いのですね」
「うるさいわね」
リッカドンナはパンをちぎっては口を小さく開いて一生懸命噛んで飲み込みます。年上に対して失礼なのですが、とても愛らしいと思いました。
他の神官や護衛達は食事を終えて木陰で一休みに入っています。中には横になって昼寝をする者までいます。チェーザレも手持無沙汰に空を眺めていました。先ほどまでのあわただしさとは打って変わった穏やかな時が流れます。
「有事じゃないんだからメリハリは付けないと駄目よ。朝昼晩で食事は取る。合間合間で休憩する。そうじゃないと身体がぼろぼろになっちゃうわ」
「意外でした。リッカドンナ様程使命感を抱いている方でしたら一刻も早く一人でも多くの方を治そうと休み無しに回るとばかり……」
「出来ればそうしたいんだけれどね。あいにくあたしはそこまで頑張れないから。全力で取り組むってただ全力疾走すればいいってものじゃないでしょう?」
確かに。リッカドンナは最大の効率が出せるように己を制御しているのですね。もしかしたらこうして食事が遅いのも自分が食事している間は待機だと命じる口実だったりするのでしょうか? だとしたらとても部下思いだと思います。
大体チェーザレが要した時間の倍ぐらいでしょうか。ようやくリッカドンナがパンを食べ終えて水を一気飲みして奉仕再開です。私達を引き連れたリッカドンナが次に向かった先はまた別の野戦病院でした。
「多国籍軍ってこれだから嫌なのよ。怪我人が一か所に固まっていないんだもの」
「激しく同意します」
昨日までの距離感が嘘のようにリッカドンナと他愛ない雑談が弾みますね。それなりの姿勢を見せたのが良かったようですね。
私達の前に広がった光景はいつもと同じような地獄絵図……ではありませんでした。医師や看護師が忙しそうに回っているのは共通点、修道女が手伝いに加わっている姿も見られます。聖女の到着を見てもう少しだからと勇気づける兵士もいます。
しかし決定的に異なる点が一つ。見渡す限りの怪我人、病人は誰もが大人しく横になっているのです。漂う血と汗と排泄物の臭さは相変わらず嘔吐を誘発させますが、苦しそうな呻き声や叫び声が一切聞こえてきません。代わりに安らかな寝息まで聞こえる程です。
「どういうことなの……」
リッカドンナも異様だと感じ取ったようですぐさま手前の怪我人へと駆け寄りました。毛布を剥がして怪我を診断するものの、すぐさま飛び退きます。どうしたのかと後ろから覗き見ると……腹部が割かれて腸がはみ出そうになっていました。
「ああ……聖女様。やっとオレんトコに来てくれたんですね」
「アンタ、どうしてそんな大怪我負って平気でいられるのよ!?」
「それがですね……修道女の方が勇気付けてくれたら痛みが和らいで楽になって……」
なんとこの怪我人は安眠していたようなのです。リッカドンナの狼狽えるのも無理はありません。
怪我人は寝ぼけたままである方向を指差します。その先にいるのは怪我人一人一人の手を握って言葉を送っている修道女でした。顔と手しか露出していないので断言出来ませんが、もしかしたら学生の私よりも年下かもしれません。
彼女の怪我人を握る手は、淡く輝いていました。
「聖女様にこう言うのも何なんですけど、奇蹟が起こったみたいなんですよ」
「奇蹟、ねえ」
リッカドンナはほんのわずかな間だけ熟考し、配下の神官や護衛達にいつもの通りに奉仕にかかるよう指示を送りました。どうやら疑問の解消は後回しだと判断したようなので私もそれに従います。
その病棟に集められた怪我人や病人は不思議でした。命を落としていても不思議ではない致命傷を負った兵士まで何事もなかったかのように寝ていたのです。誰もが口をそろえて修道女のおかげで痛み等が無くなったと答えました。
奥側から奉仕にかかった私達と手前側から見て回ったリッカドンナ達が落ち合う頃でしょうか。リッカドンナは件の修道女を招き寄せました。聖女に呼び出されてもなお修道女は落ち着いた様子です。
「アンタ、自分がここの皆に奇蹟をかけていたって自覚はある?」
「え? 奇蹟ですか? まさか、わたしなんかが神様から奇蹟を頂いているわけないじゃないですか」
「それはすぐに分かるわ」
それは本当に一瞬の出来事でした。護衛が修道女を後ろから羽交い締めにして、神官が修道女の指を刃物で少し切り、女神官が指を聖女適性検査用紙に押し当てたのです。流れるような作業に私は圧倒されるばかりでした。
検査用紙に付着した修道女の血は……やがて紙全体へと広がっていきます。
「はい、これが証拠よ。アンタは神から人を救うための奇蹟を与えられてたってわけね」
「嘘、わたしが……?」
修道女は突然襲われたことより聖女となれる可能性の証拠を突き付けられた方を驚いているようでした。ただ検査結果を呆然と見つめています。
「アンタ、神からの言葉を聞いたりはしない?」
「えっと……神様からの声って……もしかして全てを救えーですか?」
「それよ! やっぱり神に選ばれてんじゃないの!」
神はどうやら奇蹟を授けた少女全員に全てを救えと言い回っているようですね。でしたら別に私にだけしつこく言わなくたっていいじゃないですか。まあ愚痴ですけど。
リッカドンナは興奮気味に修道女の手を取りました。修道女はあまりの勢いに気圧されているようです。
「どこの教会に属しているの? 神父に報告して総本山預かりにしなきゃ。どんな奇蹟なのかは追々調べるとして、重体の人の命も繋ぎ止めるなんて凄いじゃないの!」
「そ、そうなんですか?」
確かに。治療や回復もせず容体を安定させる奇蹟なんて今まで見たことも記録で読んだこともありません。生命を繋ぎ止めて後に託す奇蹟……あえて呼称するなら延命辺りでしょうか。他の傷を癒す奇蹟と併用すればより多くの命を救えるに違いありません。
「それに単純に痛みを麻痺させるんじゃなくてみんな安心しているようだし。絶望を払い希望を見出させる、貴女の奇蹟はまさに神の御業よ」
「そんな、言いすぎですよ」
……安心? 希望?
そう言えば、このような光景をどこかで見た気が……。
脳裏によぎったのはこれまで送ってきた過去の情景。キアラである私を通過して大学院生だったわたし、そして聖女だった私までさかのぼっていき……ようやく似たような現象を思い出せました。
慈悲深き愛で人に救いを。
背筋がぞっとしました。思わず悲鳴をあげそうになったところをかろうじて口を押えて防ぎます。チェーザレだけが私の異変に気付いたようですが、それに反応する余裕はとてもありませんでした。
「まさか、そんな……」
かつて神の愛を体現した少女は目の前の修道女とは似ても似つきません。こじつければそれなりに共通点を見出せますが、赤の他人だと言ってしまえばおしまいです。考えすぎだと申してしまえばそれまででしょう。
しかし、一度考えてしまったらもう膨らむばかりでした。
「それで、アンタの名前を聞かせてもらえる?」
「わ、わたしは……アレッシアっていいます」
それ程彼女、アレッシアの奇蹟は……私達三人の魔女を退けた大聖女のものを想起させたのです。




