私は一日の奉仕を終えました
「お疲れさま。まさか今日中にここにいた全員を治療しちゃうなんてね。さすがリッカドンナちゃんだわ~」
「いえ、みんなの協力があったからです」
入った時は地獄絵図そのものだったテントの中は聖女を讃える声でいっぱいになりました。一部始終を眺めていたアウローラはリッカドンナを褒め、リッカドンナも謙遜しながらもどこか嬉しそうに照れていました。
「でも、ここにいる皆さんで全てじゃあないんですよね?」
「ええ。残念だけどここ以外にも大勢収容されているの。悪いんだけれど明日からは他のところも見てもらえない?」
「勿論です。ここは任せてください」
帰り支度を整えた私達は乗ってきた馬車へと向かいました。外はすっかり暗くなっていて駐屯地は松明が灯されていました。さすがに暑い季節に突入していても外は涼しいですね。夜空に輝く星々は……あまり南北に移動していないので聖都と変わりませんか。
「キアラさん、だったかしら?」
最後尾で幌馬車に乗り込もうとした私を呼び止めたのはアウローラでした。私は肯定の返事をしてアウローラへと向き直ります。リッカドンナやチェーザレを始めとして他の人は既に馬車に乗っているので、この場は私と彼女の二人きりです。
「今日はどうもありがとうね。リッカドンナちゃんを手伝ってくれて」
「いえ、お安い御用です。こんな私でもお役に立てていたなら幸いです」
「キアラさんならきっといい聖女になれるわ。わたし応援しちゃうから」
アウローラは顔色一つ変えずにさらっと言い放ってきました。
いくら長い間聖地に駐在していても聖都と連絡は取り合っていたでしょうから私についての情報も把握していてもおかしくはありません。今日の振る舞いを観察した限りでは本物の聖女候補者だと思われても仕方がありませんが……。
「あの、リッカドンナ様から事情をお聞きしているかと思いますが、私は何故か神のお告げがあってここに連れてこられただけなんです。聖女の方々と違って奇蹟を授かっていません」
「それ、神に誓って言える?」
「……っ」
まさかの返しに言葉も出ませんでした。勿論私の悲願を果たすためなら虚偽を並べ立てるべきです。これまでエレオノーラに嘘をついてきたみたいに。
ですが……ですが、自分の都合のために神の名を騙るなんて、私には出来ません。否定も肯定も不可能な私に許された返事は、沈黙だけでした。
たった一言で真実を暴いたアウローラは、しかし私に優しく微笑むばかりでした。
「エレオノーラ様ももうちょっと頭を使えばいいのにねー。神託に頼りすぎて自分で考えなくなっちゃった弊害かしら?」
「あ、あの、私は……」
「無理しなくてもいいの」
何か言わないと、と口を開きかけた私の唇にアウローラは人差し指を押し当ててきました。虚偽の申請をした私に怒る様子もないどころか、彼女は慈悲深いと思わせる程優しい笑顔を浮かべます。
「聖女候補者にならなくても神罰が下っていないのでしょう? ならキアラさんはそのままでいればいいわ」
「……いいんですか?」
「そりゃあ教会に属してた方が色々と都合はいいわよ。諸国を回る旅費も警護する兵隊さんも教会が用意してくれるもの。権力者の欲望と関わらなくてもいいし、何より使命を共にする仲間が集うもの。けれどね」
――教会がどう思っていようと神のお考えに従うまでよ。
そう語った聖域の聖女は満足した様子で馬車へと乗り込みました。
■■■
想定より早く終わったこともあって新たなる聖女の来訪を歓迎する宴は予定通り行われることとなりました。私達の滞在先は聖地からほど近い聖国の王宮。やはり聖女ともなると国賓扱いされるのが常で待遇が良いですね。
で、一応建前は聖女候補者という身分で同行している私も王宮内の客室が割り振られました。寝泊まりするだけなら十分な広さだったので満足です。寝具は押すと軽く沈みますし枕も柔らかく、羽毛布団も厚く、朝までぐっすり眠れそうです。
オフェーリアとパトリツィアの故郷である海洋国家と南方島国からの帰りに拉致されたのもあって長期滞在の準備は万全。ただ聖地までの船旅の間充分に洗濯も出来ませんでしたし、汚れ物は全て王宮のランドリーメイドに預けてしまいましょう。
「お疲れ。初日から結構働いたけれど感想は?」
少し部屋で休んでから食堂へと向かうと、真っ先にリッカドンナが話しかけてきました。聖地に到着するまでとは打って変わった接し方に面食らいましたが、私が奇蹟を授けられた者としての使命を果たしたから不満が和らいだ、辺りでしょうか?
「体力の無さを痛感致しました。もっと持久力を養わないと身体がもちませんね」
「随分と慣れた様子だったけれど? ロザリアも驚いていたわよ」
「少しでも多くの方の力になってあげたいと無我夢中でしたから」
ロザリア……ああ、先ほど駐屯地に向かう際に私に忠告した女官でしたか。何の修業も積んでいない貴族令嬢に何が出来る、と思っていたかはさておき、リッカドンナ達とほぼ同じ速度で診療を進めたのはさぞ驚きに値したことでしょう。
「本当、聖女になりたくないわりには奇蹟の行使はためらわないのね」
「奇蹟? はて、何のことやら。皆さんの容体が回復しているのは偶然でしょう」
ただしあくまで私は皆を勇気づけて回った、という建前を貫きます。
リッカドンナは私の返答は想定内だったようで軽く笑みをこぼしました。
「致命傷を負ってた兵士も峠を越す所まで持ち直したそうよ。本当、このあたしが嫉妬しちゃうぐらいの奇蹟を授かっているじゃないの」
「リッカドンナ様。その辺りの議論は不毛ではないかと。いつまで経っても平行線ですよ」
「一つ確かめたいんだけれど、どうして完全には治療しなかったの? やろうと思えば明日の朝には完治するぐらいには出来たと思うんだけれど」
「……もしも私がリッカドンナ様の仰るような神の奇蹟を与えられていたとしたら、で答えても構いませんか?」
「いいわよ。是非聞かせて頂戴」
もはやどれ程否定しようがリッカドンナの興味は私に向けられたままでしょう。であれば、やむをえませんが逃げ道を作りつつも彼女を満たすよう回答する他ありませんか。
観念した私は正面からリッカドンナを見据えました。
「一人につきっきりでは次に待っている救える筈だった方が救えなくなるかもしれません。聖女でしか叶わない命の救い上げはするべきでしょうが、そこから先の治療は医師団の方々に任せた方がいいかと」
「ふぅん。南方王国では音楽家の腕も再生させたのに?」
「時と場合ぐらいわきまえますし聖女とて万能ではありません。大勢を助けたいなら……やれる範囲には限度があります」
そう、取捨選択はどうしても必要となってきます。まだ自分の奇蹟が復活だと知らなかった頃はいくら傷口を塞いでも命の灯が燃え尽きた方を大勢見てきました。復活だと認識した後も自分の体力が尽き果てて救いを求める方に手を伸ばせないこともありました。
聖女はあくまで人間なのです。どうやって神が仰る通り全てを救えるかは自分で考えねばなりません。……であれば、極端な話、目が片方潰れようが腕を一本失おうが、生きてさえいれば人の世に尽くせる、と信じて治療してゆくしかありません。
「そう……安心したわ」
私が口にした正直な思いを受け取ったリッカドンナは満足げに微笑みました。
「どうやらアンタを誤解していたようね。信じ難いのだけれど、聖女にならないままで人を救う、神託を叶えるつもり?」
「さて、あくまでもしもの話ですから前提が誤っていたら覆りますがね」
「アンタ……教会に不信を抱いているわけ?」
やはりその疑問が来ましたか。
聖女になるならないの二択ばかり考えていたせいでカロリーナ先生のような第三の選択肢があることにはつい最近まで気づきませんでした。無論、神の奴隷だなんてもう沢山ですから野良聖女になるのもまっぴらごめんですが……教会の人形よりはマシです。
「単に私にとって聖女はあまり魅力がない存在なだけです」
もう、役割を果たした途端に捨てられるのは嫌ですから。




