私は密かに治療を施しました
聖地に派遣された多国籍軍の陣営の一角に設営された野戦病院。そこをリッカドンナに任せたい、とアウローラは悲しさを滲ませて語りました。
「医者の数が足りてないの。医薬品も本国からの支給品に頼るしかないから」
「任せてくださいアウローラ様。あたしがみんな助けますから」
「頼もしいわ。じゃあ、準備はいい?」
「はい」
アウローラの問いかけにリッカドンナは力強くうなずきました。それを嬉しそうに受け止めたアウローラはテントの中へと入り、続いてリッカドンナ、そしてお付きの者達が従います。本来部外者な私達は最後に足を踏み入れました。
そこに広がる光景は……残念ながらとても懐かしいものでした。
呻き声をあげる者、うなされる者、悲鳴や絶叫をあげる者など、簡易的な寝具が所狭しと並べられ、負傷した兵士や一般市民が寝ているのです。中にはあまりの苦痛に耐えられず、看護師を掴んで死を願う者までいる始末。
その寝具の隙間を縫うようにひっきりなしに看護師がとても忙しそうに動き回っていました。残らず疲労を浮かべており、顔に死相が浮かんでいる者までいました。目の隈や頬のやせ細り具合から察するにもう何日も寝ていない者もいるのでしょう。
テント内に漂う臭いも血と汚物が入り混じって生臭く、思わず吐き気がこみ上げます。こんなこともあろうかと直前の食事は量を控えめにしていましたが……自分に浄化の奇蹟をかけられないことを毎度ですが恨みます。
「ごめんなさい。わたしは回復や治療の奇蹟を授かっていないから、どうしようも出来ないの。今の時代にそうした奇蹟に特化した聖女がいればよかったのだけれど……」
「大丈夫です、アウローラ様。あたしが何とかします」
申し訳なさそうに声を小さくするアウローラを安心させるためにリッカドンナは自信を込めて述べ、手前の患者へと向かいました。
「大丈夫、あたしも聖女よ。もう少しだから頑張って」
リッカドンナは苦しむ患者を勇気づけながらも手際よくその症状を診断します。その間に近衛兵や女神官が血が滲む包帯を取り、聖女が患部を確認。その連携はとても鮮やかで洗練されており、私は思わずうなり声をあげてしまいました。
そして粗方状態を把握したリッカドンナは患者に奇蹟を施しました。彼女が患者に触れた手が淡く輝き、その輝きはやがて患者の全身を優しく包み込みます。すると患者の苦しむ声は段々と和らいでいき、やがて苦痛に歪んだ顔は穏やかなものに変わりました。
「あとはぐっすり寝て体力を取り戻しなさいね」
「あ……ありがとう、ございます……!」
リッカドンナは助けた患者へ微笑みました。患者は自分の命を救った聖女に最大限の感謝を口にしながら涙を流しました。そして安心したからなのか意識を失い、寝息を立て始めます。
その患者へ再び包帯を巻いたり寝具や寝間着を整えるのは部下に任せ、リッカドンナはすぐさま次の患者の治療にあたりました。既に次の患者は先行した近衛兵が寝間着を脱がせて包帯を取り払って準備を整えていました。
「アイツ、あんな凄かったんだな……」
チェーザレが思わず口にした通り、私も凄いとしか言いようがありませんでした。
南方王国での彼女はその片鱗すら見せていなかったのですね。
「て言うか、普通の兵士達もちゃんと救ってるじゃんか。俺の国でのアイツは一体何だったんだ?」
「あくまで私の憶測でしかありませんが、彼女は地面に立って見える範囲ではなくもっと高い目線で見ているのではないでしょうか?」
「それ、どういう事だよ?」
確かリッカドンナは普段貴族、商人、教会でも高位の者を優先的に奇蹟を施しているんでしたね。そして市民の前では公開の場で奇蹟を見せつけるにとどめる、と。確かに今分け隔てなく奇蹟を行使する彼女からは考えられない業突く張りです。
「彼女は言っていました。神のお言葉は全てに優先する、と。その神は言っています。全てを救え、と。では全てを救うにはどうすれば良いでしょうか? どのような偉大な奇蹟を授けられても聖女一人に出来ることは限られています」
「それが社会的弱者の切り捨てに繋がるのか?」
「資産を持つ者を救えばそれだけ教会への寄付が増えるでしょう? 活動資金が増えればより組織的な奉仕活動をしやすくなります。大局を見据えるなら多少の犠牲はやむをえません」
「そんなの、割り切れるのかよ?」
「リッカドンナ様なりに自分の成すべきことを考えた上での選択なのでしょう。部外者の私達が咎める資格は無かったようですね」
言うならリッカドンナは聖女の立場を最大限に利用して営業を行っているのでしょう。残念ながらエレオノーラを始めとして他の聖女はあまりそうした全体の流れが見えないようですし。
そのような聖女の在り方は考えもしませんでした。
ただ神の使命に従って猛進していればよいとばかり……。
ひょっとすると私達が破滅したのは自明の理だったのかもしれませんね。
「さてチェーザレ。私達はお客様として連れてこられたわけではありません。状況を把握できた以上、早速動きましょう」
「動くって……この人達を助けるのか?」
「当たり前です。苦しむ者達には手を差し伸べなければ」
「アイツ等にキアラのことがばれてもいいのか?」
「ばれなきゃいいんですよ。やりようはいくらでもあります」
もう少しリッカドンナの仕事ぶりを観察したかったのですが、いくら迅速に治療しているとはいえこの大人数が相手では彼女の負担が大きすぎます。班を組んで従事するリッカドンナの速度は出せませんが、それでも少しは軽減出来るでしょう。
そうと決意したら私は彼女と反対、つまり奥側から取り掛かることにしました。あいにくリッカドンナのように症状を確認した上で適切な処置を行っていたんでは一発で奇蹟によるものだとばれてしまいます。申し訳ありませんが、必要最低限に留めます。
「癒しを」
私の授かった蘇生の奇蹟は回復、活性、浄化を伴います。ただし南方王国でのフィリッポのように失われた四肢をも取り戻せるほどの完全な治療を施していては私の体力が持ちません。命が失われない程度にほどほどとさせてもらいます。
かつて聖女だった私なら言葉をかけて相手を安心させたでしょう。しかし今の私は別に相手の感謝も崇拝もいりません。ただ相手を救ったとの事実さえあればいいのです。よって私は次々と患者を治していきました。
「チェーザレ、この人を押さえていてください」
「分かった」
「この人は背中に重傷を負っているようですね。起こしてもらますか?」
「分かった」
痛みで悶えたり暴れる方はチェーザレに押さえつけてもらい、その間に奇蹟を行使します。他にも脚をあげてもらったり横向きに身体を動かしてもらったり。ここぞとばかりにチェーザレをこき使います。
「軽蔑しますか?」
「何に? キアラにか? どうして?」
「私が本気を出せば眼球を傷つけられて目が見えなくなった方の光も取り戻せます。失った指だって再生出来ます。ですが私は命に別状がなくなる程度にしか治療していません」
「こんだけ大勢いるんだから配分を考えるのは当然だろ。気にすることはない」
「……そう言っていただけるなら少しは心が楽になります」
ですがやはり直面すると考えてしまいます。聖女マルタだったらそれでも再び日常生活を送れるように治療してしまうだろう、と。私は自分の保身を優先させる最低最悪な女だ、と。罪悪感に押し潰されてしまいそうです。
一体どれだけの時間を費やしたでしょうか? 気が付けば隣の寝具では準備に取り掛かるリッカドンナの近衛兵の姿がありました。手前側から奥に進んだ彼女と奥から戻ってきた私とが鉢合わせしたのですから、このテントの患者は全て見終わったことになります。
「ふぅん、あたしとキアラで大体同じぐらいの人を治したみたいね」
「治しただなんて恐れ多い。私はただ元気づけただけです」
「この期に及んでまだそんなこと言うのね。まあいいわ、どれだけ言い訳を積み重ねていようが手を動かして結果を出したんなら文句なしだもの」
終盤はどんな風にごまかそうかと悩んでいましたが、想定よりあっさりとリッカドンナは引き下がりました。私達が駐屯地から撤収した頃にはもうすっかり日が沈んで辺りが暗くなっていました。
初日からこれですか。先は思いやられますね。




