私達は聖域の聖女に案内されました
「いらっしゃいリッカドンナ! こんなに大きくなっちゃって~!」
「あう……っ!? アウローラ様、みんなが見てますって!」
聖域の聖女アウローラは浄化の聖女リッカドンナが陸へと降り立つと真っ先に駆け寄り、たじろぐ彼女が逃げる間も無く抱きしめました。厚手の法衣を身にまといながらもまだ主張が激しい胸に顔がうずまります。
リッカドンナの護衛や付き添いとしてやってきた教国兵や神官はいつもの責任感を前面に押し出した様子と異なる彼女に驚き、逆にアウローラに従う者達はいつもの事なのか平然と目の前の出来事を受け止めているようでした。
やがて満足したアウローラはリッカドンナから離れます。そして絵画で描かれるような優しい微笑を浮かべ、気品に満ちたお辞儀をしました。親しみやすさはあっという間も無く鳴りを潜めていました。
「浄化の聖女リッカドンナ様。よくぞ来てくださいました。心から感謝いたします」
「浄化の聖女リッカドンナ、聖域の聖女アウローラの要請により応援に駆け付けました。これよりこの地で奉仕させていただきます」
二人の聖女のやりとりこそ正式なものだったのでしょう。直前のやり取りはどちらかというと同僚としてではなく久しぶりに再会した母娘の交流に見えました。きっと二人には相当強い絆が結ばれているのでしょう。
短いやり取りが終わると式典は早くも終了しました。船に同乗していた兵士達が自分達の荷物を背負って下船、聖国側兵士の案内に従って去っていきます。岸で待機していた労働者達は逆に乗船して積んであった物資を下ろす作業に入っていました。
「長旅で疲れちゃってるでしょう? 今日はささやかだけれど歓迎の催しをしようと思っているの」
「いえ、アウローラ様。折角ですが早速活動に移りたいです。可能なら状況をかいつまんで教えてくれませんか?」
「相変わらず真面目ちゃんねーリッカドンナは」
アウローラは自らリッカドンナを導こうとしますが、浄化の聖女は真面目な面持ちで自分の意志を述べました。アウローラは少しだけ笑うとリッカドンナを伴いながら歩み始めます。向かう先は……港に端に待機させている馬車ですか。
「聖地を首都にして建国された聖国は何度も異教の蛮族に攻められている、とは知っているでしょう?」
「はい。ですけどアウローラ様の聖域の奇蹟がある限り聖地の守りは盤石です。何も恐れる必要は無いと思います」
「ところがそうもいかないのよ。教国とかから無尽蔵に必要な物資が運ばれれば話は簡単なのだけれど、そうはいかないでしょう? この土地で生活の基盤を築かないと長続きしないのよ」
アウローラの説明を整理すると、彼女の聖域の奇蹟が長続きする土地とそうでない土地があるらしいのです。基準は、彼女の推測交じりですが、教会や聖地と言った由緒正しい場所なら聖女が去っても長く効果を発揮し、辺鄙な土地ではすぐに霧散するんだとか。
なので聖国では聖地を始めとした数か所はアウローラが守れるものの、その他は彼女自らが赴かないといけないそうです。それでもこれまでは聖域の奇蹟の前に成すすべが無いおかげで相手は無駄な軍事行動を起こしてこなかったそうですが……。
「攻め込まれてる? それもアウローラ様がいない町を?」
「そうなの。まるでわたしを嘲笑ってるみたいにわたしが派遣されないところが攻撃されちゃってるのよね」
ここ数か月で状況は一変した、とアウローラは語りました。既にいくつもの町や拠点が攻め落とされ、命からがら逃れた者達がこの聖地に流入してきているんだとか。船に積まれた物資も半分以上を怪我、病気、飢えで苦しむ人達に与える予定だそうです。
アウローラは芳しくない状況を思い出したためか、深いため息を漏らしました。彼女に同行する近衛兵や神官達の表情も暗いものだったので、事態は私の予想以上に良くないんだと簡単に察せました。
「リッカドンナちゃんが来てくれるからって少し抜けさせてもらったんだけど、明日には異教の軍勢を討伐しに出発しないと」
「アウローラ様が行かれるんでしたらあたしも……!」
「駄目よ。リッカドンナちゃんももう一人前の聖女なんだから自分しか出来ないことをしないと。いつまでも甘えん坊さんのままじゃ「めっ」よ」
「……はい」
駐車場、と表現すればいいんですかね、に到着するとアウローラとリッカドンナは同じ馬車に乗り込みました。いかにも教会、そして聖女の権威を誇示しているんです、といった豪華絢爛な作りをしており、私は相変わらずだと内心で呆れ果てました。
「リッカドンナちゃんには聖地に集まった人達を治してもらいたいの。今日は初日なんだからほどほどに切り上げて――」
アウローラの話はそこ辺りで馬車の扉が閉まったので聞こえなくなりました。私は不本意ながら一応リッカドンナ付きの聖女候補者との扱いなので、別の馬車に乗って彼女達の後を追います。幌馬車に乗るなんてキアラとしては初めてですね。
目的地に向かうまでの間、リッカドンナ付きの近衛兵や女神官達は緊張と不安を和らげようと会話を繰り広げますが、あいにく拉致同然に連れてこられた私にそんな相手はいません。馬車からの風景を楽しむばかりです。
ただ、職務と使命に忠実だから口や表面上の態度には出してきませんでしたが、誰もが私に不満を抱いているとは何となく分かりました。神は何故馬の骨とも分からぬ貴族の小娘を連れて行けと命じになったのか、辺りでしょうか?
「失礼。キアラ嬢、少しいいですか?」
「っ!? は、はい。なんでしょうか?」
と割り切っていた私の不意を突くように女神官に話しかけられました。年は私より一回り上、とても真面目そうな顔立ちをしています。船の中はおろか南方王国でもリッカドンナに付き従う光景を目にしましたっけ。
「神はリッカドンナ様に貴女をこの地に連れて行けと仰せになられましたが、その先は何も語られていません」
「はあ……」
「何かをさせよと神託が下りていない以上、貴女のやることはリッカドンナ様に委ねられます」
そう言えば私ったらリッカドンナから聖地で何をすればいいのか聞いていませんでしたね。
「私はリッカドンナ様のお手伝いをすればいいだろうと思っていましたが?」
「しかし、リッカドンナ様は言っておられました。貴女のやるべきことは神が示してくださる、と」
「はい?」
神が示す、神が導く、つまり神が私に直接お言葉を下さる、と?
それってリッカドンナは私が神託を授かるに足る者だと認識しているってことではありませんか。
いえ、それ自体はエレオノーラ達から散々疑われているので今更ですが、疑惑を公然のものとして扱うのは止めていただけませんかね? 規定で聖女になれない年齢まで達するまでは教会内に荒波を立てたくないのですが。
心の中で神を妄信する身勝手な聖女達への罵倒する間も女神官は続けます。表情を変えないまま淡々と言葉を紡ぐので彼女の内心は読み取れません。しかしこうして私を放置せずに忠告してくる以上はいくばくか煩わしく感じているのでしょう。
「従って私共は貴女へ指示を出すわけにはまいりません」
「つまり、自己判断で動いても構わないと仰せなのですか?」
「であるからこそ心に留めていただきたいことがあります」
私の推察は当たっていたようで、女神官は目を細めて私を睨みました。
「浄化の聖女リッカドンナ様の邪魔だけはせぬように。よろしいですね?」
「分かりました」
その忠告は至極真っ当ですね。蝶よ花よと育てられた小娘に一体何が出来ると思われても不思議ではありません。場を乱すのであれば部屋の片隅に留まっていろ、もしくは視界に映らぬ場所に行ってしまえ、と怒鳴られてしまうかもしれませんね。
聖女になりたくない私は奇蹟の行使を控えるつもりですが、かと言って苦しむ者達を見て見ぬふりをするつもりもありません。私の人生計画に支障が出ない範囲で全身全霊を込めて奉仕する、と腹をくくりましたので。
「大体、神託を授かった者が男を同伴させるなど……」
「その話は先ほどリッカドンナ様より直接賜わりましたのでもういいでしょう」
で、女神官が嘆くとおり私の隣にはチェーザレが静かにして座っています。これは私に同行してもらうよう我儘を言って……もとい、交渉した結果です。十中八九体力仕事が多くなるでしょうから男手が欲しいので、と説得して。
私達の馬車は聖地の市街地を通り抜けて軍の駐屯地にやってきました。教国連合諸国を始め多くの国から派遣された多国籍軍なのもあって陣営に掲げられる旗も様々です。その敷地の一角、巨大なテントの前で馬車は止まりました。
その中は……キアラや大学院生だったわたしの想像を絶する凄惨な光景が広がっていました。




