私は聖地に着きました
「ふぅん。男を紛れ込ませてたんだ」
航海も終わりに差し掛かり既に聖地が肉眼で確認できるほどになった頃、甲板でチェーザレとトリルビィの三人でその光景を眺めていたら、リッカドンナがこちらにやや大股で歩み寄ってきました。
その面持ちは憮然……いえ、憤り……も違いますね。不快感と侮蔑が込められていました。あまりに突然かつ無礼でしたから私も気分を害したのですが、聖女ともあろう者が理不尽な糾弾をする筈がないと押さえつけます。
「あの、仰っていることが良く分からないのですが」
「どうせ神託のおかげなんでしょう? そこの彼に前もって手紙でも送って一緒に来てほしいとでも願ったのかしら?」
「私は貴女様と言い争いたくはありません。要点をお願いします」
いちいち彼女の主張を訂正していてはきりがありません。さっさと本題に移っていただきましょう。そう冷静に促したつもりでしたが口から出てきた言葉は思った以上に重く冷たくなりました。
私は聖女に食ってかかろうとするチェーザレを手で制して彼女と相対しました。自分はどれほど見下されようが構いませんが、チェーザレに矛先を向けるなら許しません。右の頬を打たれたなら左の頬を叩いて差し上げます。
「聖女は愛し合う者と結ばれ子を成した場合、その子に神より授けられた奇蹟を継承する。そしてその使命を全うする。それぐらい知ってるでしょう?」
「にわか知識程度には。本当かどうかは分かりかねますが」
「なら男を連れ回すのがどれだけ神への冒涜かも分かるでしょう?」
「いえ、ちっとも」
言いたいことは分かりました。とどのつまり、以前南方王国で忠告したのと同じで、聖女の宿命から逃げるなと仰りたいのですね。聖女候補者にならず男を侍らす私はさぞ堕落しているように見えることでしょう。
しかし、奇蹟の継承は教会や先人達が構築した現象ではありません。それこそ神がそのように定義したとしか説明が付きません。であれば、聖女にとって恋愛とは神が授けた選択肢の一つであり、決して悪ではないでしょう。
「私は奇蹟も神託も授かっていないただの娘です。であれば女として伴侶を持ち、家庭を築き、子を成すのが役目ではないでしょうか?」
勿論そんな風に反論しようものなら揚げ足を取られかねないので、あくまで私は貧弱一般人なんですと言い切ります。
案の定私を疑っているリッカドンナからすれば言い訳にしか聞こえないようで、怒りで目元が少し震えていました。
「そもそも私はチェーザレと正式に婚約を結んでいます。いくらリッカドンナ様が聖女だからと大公国と南方王国の決定に口出しは無用ではありませんか?」
「それがどうしたの?」
一国の王子と他国の貴族令嬢との婚約は男女個人だけで片付くわけがありません。互いの家、更には国単位での大きな話になります。教会と言えど二つの国を押さえつける程の権威を振るえばただでは済みませんからね。
ですが目の前の聖女は些事だと言わんばかりに断言、私の主張を切って捨ててきました。これにはチェーザレやトリルビィは驚きを隠せませんでした。残念なことに私には彼女が次に何を言うか容易に想像出来てしまいましたので驚くに値しません。
「神の言葉は全てに優先する。それぐらい常識でしょうよ」
神は絶対である。それは覆せない真理だ、と。
「ええ、勿論あたしだって神から啓示を得たら子供を何人だって生むわよ。けれどそう言われないんだからまだその時じゃあないんでしょうね」
「つまり、そうせよと神託を頂かない限りは神より下された使命に準じよ、と?」
「それが聖女の正しい在り方よ」
「それでは聖女とは神の人形、奴隷ではありませんか」
「アンタもそうなれって言ってるのよ。王子様には帰ってもらいなさい」
「嫌です」
明確な拒絶をぶつけられたリッカドンナは片方の手でもう片方の腕を押さえつけるように握りました。法衣の下の腕が充血するのではと心配になるほど強く。
なのに顔は憤怒で歪むどころか熱が失われたように何も浮かんでいません。
「逆にお訪ねしますが、リッカドンナ様は私を聖女にしろと神託を頂いたのですか?」
「……。いえ。けれどエレオノーラ様が――」
「エレオノーラ様は私がただの貴族令嬢で終わる定めではない、と神より語られたそうですよ。拡大解釈なさらないでください」
「神の意志に逆らって口答えする気?」
「神は言っていませんよ。教会に属して聖女になれ、だなんてね」
あくまで教会とは全てを救えとの神の使命を果たすために集った組織であり、一番の近道だから希望はすれど強制的に加入しなければならないのはおかしいでしょう。それこそカロリーナ先生のように教会とは別に活動が出来るんですから。
私の指摘にリッカドンナはぐうの音も出ないぐらい完全論破された感が出ていました。必死になって私の主張を覆そうと悩んでいるようですが、実際に神の使命と教会を結びつける材料がない以上は徒労に終わるだけでしょう。
「婚約者を同伴させるのが許されないとはリッカドンナ様の主張ですよね?」
「それ、は……」
「確かに聖女の絶対数が少ない暗黒期であれば責務を放棄したとみなされても無理はありません。しかし今はリッカドンナ様を始めとして五名もの聖女、そして決して少なくない数の聖女候補者がいらっしゃるではありませんか」
「充分な人数がいるんだから一人ぐらい恋愛にうつつを抜かしたって許されるべきだ、とでも言いたいの?」
「教会が聖女の恋愛を禁じていない以上は悪ではないと解釈されているのが現実かと。当然これは私の意見ですのでリッカドンナ様に強要するつもりはありませんがね」
「減らず口を……」
まあ、リッカドンナは聖女は人の救済に身も心も魂すら捧げて取り組むべきと考えているようですから教会の方針は生温いとでも思っているんでしょうね。しかし大義が無い以上はリッカドンナの主張はただの意見の押し付けに過ぎません。
「神がお許しにならないわよ」
「その際は神が忠告なさるでしょうね」
現時点で神の言葉を無視し続けている私に天罰が下っていない以上は神も私の今の在り方を許容しているんでしょう。であれば心配する必要はありません。これからも私は真っ先に私の幸福について考えるとしますから。
……と考えながらもいざ目の前で苦しむ人が現れたら手を差し伸べてしまうのですから、私って馬鹿ですよね。平時の今は自分を戒められても危機に遭遇したら助けたいとの願いが勝ってしまうのですから救いようがありません。
気を付けなければいけませんね。神を満足させないように。
「ところでリッカドンナ様。いつまでもそのような仏頂面では折角迎えに来て下さった方に失礼ではありませんか?」
「えっ?」
リッカドンナは私への糾弾に熱中していたせいか、船がいつの間にか接岸していたことに気付いていないようでした。今は船に橋がかけられている最中で、甲板には既に多くの方が下船を待ち望んでいる姿が見られました。
一方、岸の方では新たな聖女の到着を歓迎する為に多くの市民や兵士達が集まっていました。……半分以上の人に疲れが見て取れるのは度重なる防衛戦で疲れているせいでしょうか? そんな中で久々に明るい話題になったのか、誰もが歓喜しています。
「嘘、アウローラ様もいらっしゃるじゃないの!」
「リッカドンナ様、手すりからそんな前のめりになっては危ないですよ」
リッカドンナの視線の先は複数の神官や聖職者に囲まれた女性でした。煌びやかで豪奢な法衣に身を包んだ彼女は高貴な雰囲気でありながらも厳粛。一目でこの聖地を支える立派な方なんだと納得してしまいました。
「リッカドンナちゃーん! 元気にしてたー?」
そんな聖域の聖女アウローラは、リッカドンナの姿を捉えると満面の笑みをこぼし、声をあげながら大きく手を振ってきました。大勢が集ったこの場においてもとても目立っており、声をかけられたリッカドンナは恥ずかしそうに赤面しつつ慌てます。
「アウローラ様! あたしもうそんな風に言われる年じゃありません!」
「照れちゃってー。わたしからすればリッカドンナちゃんはいつまでも可愛い娘よー」
前言撤回したくなりました。
何というか、その……とても独特な方なのですね。




