私は聖域の聖女を連れて帰ろうと思いました
「ところでトリルビィ。私はただリッカドンナ様の言いなりになってこき使われるつもりはありません」
「と、言いますと?」
ところ変わって食堂、私達は軽く昼食を取っています。保存が効く固いパンと具が芋ぐらいの簡素な塩スープだけですが、空腹にはありがたいです。給仕曰く、夜は少し肉料理が出るから期待していいとか。さすがは聖女が乗船しているだけあり豪華ですね。
「聖地に連れていかれるのはどうしようもないとして、一つやりたいことがあります」
「聖地巡礼ですか?」
「いえ、別に私は聖地だろうと街中の教会だろうと祈りを捧げれば神は聞き届けてくださると考えていますから、場所はどうだっていいんです」
ちなみに場所による神託の聞き具合や奇蹟の効果増大はあります。ただ聖都だから聖地だからとの区切りではなく、いかに神の使命に従っているかが重要なようですね。たまたま聖地という地域が神の意志にそいやすいのでしょう。
私はトリルビィを手招きして顔を彼女の耳に寄せました。船の中だけあって私達を挟んだテーブルも小さく、身を乗り出せば簡単に届きます。ちなみに息を吹きかけていたずらしようと悪だくみも浮かびましたが自重します。
「アウローラ様を聖都に連れて帰ろうかと」
「……っ!?」
トリルビィは思わず声をあげかけて慌てて口を手でふさぎました。辺りを伺って誰にも注目されていないことを確認、ほっと胸を撫で下ろします。
「聖域の聖女様は聖地を守護する重大な使命を任されています。おそらくは教皇聖下が命じられても拒絶されるかと」
「それぐらい分かっています。ですがあの方に帰還していただかねばいつまで経っても女教皇の座は空位のままです」
「あっ……!」
はっきりと申しましょう。聖地の守護はきりがありません。
と言うのも聖地の地理的位置が問題なのです。
聖地がある場所は教会の権威が及ぶ地域から遠く離れています。陸路で行こうにも教会と袂を分けた別宗派を擁する東の帝国、そして敵対異教徒異種族が支配する地域で隔てられているのです。よって教国からは船で行くしかありません。
教国連合やその権威が及ぶ諸国は聖地奪還のため遠征軍を派遣して聖国を建てました。しかし周囲の異教にとってもそこは聖地。何としてでも奪還しようと何度も大軍を派遣してくるのです。守護に秀でた奇蹟を授かった聖女が常駐するのはそのためなんだとか。
ええ、どう考えたって維持は無理ですね。聖地を保持する為に教会は莫大な資金と人員を注ぎ込んでいます。それが各国の財政を少なからず圧迫しているものの、大義の前では不満が起こりようもありません。
「断言しますが今のままでは聖地に安寧は訪れません。それこそ教会が古の大帝国並みの勢力を持ち、聖地周辺の国々を支配下にするぐらいでしょうか」
「きりがないから聖域の聖女はずっと聖地に留まったままで、離れられないから女教皇には誰もなれない、と?」
「現役聖女が集ってコンクラーベが開かれない限りは、ですね」
神託の聖女エレオノーラ。
審判の聖女フォルトゥナ。
浄化の聖女リッカドンナ。
正義の聖女ルクレツィア。
そして聖域の聖女アウローラ。
この五名に乙女げーむの舞台となる一年後には現生徒会長こと降雨の聖女ミネルヴァが加わったのが現代の聖女です。
聖女になるつもりがないのでこの中から誰が女教皇になろうが知ったことではないのですが、誰もならないまま一年後を迎えるのは極めて問題です。
何故なら、乙女げーむの中には救済の奇蹟に目覚めたひろいんが女教皇となり人と世に救いをもたらすエンディングがあるからです。
正直、聖地を守護する使命を今から一年強以内で全うするとは到底思えません。作中で何名か聖女が登場するもののエレオノーラやルクレツィア方ばかりで、アウローラの存在をほのめかす描写はどこにも見当たりませんでした。
ひろいんが選出されるコンクラーベが開かれた時には聖都に現役聖女が揃った。
つまり、こう想像出来るのです。
アウローラは近いうちに聖地で殉教する、と。
「エレオノーラ様もルクレツィア様も次の女教皇にはアウローラ様が相応しいと仰っていました。であればもう未来の無い聖地にいつまでも留まるより聖都で聖女をまとめてくださった方がはるかに人の救済に繋がると思います」
アウローラを連れて帰れば彼女が次の女教皇となる可能性が高いです。乙女げーむ開始時点までに就任出来ればひろいんがその座に至る展開は潰せます。ひろいんのセラフィナ役をベネデッタが演じているからと油断は禁物です。
それにこれは打算の範疇ですが、次の女教皇となる人物に恩を売っておけばいざ断罪の危機に陥ろうとも温情を与えられ、破滅までは至らなくなるだろうと期待が持てます。現役聖女を少しでも多く味方に出来ていれば希望は増えるでしょうから。
「それは、確かにその通りですが……わたしはアウローラ様にお会いしたことが無いので何とも言えませんが、説得すれば通じる方なのですか?」
「さあ? 少なくとも小娘が何を言おうと聞く耳を持たないのは間違いないでしょうね」
「だったら期待は持てないのでは?」
「ですからそこは賭けでもあるのです。不本意ですが……そこは神に祈るしかないでしょう」
リッカドンナの手助けなら別にセラフィナを始めとして優秀な聖女候補者は少なからずいます。何も部外者な私をわざわざ引っ張り出す必要などありません。私の復活の奇蹟を使ってより多くの命を救えとでも?
過去を知り、創造主の筋書きも知る私が神に指名されたのに意味があるなら、私にしか出来ないことを成せと仰せなら。命を落とすだろうアウローラを救えと促しているのではないか、と考えるのは都合が良すぎますか?
「よって私達の聖地での立ち回りですが、しばらくは大人しくリッカドンナ様のお手伝いに従事していればいいでしょう。しかしいざ聖地が陥落しそうになった場合、守護に殉じようとするアウローラ様を引っ張ってでも聖都に連れ戻そうと思います」
「……出来ますかね?」
「聖域とは聖都の総本山でも経験したように、あくまで神の意思に従う者と背く者を隔てる境界を構築する奇蹟です。私がアウローラ様を連れ出そうとした時どうなるか、それこそ神のみぞ知る、でしょうか」
「成程」
方針が固まったところでふと不安がよぎりました。
聖域の聖女アウローラは近いうちに殉教する、とはあくまで乙女げーむの設定から導き出せる未来です。しかしその場合、聖域の奇蹟で守られるアウローラはどのように退場するのでしょうか?
予期せぬ不幸が訪れた、単に間が悪かった、ならそれが神の定めたアウローラの運命なのでしょう。しかし……万が一相手側が聖域の奇蹟を突破する術を持っていたら? 聖地が陥落する危機が迫る中でアウローラは一体どのようにするか?
「……難しいですね」
意気込んではみたものの相当うまく立ち回らない限りアウローラを連れて帰れそうにありませんね。まあ、安易に神に縋りたくはありませんからぎりぎりまで頑張るしかありませんか。
アウローラを救いたいからでも女教皇が空位のままで憂えてるわけでも、ましてや神が言っているからでもありません。
全ては私の未来を安泰にするために――。
「巻き込まれたわりには随分物騒な話をしてるんだな」
その声を聞いた私は一体どんな反応を示したでしょうか?
心臓が飛び跳ねた? 驚きの声をあげた? 思わず席から立ち上がった?
とにかく自分自身何をやったか全然分からないぐらい驚愕しました。
だって、私達の傍にはいつの間にかチェーザレが立っていたのですから。




