私は侍女と今後について整理しました
リッカドンナの部屋から出た私達が案内されたのは一等客室でした。三等客室、下手をすれば大部屋での雑魚寝を覚悟していたので聊か拍子抜けしました。本来乗る筈だった船で予約していたのは二等客室でしたし、扱いは悪くないようです。
「なんて横暴な! 教会が大公国を通じて正式に要請するのでしたらまだしも、神託を盾に無理やり連れ回すなど……!」
「トリルビィ。それ以上は口にしてはなりません。教会にとって神託は絶対。逆らえば背信者として罪に問われます」
トリルビィは部屋に通されて扉が閉まった途端に不満を漏らしました。癇癪を起こして荷物を床やベッドに叩きつけなかっただけ怒りは抑えてくれているようです。私はもう神の都合の良さに怒りを通り越して呆れ果てていますよ。
「申し訳ありません。船の乗員を目にした時に違和感を覚えていたら出航前に降りられたものを……」
「仕方がありません。船員を含めて皆が教国の軍人ばかりではないようですからね」
この船に乗っているのは主に聖女を守護する聖堂騎士や教国軍兵士、それから聖地を巡礼しに行く熱心な教徒達なんだそうです。ですからトリルビィの言った通り、甲板に出ていた乗員を注意深く観察していたらもしかしたら雰囲気から気付いたかもしれませんね。
この船はあくまでも人員と物資を運搬するだけで、船自体は戦闘能力は無いそうです。本来なら聖地へ直行する筈でしたが、私を乗せる為に南方島国に寄ったんだとか。沖で停泊する護衛船と共に船団を形成して向かう予定と聞きました。
「浄化の聖女様はお嬢様をどのように扱われるのでしょうか?」
「あの方は私を聖女候補者と同じようにすると仰っていましたがね。神託にもとづいていますから他の者も従うとは思いますが、内心ではどう感じているのやら」
「お嬢様の身の回りの世話は引き続きわたしにお任せください。世話をかけなければいらぬ反感は持たれないでしょう」
「ですね。神官達に召使のように顎でこき使われたくはありませんから」
しかし逆を言えばリッカドンナは私が聖女候補者に相応しいと考えている、とも取れます。すなわち私が神より奇蹟を授かっており後に聖女に成りうる、とも。南方王国でのフィリッポの件でほぼ確信を抱かれているのは聊かまずいかもしれません。
とは言え、今更嘆いたところで後の祭りですね。陸から離れてしまった今となっては海に飛び込んだところで助かる見込みはなく、真夜中に救命艇を盗むにしても航海技術の無い私達がいくら漕いでも潮に流されて海の上で干からびるだけでしょう。
「それにしても、聖地まで連れていってお嬢様に何をさせようと言うのですかね?」
「さあ? リッカドンナ様は私を連れて行けとだけ神託を授かったようですし。リッカドンナ様とアウローラ様の一存でしょう」
「奇蹟を行使せよと聖女様が仰ったら?」
「私はただのしがない貴族の娘に過ぎません。セラフィナとは違います。フォルトゥナ様方と違って判別する奇蹟はお持ちではないでしょうし、いくらでもごまかしは効きます」
おそらくは聖女候補者としてリッカドンナの助手を務めればいいのでしょうね。浄化のは毒や病気、更に陰気や瘴気まで払う奇蹟です。なので最前線ではなく野戦病院や各陣営をはしごするのだろうと想像出来ます。
と思考を巡らせていたからでしょうか。ふと向き合うトリルビィを観察すると彼女は怯えた顔をさせて身体を震わせていました。真っ先に船酔いかと思いましたが気分が悪いわけではなさそうです。どうして、と考えてやっと一つ思い浮かびました。
「怖いのですか?」
「……っ。いえ、そんなことはありません。何時如何なる場所でもわたしはお嬢様を守ろうと――」
「トリルビィ。私は貴女を信頼出来る侍女であると同時に気心知れた友、もっと踏み込むなら姉のように想っています」
「それは、勿体ない言葉です」
「部屋には二人きりですからどうか本音を語ってくれませんか?」
トリルビィは視線を右往左往させたので悩みに悩んだとうかがい知れました。やがて意を決してくれたのか、顔をあげて私を正面から見つめます。
「はい、怖いです。喧嘩はしました。野盗を追い払いもしました。お嬢様と一緒に聖都で大立ち回りもしました。ですが……」
「戦場は初めてだ、と」
「……はい。話には聞きますし本にも書かれていますが、実際に何が起こるか分からなくて、とても不安です」
「そこまで構える必要はありませんよ。リッカドンナ様もさすがに私達に剣を取って戦えとは言わないでしょう」
と、彼女を安心させるために言ったものの、実際に聖女が危なくなったら身を挺して庇えと命じられるかもしれません。教会にとっては幾千幾万の雑兵より一人の聖女を生還させる方が大事なのですから。尊き殉教とでもされかねませんが、黙っておきますか。
「ただ、リッカドンナ様が授かっている奇蹟の性質上、病気で苦しむ者や精神を病んだ者と大勢会うことになるでしょう。耐えられない者は三日も持たないでしょうね」
「お嬢様は……不安ではないのですか?」
「残念ながら前世でもう割り切りました」
「……っ」
混沌とした時代に聖女として活動したかつての私にとって戦場に身を置くなどしょっちゅう、凄惨な光景も日常茶飯事でした。飛び散る鮮血、ばらまかれた臓物、至る所から聞こえる呻き声など、悲しいですが慣れたものです。
私は淡々と述べたつもりでしたが聞き手のトリルビィは苦し気な表情を見せました。どうやら顔には出ていたらしいのですが、いったい私はどんな顔をしていたのでしょうね?
「まあ、フィリッポの治療と同じような真似を連続してやるんだと思っていればいいですよ。大切なのは自分を追い込みすぎないことです。相手が苦しむからと自分が罪悪感を持つ必要はありませんし、手遅れだからと聖女でも医者でもないトリルビィが悲観しなくたっていいのです」
だからもし患者が息を引き取ってもトリルビィに責任は無い、と言いたかったのですが、何故かトリルビィは安心するどころか悲痛な顔をしてきました。何故、と疑問を抱きましたが、すぐにその感情は私に向けられているんだと気付きました。
「ですが、それではお嬢様は……!」
そう、奇蹟を授かっている私には人を救う使命があるのではないか。それでは聖女になりたくない私の悲願が叶わないのでは。そう思ってくれているんでしょう。その思いやりが私には嬉しく感じました。
「そう言えば私はどうしましょうね? リッカドンナ様がいらっしゃる場で大っぴらに奇蹟を行使するわけにはいきませんか」
「……大っぴらに?」
「ああ、言っていませんでしたっけ。私、エレオノーラ様が立ち会った聖女適性検査では奇蹟を用いて不正を働いたのですよ」
「――!」
「要は、バレなければいいのです」
残念ながら人の本質は死んでも変わらないらしく、目の前の人が苦しんでいたら見て見ぬふりなど出来ません。それは過去、チェーザレやフィリッポ、コンチェッタの件で充分に思い知りました。なので今更改められません。
なのでもう開き直ります。リッカドンナ達教会関係者に奇蹟を施していると気付かれなければいいのです。当然失った四肢の再生などしてしまえば一発でバレますから、体調の改善や怪我の自然回復を手助けするなど密かに施せばいいでしょう。
信じられないと目を丸くしていたトリルビィはやがて顔をほころばせました。
「全くお嬢様は、大胆ですね」
「結局私は馬鹿なままなんです。破滅が待ち構えていても危険を冒したがってしまう」
「ですけどそれは人を救うためですよね。とても立派だと思います」
「こんな私ですけれど、付いてきてくれますか?」
本来リッカドンナが用があったのは私だけです。なのでやろうと思えばトリルビィだけは聖都に戻れたかもしれません。彼女はお父様に雇われた侍女なのですから、命を落としかねない土地へ道連れにならなくたっていいのです。
それでも私は彼女へお願いしました。どうか私と一緒にいてくれと。我儘なのは分かっています。けれど、アレだけ大したことじゃないと言ったにも関わらず、一人で行くなんて不安でたまらなくて想像したくもないんです。
トリルビィへと差し出した手は震えていました。慌ててもう片方の手で押さえて取り繕います。トリルビィは朗らかな笑みを浮かべつつそんな私の手を両手で包み込みました。とても温かかったです。
「勿論ですよお嬢様。地獄の果てだろうとお供いたします」
言いすぎだとか婚姻したらどうするんだとか、色々と軽口は後から思い浮かびましたが、すぐにはトリルビィの気持ちが嬉しくて、私はただ頷くだけでした。




