私は浄化の聖女に捕まりました
南方島国から聖都までの航海は二泊三日、と言ったところでしょうか。原動機など発明されていないこの世界では風力を利用するか手で漕ぐしかありませんからね。離岸や着岸の作業を含めるとそれぐらい要するのでしょう。
教国から海洋国、海洋国から南方島国のいずれも船旅だったので、離れていく港を眺め、見送りに来てくれたパトリツィアの姿が確認出来なくなるまでは甲板にいました。最後の南方島国から教国の帰路にもなると感動も薄れていますね。
「さて、では客室に参りま――」
踵を返した私の言葉は途中で止まりました。突然船室からぞろぞろと複数人が現れ、迷うことなく私達を取り囲んだのです。逃げようにも手段は海に飛び込むしかなく、甲板から海面まで結構な高さもあったせいで躊躇してしまったのが明暗を分けました。
男達の鍛えられた肉体は明らかに訓練を受けているようでした。更にナイフ、包丁程度の大きさの小剣の先をこちらに向けた構えは一切揺らぎなく。私達が下手に動けばすかさず、そして躊躇わずにその凶器を突き刺してくる、との確信を覚えました。
「な、何ですか貴方達は!?」
「動くな。乱暴に取り押さえたくはない」
私をかばうように狼藉者達と対峙したトリルビィはとても険しい表情を浮かべ、身体を強張らせていました。無理もありません、いかに私の護衛を兼ねているからと複数人に取り囲まれてしまった状況で私をかばいつつ立ち回るなんてとても厳しいでしょうから。
私は帆を操作する船員に助けを呼ぼうとしましたが、こちらの異常な様子に気付きつつも一切気にする様子が見られません。見過ごしている、となるとこの者達と船員は結託して私達を陥れているのでしょうか。
「貴方達の要求は何ですか? 金目の物が欲しいのでしたら差し上げましょう」
「大公国の伯爵令嬢キアラで間違いないか?」
「……っ!?」
裕福そうな令嬢ではなく私個人が目的……!?
ただの海賊、強盗、暴漢の類を想像していましたが……物言いの堅苦しさといい、おそらくこの者達はいずれかの国に属する兵士なのでしょう。まだ悪役令嬢として罪を犯していない私が捕まる道理はありませんが、最悪な心当たりが頭をよぎります。
「我々に同行してもらう」
「嫌だと言ったら?」
「貴女に拒否権は無い。力づくになる」
私は顔を動かさずに瞳を動かしました。私達を取り囲んでいる輪は一重、トリルビィと二人がかりで何とか突破して一目散に海に飛び込めば逃げ切れるでしょう。まだ離岸してからそう経っていませんから、陸まで泳いでいけるかもしれません。
トリルビィも同じ考えたのかこちらに目配せを送ってきました。けれど私は顔を横に振ります。大学院生だった前世のわたしから引き継いだ趣味の一環でそれなりには泳げますが、安全なプールや底の浅い川ではない海での遠泳ともなるとあまりに無謀すぎます。
「分かりました、従いましょう」
ですから、ここは大人しくするほかありません。
「お嬢様!?」
「ですが、その前に貴方方の所属を教えていただくのが先です」
「成程、これは失礼した」
トリルビィが驚愕の声をあげたのは私を心配してでしょう。同行する、それは船室に連れていかれてしまい、今以上に逃げにくくなってしまいますから。
せめてもの抵抗として私がぶつけた怒気のこもった質問に、取り囲んでいた者のうち中年の男性が軽く頭を下げてきました。簡易的とはいえとても礼儀正しい挙動でした。
「我々は教国所属の騎士である。お見知りおきを」
「……っ!」
南方島国でも大公国でもなく教国の正規兵。それも騎士階級のお出まし。嫌な予感が現実のものになるのでは、と私は思わず不安に駆られました。だから私は思わず空を見上げ、太陽の位置から無情な現実を知ってしまいます。
この船は教国ではなく針路を変えて東へと進んでいる――!
「ではキアラ嬢。同行していただく」
「侍女のトリルビィと一緒でいることが条件です」
「構わない。使用人と分けろとは命じられていない」
観念して男達に従った私達が案内されたのは一等客室でした、中へ入るよう促されたので部屋へと足を踏み入れ……どうか当たっていませんようにと願っていた相手と再会を果たしてしまいました。
「久しぶりねキアラ。元気にしていたかしら?」
浄化の聖女、リッカドンナ――。
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まずは座るよう命令されたので大人しく従いました。私達を拘束する様子もなく、むしろ客人として扱うよう従者に指示する程でした。テーブルを挟んで紅茶とお菓子が並べられます。船が揺れるのでカップ内の液体は零れない程度に揺れていました。
「さて、まず種明かししちゃうとね、この船はそもそも教国には向かっていないの。逆に教国から出発してとある場所に向かっている最中。南方島国はその寄り道みたいなものね」
「ですが出発の際着岸していた船は少数。乗り間違えるはずがありません」
「それはそうでしょうよ。キアラが乗り間違えちゃうように偽装したんだもの」
せいぜい航海中に海賊の襲われる危険がある程度は考えていましたが、まさかこうされるとは思ってもいませんでした。パトリツィアが気付かなかった程ですからよほど巧妙に工作したのでしょう。私がまんまと飛び込んでくるように。
「で、どうしてキアラを騙して付いて来させたのか、何だけど、神が言っていたからよ。キアラを連れていけ、ってね」
「神を疑うつもりはありませんが、私ごときが聖女様と同行したところで何の役にも立ちはしません。妹のセラフィナの方がよほど力となる筈です」
「自分はしがない小娘に過ぎません、って? ルクレツィア様はアンタをかばっているようだけれど、あたしはエレオノーラ様と同じく確信を持っているから」
と目の前の聖女は語るものの、彼女自身は依然として私を教会へ引き込むそぶりはありません。リッカドンナはエレオノーラと違ってあくまで神が与えた使命に背を向ける不届き者を許せないとの憤りを抱いているだけのようです。
「ま、どうせその辺の話を続けたって堂々巡りでしょうからさておき、キアラには私と一緒に最果てに来てもらうから」
「……冗談ですよね?」
「あたしが神の言葉を偽っていると、本気で聞いているのかしら?」
「それだけ私にとっては信じられないのだとお察しいただければ」
最果て。この場合は文字通りの世界の果てではなく、聖女の活動範囲においてになる。いかに複数人体制が基本とは言え聖都から距離を置いた遠方へと長期に渡って赴任するのはまれだ。それこそ大規模な戦争でも勃発しない限りは。
そうなれば思い当たるのはもはやあそこしかない。
「光栄に思いなさい。アンタは聖地に行けるのよ」
今もなお聖戦が繰り広げられる聖地と呼ばれる地域……!
少しの間静寂が訪れます。今日は海が穏やかなのかあまり船は揺れていません。それでも若干の酔いが回ってきそうであまり気持ちいいものではありません。いえ、この気持ち悪さは聖女が突き付けてくる容赦ない運命のせいでしょうか?
「聖地は偉大なる聖域の聖女アウローラ様が守護されてるけど、ここ最近周辺の蛮族共が勢いを増しているのよ。聖域の奇蹟にも限度があるから聖地を首都にした聖国全土は面倒を見切れないのよ」
「聖戦は本来聖地を異教徒、異種族から奪還するために行われたと聞きます。国を建てる必要までは無かった筈です」
「しょうがないじゃないの。教会直轄にしても良かったんだけど遠征軍は教国以外からも派遣されているんだから。国としてその地に定着させて盤石にしたかったんじゃない?」
「防衛戦の加勢であればルクレツィア様の所掌では?」
「教会としてはそうしたかったんでしょうけれど、あたしが神託をもらっちゃってね」
「……神がどうお考えなのかは分かりませんが、私はそのせいで巻き込まれたと」
事情は大体把握しました。この船はおそらくリッカドンナが派遣されるにあたって用意されたのでしょう。船自体は軍艦ではありませんから、聖女の護衛と物資を乗せて航海しているのだと推察します。
「じゃあキアラ。これからしばらくの間よろしくね」
「あ、はい。お役に立てるか分かりませんが、よろしくお願いいたします」
リッカドンナが手を差し伸べてきたので私達は握手を交わしました。彼女が授かった浄化の奇蹟では私の真実を読み取れないでしょうから構わないでしょう。今彼女に逆らったところで百害あって一利ありません。しばらくは大人しくすべきかと。
「謙遜しちゃって。エレオノーラ様もルクレツィア様も貴女に注目なさってるのに」
「……お戯れを」
私はリッカドンナの指摘に苦笑いする他ありませんでした。
神よ、貴方は一体どれだけ私に試練をお与えになるのか。




