私は夏休みを謳歌しました
どうしようか迷いましたが新章として区切ることにしました。
吉と出るか凶と出るか。
「嗚呼、燃える。聖地が燃えている……!」
誰もが抱いていた動揺を口にしたのは他でもなく、聖域の聖女アウローラでした。
私達が背を向けて一心不乱に逃げ出した場所は至る所で炎と煙が上がっています。あれほど権威を誇示していた大聖堂は火だるまとなり崩れ始めていました。あれほど賑わっていた市街は悲鳴と怒声のみが響き渡っています。
聖地にそびえる王国の城、側防塔に掲げられていた旗は灰になって消えました。そして今まさに我々を追い出した軍勢の兵士……いえ、もしや彼女は天闘の寵姫ですか? 彼女は誇らしげに自分達の旗である三日月の旗を掲げました。
ここに聖地は陥落し、私達は聖地を脱出する他ありませんでした。
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事の始まりは夏休みも後半にさしかかった辺りでした。
ある程度の自主性を重んじる学院は年に何度か長期間の休みがあります。特に夏季休暇は乙女げーむ上では普段の学院生活で発生しない様々ないべんとで攻略対象者の好感度を大幅に上げる絶好の機会になります。
例えば海に遊びに行けば攻略対象者の水着姿が拝めたり。例えば聖都内の美術館や建造物を巡るデートに誘われることもあります。それに夏の間は奉仕活動での発表や大会が開かれる場合もあるので付き合ったりもしますね。
乙女げーむ本編はセラフィナが入学する一年後ですが、既にラファエロやオネストといった攻略対象者のほとんどが在学しています。一年後のように学院を代表する存在にまではなっていませんがその優秀さゆえに既に頭角を現しています。婚約者がいようとご令嬢にとっては憧れの対象となっていました。
まあ、私はそんなの関係ないとばかりに全く接点を持たないままでしたが。
夏休みの初めは帰省しました。ホームシックって程ではありません。トビアの一件の報告は手紙では不十分、早めに直接顔を合わせての説明が必要だろうと考えたためです。案の定お父様やお母様から色々と聞かれて結構疲れました。
ちなみにその旅にはチェーザレが同行しました。期末試験を終えて気が緩んだ頃に夏の予定を聞かれたのです。
「キアラ。休み中はどうするんだ?」
「手芸会はあまり休暇中の活動はありませんし、一度実家に帰ろうと思います」
「なら俺も行こうかな。久しぶりにあの街を見て回りたい」
「でしたら是非うちの屋敷に滞在なさってください。チェーザレの生家はもう残っていませんし」
「……いいのか?」
「問題ありません。お父様やお母様も喜ぶでしょうから」
正直迂闊だったと言う他ありません。私としては友人を招く感覚で招待したつもりでしたが、思い返してみれば婚約相手を実家に招く行為そのものでした。しかも両親が喜ぶとまで言う始末。正式に挨拶しろと無言の重圧をかけていると取られかねません。
普通の伝達手段は手紙や使者を送るぐらいしかない以上、チェーザレの来訪をお父様方には知らせられず。家につくと物凄く驚かれました。そして直後には諸手を挙げて彼を歓迎しました。他国とはいえ王族の者を招き入れるのは貴族として名誉なことですから。
「俺、伯爵と昨日の夜話し合ったんだ。ほら、トビアだったっけ、下の妹」
「はい。男装しなくなったトビアにまだ屋敷の中は違和感を覚えているようでしたね」
「本当だったらこの家、嫡男だったトビアが継ぐ筈だったんだよな」
「ご心配なさらずとも親戚の子を誰か養子に迎え入れるでしょう。お父様がどうにかして家を存続させますよ」
「俺が婿養子になるって申し出た」
「……はい?」
久しぶりに生まれ故郷の街をチェーザレと散歩していたら突然こんな爆弾発言をされました。私はてっきり私が南方王国に嫁ぐとばかり思っていました。チェーザレが公爵になろうが平民となろうが、いずれ生家を離れるだろうと。
「王位継承の話もあるからアポリナーレが学院を卒業するまでどう転ぶかは分からないけれどな」
「チェーザレが大公国に戻ってしまったらコルネリア様はどうなるのですか? 国王の寵愛を受ける彼女を連れては行けませんよ」
「何とか王を説得するつもりだ。駄目でもジョアッキーノなら信頼して任せられる。いくら母さんを妬む王宮の連中でも聖女を娶ったアイツの影響力は無視できないだろうしな」
既にチェーザレの中ではこの先の人生が計画されているようでした。私は今のところ乙女げーむの筋書き、そして聖女として宿命から逃れようと目先でいっぱいなのに。そして、いつの間にかあんなに愛していた母親から離れる決意を固めていたのです。
きっとチェーザレは単に昔過ごした街に戻ってみたくなったから付いてきたのではないのでしょう。私の両親に正式に挨拶、今後の予定を語り、私への想いが本気なのだと伝えに来たに違いありません。
とても嬉しいですし気を引き締めないと頬が勝手に緩んでしまいます。ですが聊か急ぎすぎではありませんかね?
「チェーザレ。私は別に大公国に未練はありませんよ。貴方が一緒に来いと言ってくださるならどこへだって付いていきましょう」
「でも……」
「でももだってもありません。どうせチェーザレのことですからまだ南方王国側には伝えていないのでしょう?」
「……よく分かったな」
「こんなの神託に頼るまでもありません。まだ二年以上もあるのですから結論を出すのは早すぎますって」
二人で話し合って決めましょう、と私は締めくくりました。
本当、チェーザレが考える素敵な未来を迎えられれば良いのですが……。
実家から聖都に戻ると今度はオフェーリアに海洋国家に遊びに来ないかと誘われました。折角でしたのでパトリツィアと一緒にお邪魔することにしました。初めての船旅はとても新鮮でしたよ。船酔いに悩まされて気分は最悪でしたが。
海洋国家の首都は水の都と呼ばれるほど水路が発達した街です。出かける際も徒歩より小舟を使った方が便利だと言われるぐらいですし。教国連合でも珍しく共和制で、貿易で栄えてきました。
滞在中は色々なところを案内してくださいました。街並みや建造物、人柄まで聖都とは異なる趣があってとても楽しかったです。
一番印象に残ったのはやはり活気のある港でしょうか。見たことも無いぐらい大きな貿易船が並び、大量の荷物が出し入れされる様子には圧倒されました。説明するオフェーリアは誇りを持っているようでした。
オフェーリアは夏季休暇中そのまま実家に留まり家の手伝いに従事するそうで、水の都で別れました。水の都と聖都との航路は教国連合の半島を大きく迂回する必要があり、パトリツィアが道中で折角だからと故郷の南方島国に招待してくださいました。
オフェーリアは遺跡のような古臭い街並みばかりだと辟易していましたが、私は実際に目にした途端言葉を失ってしまいました。
「……」
「言葉を失っちゃうぐらい感動した?」
「そう、ですね……」
なんと、かつて聖女マルタとしてこの地に赴いた時と何ら変わっていなかったのです。聖都を始めとしてどの都市、町も面影を残しながらも発展していった中で時代に取り残されたかのようでした。
目に浮かぶのはかつての私と肩を並べて笑いかけてくるベネデッタと私達を先導するガブリエッラの姿。島内の抗争が激化して集ったんでしたね。あまりにも懐かしすぎて感涙を堪えるのが精一杯でした。
あの頃は純粋に神より与えられた使命に従っていれば満足だったのに。今では神の言葉を聞かぬよう耳を塞いで自分のことばかり。もう不幸な目に遭いたくないからと心に決めたのに、それでいいの?との幻聴が心をさいなみます。
「それじゃあ道中気を付けなさいよ」
「船の中で寝ていれば聖都の港に着きますからご心配には及びません」
「そう楽観もしていられないわよ。ここだけの話、聖戦が長引いているせいでどの国も遠征費が財政を圧迫しているの。そのせいで地方は治安が悪化しているのよ」
「つまり、船旅の間に海賊に襲われかねないと?」
「オフェーリアのところは自前の海軍があるからおいそれと手出しされなかったけれど、うちのところはねー」
「分かりました。心にとめておきましょう」
パトリツィアもしばらく実家で過ごす予定だったため別れ、私は教国への帰路につきました。不穏な忠告を受けましたが船という閉鎖環境では私にはどうしようもなく、なるようになるでしょうと気持ちを切り替えて船に乗り込みました。
――そう楽観視していたせい、なのかもしれません。
私は当分の間聖都に戻れなくなる破目に陥ったのです。




