私達は真実を語り合いました
トビア……いえ、ガブリエッラが目を覚ましたのは部屋に連れて帰ってから程なくでした。しばらくまどろんでいた意識が覚醒して気絶した状況を思い出した彼女は、かけられた掛け布団を剥いで飛び起きました。
「おはようございます、と言いたいところですが、あいにくまだ夜ですよ」
彼女は私の挨拶に返事せず周囲に目を走らせました。トビアにあてがった客間は私物が少なく殺風景極まりないです。部屋には私とセラフィナしかいません。トリルビィを始め、他の者には席を外してもらっています。
「……姉、さん」
「正体を明かしてもなお私を姉と呼ぶのですね」
「何度も言ってるけど僕だってトビアだ。だったら姉さんは姉さんじゃないか」
ううむ、ガブリエッラをトビアと呼ぶのはどうも抵抗があるのですがね。しかしあの時は緊迫した状況だったので明確に区別すべく突き放しましたが、今生でトビアと共に私の妹として育てられたのには違いありませんか。
「僕を、教会に引き渡すの?」
「そうする気ならあの場でルクレツィア様を目覚めさせて預かっていただきます」
「じゃあ、僕をどうするつもりなの?」
「聖女になりたくないのでしょう? その願いを叶えようとするまでですが」
私が平然と言い放つと、警戒心を露わにこちらを見据えていたガブリエッラは目を丸くしました。それでも身体の力が抜けていませんのでいつでもこの場から逃げ出せるよう算段を立てているのでしょう。
「別に私はガブリエッラがカロリーナ先生を唆して野良聖女を誕生させた点についてはどうでも良いのです。いずれ教会の腐敗に危機感を抱いた者が改革を起こそうとするのは必然でしたから」
「だったらどうして……!」
「何度だって言います。トビアを蔑ろにするのは許しません、とね。転生を経ても使命に目覚めるのは勝手ですがそれなりのやり方があるでしょう」
これまで普通の貴族令息として育てられたトビアが朝目覚めると見知らぬ土地にいたら混乱するでしょう。自分でない自分に好き勝手される、恐怖でしかありませんね。それでは聖女に人類救済を強要する神と何が違いますか?
「どの奇蹟によるかは分かりませんが、ガブリエッラはトビアに語り掛けられるのでしょう? ならよく話し合ってください。それでトビアが同意するのでしたら私も何も言いません。お父様方の説得にも協力しましょう」
「それでアリーチェが僕を拒否してきたら?」
「分かってもらうまで説得を重ねるか、ある程度妥協するしかありませんね」
「……平然と言ってくれるね」
ガブリエッラは座っていた寝具の敷布団を強く握りしめました。そして怒りに満ちた目で私を睨みつけてきます。困りましたね。今頭に血が上って暴力に訴えられたら対処しようがありません。害意から身を守る聖域の奇蹟なんて私は授かっていませんし。
「姉さん達は教会の実態を知らないからそんな呑気に言っていられるんだ!」
「知っていますよ。少なくともガブリエッラと同程度にはね」
「教会に理不尽に殺されてもいないくせにっ!」
「結局殺されましたよ。前回は」
激昂して立ち上がったガブリエッラに言い放った一言は彼女の動きを止めるには十分でした。そしてかろうじて声になる程か細く間の抜けた疑問符を発します。私は傍らで壁に寄りかかっているセラフィナに目を向けました。
「セラフィナは逃げ切れた、でいいんですよね?」
「結局最後は教会の手が及ばない遠い地に行っちゃいましたね。ガブリエッラ様方のように無慈悲に殉教するなんてまっぴらごめんです」
「私もガブリエッラが命を落とした時に見切りを付けられていたら破滅せずに済んだのかもしれませんね」
「んー、難しかったんじゃないですか? あの頃はもう次の世代の聖女が誕生してましたから、逃亡する計画を立てても聖女が賜った神託で一発です」
「セラフィナが異端審問官達を掻い潜れたのは脱出の奇蹟のおかげでしたか」
前世で聖女となり人々を救った行い自体に悔いはありません。教会が私達を恐れて切り捨てたのも理解だけは致しましょう。後悔があるとすれば、神の言葉、神の愛を信じすぎた点につきます。文字通り命を懸ける破目になりましたからね。
と、世間話と同じ調子でセラフィナと語り合っていると、ガブリエッラは瞬きもせずに私達を見つめていました。わずかに唇が震えており、相当な衝撃だったと伺えます。なにか言葉を紡ごうとしても動揺で上手くいきません。
「竜退の聖女ガブリエッラが邪竜の魔女として討伐された後、復活の聖女マルタは反魂の魔女として処刑されました」
「そして脱出の聖女ベネデッタは世界の果てまで逃げちゃいましたとさ」
「ま、さか……」
「ええ、そのまさかです」
真実を明かしましょう。でなければガブリエッラは心を開いてくれませんから。
「私、キアラはかつてマルタでした」
「わたし、セラフィナは昔ベネデッタだったんですよ」
「~~っ!」
ガブリエッラは口元を手で押さえて大粒の涙をこぼしました。髪を振り乱しながら嘘だと何度も呟くので、私は両手を広げてこちらに招き寄せます。感極まった彼女は私の胸に飛び込むと、泣き崩れました。
これまでどんな想いだったでしょうか? 気が付けば赤の他人の身体に意識が宿っていて、更に自分の思い通りに動かないのは。更に前世で神よりあれだけ酷い仕打ちを受けてなおも奇蹟を与えられるなんて。悪夢以外の何物でもなかったでしょう。
「大丈夫ですよガブリエッラ。一人ではありません、私達もいますから」
それでもなお己の運命と向き合った強いガブリエッラを、私は尊敬いたします。
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「ごめんなさい。取り乱しちゃいました……」
「いいのですよ。私もガブリエッラがトビアに生まれ変わっているだなんて思いもしませんでしたから」
「マルタこそ姉さんになってるなんて驚きだよ」
「ふふっ、立場が逆転しちゃいましたね」
私達が共に聖女だった頃はガブリエッラが一番の先輩でベネデッタが最も若かったですからね。ガブリエッラが一番幼いのは違和感が拭えません。今だって目の前の少女は私の妹だと自分に言い聞かせているぐらいですから。
「ガブリエッラ。カロリーナ先生は世界各地で同じ志を持つ宣教師が活動していると言っていましたが、まだ大衆の賛同を得るまで広まってはいないのでしょう?」
「この前聞いてみたらまだ地道に布教中だって言ってたっけ」
「ではやはり聖都だけ暴動が起こるまで白熱させるのはまずいと思うのです。先生にはしばらく自粛していただくか別の地に移ってもらう他無いでしょう」
「……分かった。彼女には僕からそう伝えておく」
正しく教えようと少数派のままでは異端だとして潰されるのが目に見えています。聖都では充分に広めましたから、しばらくは教会に睨まれないよう潜伏すべきでしょう。教会は間違っていると声高らかに叫んでも弾圧されないぐらい大勢に広まる時まで。
全く、ガブリエッラは自分が正しいと思ったことには猪突猛進ですからね。それでは玉砕が待ち受けようとも構わずに特攻しかねません。そうではなく一歩引いて最善の選択をすべきでしょう。
「それと、明日の朝はトビア……いえ、アリーチェと話し合ってください。今後トビアとしてどう生きるのかを」
「……分かった」
二人が話し合った結果どの道を歩もうが私は応援致しましょう。
「姉さん。神託の聖女を出し抜くって言ってたけれど、もう正義の聖女には知られちゃったじゃないか。どうするのさ?」
「ルクレツィア様にはある件で大きな貸しがあります。審判の奇蹟にひっかかりさえしなければ黙っていてくれるでしょう」
「……どうやって聖女適性検査をごまかすつもりなの? アレって無慈悲なぐらい公正な結果を出してくるじゃないか」
「ばれなければ不正ではないのですよ」
こらセラフィナ。折角格好つけて言ったのに吹き出すなんて失礼ですね。ってガブリエッラも呆れ果てているのを苦笑いでごまかしている様子ですし、もしや二人とも台詞の元ネタを知っているのですか?
「いいですか? 検査に臨む際に――」
そして私は小細工を明かしました。
トビアを聖女となる運命から救う起死回生の一手を。




