私達は貧民街を脱出しました
さて、ガブリエッラに勝ったのはいいのですが根本的な解決にはなっていませんね。今後もトビアの意識が無い間彼女に活動されてもらっては困ります。妹を危険な目に遭わすなど断じて許せませんし。
「先生」
「な……何っすか?」
竜退の聖女の敗北に愕然としていた先生は私の言葉で我に返りました。顔はこちらに向けて視線だけ周囲に走らせました。そして私達を警戒しつつもいつでも飛び退けるよう地面を踏みしめました。
「お帰りはあちらからどうぞ」
「……は?」
私が誰も塞いでいない抜け道を指しますと先生は間の抜けた声を発しました。口調はともあれ常に理知的だった姿からは想像も出来ませんね。
「別に私もトリルビィも先生を取って食おうなどとは思っていませんよ。ルクレツィア様に頼まれたから同行しているだけで、自分から先生を捕まえる義理はございません」
「……いいんっすか? ここで逃がしちゃったら更に教会の悪評が広めちゃいますよ」
「大いに結構。あそこは少し痛い目に遭ってもらわないと改善しないでしょうし」
「そうじゃあお言葉に甘えて……って言いたいところっすけど」
先生はトリルビィに抱えられたトビアを見つめました。ガブリエッラの発言が正しければ先生は彼女に導かれて奉仕活動を行っていたことになります。そんな彼女を放っておいて自分だけ逃亡することにためらいがあるのかもしれません。
「ガブリエッラ様をどうするつもりっすか?」
「どうやら転生の奇蹟が半端なようでガブリエッラ様の自我が残ったままですから、いずれトビアと融合していただくことになるでしょう」
「それは……ガブリエッラ様に消えてもらうってことっすか?」
「さあ?」
「さあ、ですって?」
「融合の結果どのようになるかは私にも分かりません。トビアが飲み込まれるかもしれませんしガブリエッラ様が消失するかもしれません。上手く混ざり合ったらどうなるんでしょうね?」
融合と簡単に表現しましたがきっと過酷な道を歩まざるを得ないでしょう。それでも二人分の意識が一つの身体に宿っていてはやがて限界を迎えて壊れてしまいます。トビアの今後のためにも早いうちに解決すべき問題です。
ガブリエッラからはトビアに語りかけられるようですから、彼女から歩み寄ってもらうしかありませんか。しかし教会に不信感を抱きつつも使命に殉ずる気満々のあの方を説得するには……やはりこちらも手札を見せねばなりませんか。
「……お嬢様。そろそろまずいかと」
「ええ、分かっています」
いくら寝静まった真夜中とは言え住宅街の中。あれだけ大騒ぎしていれば気付かれてしまうのは当然の結果でしょう。にわかに周囲が騒がしくなってきます。建物の中からところどころ明かりが灯り始めました。
「とにかく、私達はこれで帰りたいと思いますので」
「帰るって、聖女達はどうするんっすか?」
「会長は寝ているだけですしルクレツィア様は先ほどガブリエッラ様が応急手当していましたから問題ありません。人望のある先生がここの住民にお願いして一晩面倒見てもらうのが無難かと思います」
「……確かにあたし達だけでこの二人を運ぶのは厳しそうっすね」
小柄なトビアはトリルビィ一人で充分だとしても、私と先生ではルクレツィアか会長のどちらかしか運べません。いえ、背が高めで鍛え上げられた大柄な身体をしたルクレツィアに至っては私と先生の二人がかりでも難しいでしょう。無慈悲ですが私だって自分が可愛いので置いていくしかありません。
まあ、野良聖女を甘く見た結果ですから自業自得って感じに納得してもらう他ありませんね。ただし後で機嫌を損ねてトビアの聖女適性検査に協力していただけなくならないよう弁解を今のうちに考えておきますか。
「では先生。また明日、学院でお会いしましょう」
「……こんな事態になってものこのこと出勤すると本気で思ってるんっすか?」
「私は願望を述べただけですので」
私はスカートの裾をつまんで優雅に一礼しました。それを見た先生は目を丸くしましたが、やがて朗らかな笑みをこぼします。聖女としての使命を果たそうと真剣だった先生も素敵でしたが、やはりいつもののんびりと愛嬌ある雰囲気が好ましいですね。
私はトリルビィを従えてその場から立ち去ろうと歩み始め……足を止めました。なんと道の向こう側から灯りが見えてくるではありませんか。このまま進んでは鉢合わせして自分達の聖女に何をしたと問い詰められる可能性が非常に高いです。
「こちらはもう駄目ですね。別の道を――」
「いえお嬢様、どうやら他も同じようです」
慌てて視線を左右に走らせると確かに遠くから話し声と共に明かりが大きくなってきます。三方向全てから押し寄せてくる人人人。こうなったら多少の危険を冒してでも強行突破すべきか、それとも先生に事情を説明してもらうかしないと……。
その時でした。私が不意に手のぬくもりを感じたのは。
悩んでいる私の手を突然今まで何も語らずにルクレツィアに従っていた神官らしき者が取ってきたのです。華奢さと肉付きは成熟していない女性……いえ、もしかしたら私より幼い者の手だと分かりました。
「ようやくわたしの出番みたいですね」
「……!?」
私が驚く暇もなく彼女は私の手を引いて駆け出します。そして道を途中まで進んだところでいきなり曲がり、家屋の扉へ突撃したのです。偶然か狙ってか、扉は施錠もされておらず簡単に彼女の侵入を許しました。
家の反対側にあった勝手口から抜け出た彼女は、同じようにある程度道を走ると家屋に突入、別の出入り口から抜け出る行為を繰り返します。不思議なことにその間誰一人として会わずに済みました。
「はい、脱出成功ー」
そして、貧民街を抜け出すのにそう時間はかかりませんでした。
元の聖都の街並みが広がる区画まで戻れば治安維持の為に兵士が見回っていますから、野良聖女を害した私達を捕まえようとする貧民も追っては来ないでしょう。それでも油断は禁物、急いで帰るとしましょう。
「……まさか、ルクレツィア様に同行していただなんて思いもしませんでしたよ」
「神様が言っていましたから。ここはわたしが動く時だーってね」
彼女は深く被っていた冠を外しました。そして私に向けて歯が見えるぐらいに笑って見せてくれました。こんな満天に煌めく星空の下で私は太陽の輝きを見た、そんな気がしました。
セラフィナ、私のもう一人の妹。
ひろいんに抜擢される筈だった存在。
そして、脱出の聖女ベネデッタの生まれ変わり――。
「脱出の奇蹟、相変わらず冴え渡っていましたよ」
私達が誰とも会わずに逃れられたのは脱出の奇蹟によるもの。改めて目の当たりにすると本当に奇蹟が起こったとしか思えないほど鮮やかに包囲を潜り抜けたものです。
私が褒めるとセラフィナは照れたようにはにかみました。
「お姉様の方こそガブリエッラ様の竜退の奇蹟を退けたなんて今でも信じられませんよ」
「それはトビアが未成熟だったからに過ぎません。成長しきれば結果は逆転していたでしょうね」
「んー、それでもお姉様だったらあの手この手で乗り切っちゃいそうな気もしちゃうんですけれどね」
ところで、と続けてセラフィナはトビアを抱えたトリルビィへと顔を向けました。その眼差しにはどこか警戒心が……ああ、そう言えば、セラフィナにはトリルビィ達一部の者には真実を伝えていると知らせていませんでしたっけ。
「大丈夫ですよセラフィナ。トリルビィは知っていますから」
「……へえ。そうなんですか。まあ、いいですけれど?」
セラフィナはトリルビィを一瞥して再び私へと向き直りました。まるでこの短いやり取りで興味が失せたと言わんばかりです。あからさまな豹変にさすがのトリルビィも困惑した様子を隠せていませんでした。
「何の縁なのでしょうね」
「縁、ですか?」
そろそろ家に到着する辺りまで差し掛かって私は自然と口を開いていました。トリルビィはあどけない仕草で首をかしげます。
「かつて魔女として処罰された私達がこうして姉妹として生まれ変わったのが、ですよ」
「縁、ですか。わたしは神様の思し召しって気しかしません。どうせまた人類救済のために頑張りましょうって無茶ふりしてくるに決まってます」
「それでも私は嬉しいのです。聖女でありながら成し遂げられなかった悲願、自分自身の救済が今度こそ果たせるのでは、と」
「自分に救いを、ですか……そうですね」
結局のところ私達は選択した手段こそ違えど目指すべき先は一緒なのではないでしょうか? であれば争う理由などありません。手を取り合って共に進む、とまで都合の良いようには言いませんが、それでもこうして絆を深めるのは悪くはないでしょう。
「ガブリエッラ様は純粋で真面目でしたから生まれ変わってもこんな過激な手段を取りましたが、話せばきっと分かり合えます」
「はい。きっとそうですよ」
だって私達は、姉妹なのですから。
トビアの髪をそっと撫でた私は自然と笑みをこぼしていました。




