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ふりてんつもる(前編)  作者: ぱじゃまくんくん夫
第六章 魂の夜明け
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摂津池田

 さゆりんはごちゃごちゃと言う。

 摂津池田氏は戦国時代に入って派閥闘争を何度も繰り返してきた一族なので、何につけても派閥の利益で動く連中だから、迂闊に乗り込んでいってしまっては変な約束を取り付けられた挙げ句、派閥闘争に巻き込まれのちのち面倒なことになると。

「あんたんところの織田や、成り上がりの松永弾正なんかとは一緒に考えんほうがええ。親戚同士が集まっての連合体みたいなもんって考えたほうがええ。池田八郎三郎は親分やなくて、一族の代表みたいなもんや」

 その中で荒木信濃守とやらは、親父が一介の浪人から池田氏に食い込んだ相当の人物だったそうで、親父亡きあとも池田氏を揺るがすぐらいの権勢を持っている。

 そんな荒木信濃守に会うための紹介状をカネと引き換えにすぐに書いてくれた、私のしたことに間違いはあったか、と、さゆりんはえらっそうに詰め寄ってくる。

 我慢の限界のおれは、もういいと言った。

「お前は黙ってろ。でしゃばんな。お前は簗田牛太郎じゃねえ。おれが簗田牛太郎だ。お前はただの護衛みたいなもんだ。わかったか!」

「あっそう。ほんなら好きにしいや」

 しばらく行くと池田城が見えてきた。これはまずいという城構えであった。

 稲葉山城、箕作城、和田山城と、さまざまな山城を目の当たりにしてきたおれだが、池田城は低く連なる山々の張り出した先端をすべてぐるりと削り取って、丘全部を城にしてしまっていた。堀と柵、土塁が頂上へと複雑に歪曲していきながら張り巡らされており、そこかしこで櫓が睨みをきかせている。

 それでもって動員兵数一万ときたら、さすがに苦戦を強いられるだろう。降伏させなければ信長になんてどやされてしまうことか。

 関所で取っ捕まったが、中川瀬兵衛の紹介状を雑兵に見せつつ、カネを渡せとさゆりんが強要してくるので、しぶしぶ賄賂を払った。

 なんでもかんでもカネで解決しようとしていたらおれは破産しちまうじゃねえか。

「さゆりん。お前の俸禄は十貫文な。わかったか」

「好きにしいや」

 こそ泥で生活しているさゆりんにそんな脅しは効き目がないようだった。

 団子茶屋で一服しつつ、団子焼きのジジイに荒木信濃守の所在を聞いて、池田城ふもとに近い屋敷町を訪ねた。

 他の屋敷には門番はいないというのに、ここだけ戦闘態勢に入っているのかなんなのか、荒木信濃守の屋敷の門前には警備の雑兵が突っ立っていた。見慣れぬ顔のおれとさゆりんが歩み寄っていくと、すぐさま槍先を突き立ててくる。

「何者っ!」

「簗田牛太郎にてそうろう!」

 と、おれはさゆりんの口を先んじる。今回はニセモノをやらせてたまるか。

「簗田牛太郎? 何者よ!」

「あ、いや」

 さすがに桶狭間勲功第一は遠く離れたこんなところでは通用しないようで。

「織田上総介の使者であります」

 と。さゆりんがでしゃばってきた。ゼニゲバ瀬兵衛からの紹介状を懐から取り出し、それを雑兵に渡した。

「中川瀬兵衛殿のご紹介です。信濃守様にお会いしたいのです」

 紹介状を手にすると、雑兵はあわてて屋敷の中に駆けていく。

 おれは拳を握りしめつつ、さゆりんを睨み据えた。

「おいっ!」

「なんや」

「お前は何もするな。これはおれの仕事だ。おれの役目だ。下僕のお前はでしゃばるな。わかったか!」

「殿がそれでよろしければ」

 これみよがしに急に吉田早之介に変貌したさゆりんは、団子鼻を突き上げて、瞼を細め、嘲り満載のくだらない顔つきだった。世界でもっともおれをバカにしている表情だった。おれに命を救われた恩など微塵も感じていない。

 でしゃばり小娘め。忍びをやめて男装しているからってすっかり戦国武将を気取ってやがる。バカが。おれは戦国武将歴十年弱だ。こんな小娘が小学生ぐらいだったときからおれは戦国武将だったんだ。たかだか忍び上がりがナメやがって。

 おれがこれまでにどれだけの道を歩んできたか、戦国乱世をどうやって渡ってきたか、摂津池田なんかさっさと降伏させて、その剛腕ぶりを見せつけてやる。

 と、意気込んでいたのも束の間、屋敷の玄関から小奇麗な身なりの若者が雑兵とともにこちらへゆっくりとやって来た。

 おれほどではないにしても、わりと背丈のある青年だった。彫りが深くて目鼻立ちがはっきりとしており、小麦色の肌つやが健康的に光っている。

 しかし、見てくれの良さのわりに、どこか落ち着いていない。大きな瞳をきょろきょろとさせており、門前のおれやさゆりんと目が合うと、視線をそそくさと外し、またぞろ瞳をきょろきょろとさせ、やがては門をくぐり出てきておれやさゆりんの前に立つと、んんん、と、咳払いをしつつも、視線の先はまったく別方向のおれの肩越しあたりだった。

 青年はそのままぼそぼそと喋った。

「荒木信濃守です……」

 えっ、と、思わず声に出そうだった。おれはてっきり、ヘタレなこいつを荒木信濃守の家臣か親戚だと思っていた。

「織田家臣、簗田牛太郎でございます」

 おれは狐につままれたような思いながら、ヘタレの荒木信濃守をうかがいつつ頭を下げる。

 ヘタレはちらっとおれを見てき、すぐに視線を外す。

「ど、どうぞ、中へ……」

 そう言って信濃守はぎこちなく踵を返し、かかしみたいに背すじを固まらせたまま玄関へと歩いていく。何がしたいのかまったく意味不明なので、入っていいものかどうか迷い、さゆりんに顔を向けてしまう。

 さゆりんはしらっとしている。

 雑兵がうながしてきたので、とりあえずはヘタレのあとについて中へ入っていく。

 玄関の敷居をまたぐと、奉公人や女中が待ち構えており、凶器を預けてくれるよう求められたものの、足をすすぐ桶を差し出してきて、丁寧に扱ってくれた。

 ヘタレはすでに廊下を行ってしまっており、草鞋を脱いで笠も預けると、奉公人に案内される。

 広間に通されて、ヘタレ信濃守はすでに座っていた。しかし、床の間を左手にしていた。

「恐縮です」

 と、言って向かいに座らせてもらい、さゆりんも隣に腰掛ける。

 ヘタレは胸を張って威風堂々たる姿勢でおれたちと向き合っているが、しかし、視線だけはやはりどこか明後日の方向に行っている。

 取っ付きにくくて仕方のない野郎である。とりあえずおれは頭を下げる。

「急に押しかけたにも関わらず、信濃守殿自らがお会いしていただきありがとうございます」

 おれは上目に覗いていた。おれが言い終えると、ヘタレはちらっと見てきた。目が合うとそそくさと視線を外す。

「お、織田の御仁が、拙者などに、な、何用ですか」

「実はこのたび織田上総介が足利左馬頭様を奉戴し上洛を果たしまして、池田八郎三郎殿にもお味方していただきたい所存でございまして」

「さ、左様でございますか。は、はい。そういたしましょう」

「えっ?」

 奉公人が白湯を運んできて、おれとさゆりん、ヘタレの前に置いていく。どうぞ、と、言って、白湯をすすめてくる。

「は、はあ」

 おれとさゆりんは白湯をずずっとすする。ヘタレは相変わらず明後日のほうを見ている。

 おれは湯のみ茶碗を置くと、落ち着いているのか落ち着いていないのかよくわからないヘタレの顔をうかがいながら訊ねた。

「あの、もう一度お訊ねしたいんですが、信濃守殿は池田の皆さんにそうすすめてくれるってことでよろしいんスかね」

「はい」

「い、いいんスか?」

「はい」

「そ、それは、どういったお考えで」

「か、考えとしては、拙者は、その、まあ、拙者の一個人の考えとしては、その、はい」

 答えにもなっていない答えを言うと、白湯をすすってしまって、それきりだった。

 話にならなかった。どうしてこんな奴が権勢を握っている奴なのかはなはだ不明であった。おれはどうにもならなくてさゆりんを見やる。しかし、さゆりんはおれの視線を無視してしまっている。

 おれが困り果てていると、湯のみ茶碗を床に置いたヘタレ信濃守は今度はやけに視線を注いできて口を開いた。

「た、高田殿は――」

「いえ、簗田です」

「あ、は、や、や、簗田殿。も、申し訳ございませぬ」

「いえ、構わないんですが、なんでしょう」

「あ、あの、や、簗田殿は、その、茶碗などにはご興味ありますかな」

「茶碗ッスか」

「え、ええ」

「興味がないと言えばないこともありませんが」

 興味なんてまったくないが、まったくお話にならないこいつがせっかく擦り寄ってきているので、適当に話を繕った。

「恥ずかしながらその道には未熟者でして、先日も松永弾正殿の多聞城を訪ねたさい、九十九髪茄子というものを拝見させてもらったときも――」

「つ、つくもっ!」

 急に声を裏返した。急に前のめりになっておれの手元に両手をついてきた。瞼を大きく見開いて、唇を震わせながらおれをがっちりと見据えてくる。

「あの足利将軍家に代々伝わってきた天下の名器、九十九髪茄子が松永弾正忠のもとにあったのですかっ!」

 おれはびっくりして仰け反った。ヘタレが大きな瞳から熱々と放ってくる眼差しの気迫もそうだったが、口調も途端にまともになってしまったので、おれはたじろぎながらうなずく。

「なんと。奈良だけあってなんと。あの弾正めが、九十九髪茄子を所有しているとは」

「でも、九十九髪茄子は上総介に献上することになったので」

「まことでございますかっ!」

「え、ええ……」

「あの弾正があの九十九髪を手放すと? いやはや弾正めもそれほどまでに追い詰められておりましたか」

 それまではぎこちなかったくせに、首を左右に振りながら、なめらかな動きで湯のみ茶碗を手に取り、いたって普通の人のしようでずずっとすする。

「まあ、弾正殿は最初、違う茶碗を献上すると言って出してきたんですけれども、それじゃ駄目だということで、九十九髪茄子を出してきたんです」

「へえっ! 簗田殿が九十九髪を出せと押し迫ったのですかっ! 簗田殿は弾正めが九十九髪を所有しているとご存知だったのですかっ!」

「い、いえいえ、あっしはさきほど言った通り、茶器の区別などつかないので、たまたまです」

「ははあ。それはなんともはや。先に出してきた茶碗というのはどのような物だったのですか」

「えーと、その、ぐにゃぐにゃした茶碗ですね」

「ははあ。それは手ごね茶碗ですね。最近流行っておるのです。少々お待ちを」

 そう言って、ヘタレ信濃守は席を立ち、広間を出てどこかへ行ってしまった。

 おれは隣のさゆりんに顔を向ける。

「なあ」

 さゆりんはこちらに見向きもせずに白湯をすすっている。

「お前、ああいう奴って知っていたのか」

「いいえ」

「ということはつまりおれの勝ちだな」

「何をおっしゃっているのかよくわかりませぬ」

 周りには誰もいないというのに吉田早之介をやっているあたり、さゆりんは悔しいのだろう。おれじゃなければ変人の荒木信濃守の興味を引けなかったからだ。松永弾正の九十九髪茄子をこの目にしたおれでなければできなかった技なのだ。

 これこそ、カネだけばら撒いて人の心をつかもうとする詐欺師との違いだ。




 広間から一旦出ていったヘタレ信濃守は茶碗を持ってきた。自慢の一品だと言ってえらく上機嫌になって見せてきた。

 おれはここぞとばかりに擦り寄っていく。

「ほうほう。お手にさせてもらってもよろしいですか。ほほう。いい仕事してますねえ」

「おわかりになりますかっ!」

「いや、あっしは茶器はてんでわからないのですが、いいものはいいというのは誰にでもわかるッスね」

「これはですね、簗田殿――」

 と、ヘタレは子供みたいにはつらつとして茶碗の良さを並べ立てていく。おれはふむふむなるほどと興味はまったくないが興味があるようにしてうなずいていく。

「そういえば簗田殿。どちらにお泊りなのですか」

「いや、まあ、これから探すところッスかね。池田には今日来たばかりで」

「ならばこの屋敷に泊まってはどうです」

「えっ? いいんですか?」

 ということで、ヘタレの家に泊まることになり、夕飯も用意されたのだが、なんと膳にはクロダイの煮付け、焼いたタコ、そしてアワビなのだった。

 おれはお世辞でもなんでもなくびっくりして訊ねる。

「信濃守殿は毎日こんな豪華なものを食べてらっしゃるんスかっ?」

「あ、尼崎の港で揚がったものゆえ。ま、毎日ではありませぬが」

「素晴らしい。摂津はなんて素晴らしいところなんでしょう」

 では、さっそく煮アワビからいただきます。

「ああ。この歯ごたえ、この食感、口の中には海からの恩恵が磯の香りとともに広がるようッス。いやあ、まさかアワビを食べられるとは思いもしなかったッス」

「ど、どうぞ、簗田殿、一献」

「ああ、これはすいません」

 と、信濃守が銚子で酒を注いでくるが、隣でさゆりんが睨みつけてくる。

「殿はお酒は飲めないのでは」

「飲めなくないよ。あ、どうぞ、あっしからも」

 と、ヘタレに酒を注いでいく。なみなみ注ぐと、銚子から盃に持ち直し、ヘタレともども盃を高くかかげ、お互いに会釈をかわして酒を飲む。うん。うまくない。酒はうまくないが、アワビはうまい。

「ところで信濃守様」

 さゆりんが顔を赤らめたヘタレ信濃守に首を伸ばす。

「池田の諸将方々は織田上総介の上洛をどういった具合で見てらっしゃるのでしょう」

「うーん。そうですなあ。我ら池田には四人衆という家宰を取り仕切る者どもがおりまして。彼ら四人衆に付け加えておやかたがどう考えているか」

「お前、うるさいんだよ」

 おれはでしゃばり小娘をたしなめる。

「せっかく信濃守殿がこんなおいしいものを差し出してくれているってのにさっきから野暮ったい話ばかりしやがって」

 さゆりんは睨みつけてくるがおれはぷいっと顔をそむける。そむけつつもヘタレに愛想笑いを向ける。

「すいませんッス、信濃守殿。気の利かねえ家臣で」

「い、いえっ。そ、それより、簗田殿。せ、拙者を信濃守だなんて呼ばずに、拙者は弥助でよろしいです」

「へ?」

「や、簗田殿は初めてお会いしたとは思えぬ御仁。し、信濃守などよそよそしい呼び方はやめてくだされ」

「いやあ、しかし」

「せ、拙者はどうも人見知りでして。そ、そ、それに付け加えて上がり症でもありまして。お初にお目にかかる御仁とはなかなか会話ができぬのですが、や、や、簗田殿とは、昔からの仲、そ、そんな感じがするというか」

 おれはさゆりんに顔を向けながらにやっと笑う。カネだけばら撒く野郎にはこんな真似はできねえだろう。

「けれど、弥助殿」

 と、おれは酔っ払った勢いも手伝って、さっそく弥助呼ばわりだった。

「池田の中では結構な実力者なんでしょう。あっしなんか大したもんじゃないッスよ」

「い、いやっ、拙者は父の遺産を引き継いでいるようなもので……。か、家臣どもには侮られるばかり」

「ああ。弥助殿もッスか。あっしもそうッスよ。どいつもこいつもあっしに口答えばっかしてきてね」

「や、簗田殿。せ、拙者の齢はいくつに見えますっ?」

「二十前半ッスか」

「そ、そ、それが三十三なんです」

「えっ! あっしと対して変わんねえじゃねえッスか」

「そ、そ、そうなんです。幼く見られるのです。それでいて上がり症なのに、家臣、家臣たちが、根も葉もない拙者の功績をでっち上げ、ものすごい猛将として喧伝してしまうのです」

「あー。そういうのは大変ッスねえ。あっしも、おやかた様になんだか買い被られて、こんな真似をさせられているんスよ。降伏だなんて。やりたくもねえことを」

「殿」

「わ、わかります。せ、拙者も同じような、そんな目に合ってます」

「よく言われるんスよ。阿呆とか反吐が出るとか。そんなもん主人に対する文句じゃねえでしょう」

「それはひどい」

「でも、あっしはどっちかっていうと気の強い女のほうが好きで――」

「殿」

「あっ、拙者も同じくですっ。な、な、なぜでしょうかねっ、拙者も気の強いおなごのほうがわりと」

 おれはげらげらと笑い上げ、ヘタレ信濃守ことヘタレ弥助くんに酒を注いでいってやる。ヘタレくんもすっかり顔を赤らめておれの盃に酒を注いでくる。

「ちなみに弥助殿の奥さんは気の強い女性なんスかね?」

「も、もう気の強いどころではありませぬ。な、な、なにせ、先代のおやかた様の娘ゆえ」

「えっ? そうなんスか。あっしもね、重臣のね、柴田ゴンロクっていうバカの妹で――」

「殿」

「これがまた柴田ゴンロクってのが本当にふざけた野郎でして」

 おれとヘタレくんは酒をすすりながら愉快に意気投合し、銚子の中身をすっかり空けるまでに盛り上がった。



「あんた、酔っ払ってるん? 余計なこと言いすぎちゃうの」

 寝床と言って奉公人に案内された部屋に二人きりになるとさっそく小娘は小声で説教だった。

 おれはごろりと寝転がり、小娘に背中を向けつつあくびをかく。

「それにあんた、ほとんどなんも訊いてないやんか」

「仲良くなったんだからいいだろうが。お前はだいたいな、事を急かしすぎなんだよ」

「勝竜寺城はすぐに落ちるで。そうしたら、上総介の五万の大軍はそのまま北摂津に流れてくるんやからな」

「明日やればいいんだろ。明日。うるっさいんだから、本当に。太郎よりうるさいわ」

 おれは綿入りの夜着をかき寄せてき、それを抱きしめて丸くなる。

 むにゃむにゃとまどろみに落ちていく。

「あんた。私と一緒におらんほうがええんちゃうの」

 小娘が妙なことを言っているので、おれは瞼を開き、のっそりと起き上がった。さゆりんはそこに膝を畳んで足を流しており、睨んでくる――というよりか、真面目な視線をじっと据えてくるのだった。

 おれは眉をしかめる。

「なんでだよ。そんなわけないだろ」

「私が勝手にあんたに付いてきただけや。あんたを責めるつもりはあらへん」

「何を言っているのかよくわからねえんだが」

 おれが戸惑いつつ、酒酔いの真っ赤な目で眺めていると、さゆりんはさゆりんらしくもなく、くたびれたふうに視線を落とし、溜め息をついた。

「私が自分を過信していただけやったわ。あんたのためになると思って私は勝手についてきたけど、むしろ、あんたのためにはならんようや」

「おいおい、そんなことないだろ。何を言っているんだよ」

「あんたって満たされると駄目になる男なんやな」

「だから、言っている意味がわからねえって。おれはいつだって駄目男なんだよ。さゆりんと一緒にいるから駄目ってわけじゃないだろ。前から駄目な男だったんだよ」

 さゆりんが意味不明なのでおれはすっかり酔い覚めしてしまう。

 ろうそくに火が揺れて、視線を持ち上げてきたさゆりんの影も揺れた。

「駄目は駄目なりに頑張ってたやん」

「なんで泣いてんだよ」

「泣いてないわ」

 そう言いつつ、さゆりんは鼻をすすりながら腰を上げてしまう。

「おい。どこ行くんだ」

かわやや」

 さゆりんは部屋から出ていき、戸を静かに閉めていく。

 取り残されてしまったかのようにして、おれは布団の上に座っている。ろうそくのろうが溶けていくかすかな音を聞いている。

 さゆりんがどうして泣いていたのかわからん。おれは何かさゆりんを傷つけてしまうことをしたのだろうか。昨晩、襲おうとしたから怒っているんだろうか。そういえば、それ以来ずっととやかくうるさいのである。

「だって、そんなの――」

 おれは唇を尖らせて、一人、ふてくされる。

 さんざん色仕掛けしてきて、いまさらどうして機嫌を悪くするのかって話だ。奥方がいるやんかって言ったって、さゆりんはあずにゃんと友達じゃねえだろうが。顔も合わせたことがねえじゃねえか。

 まあ、確かに、さゆりんがいろいろとやっているから、おれは何もしなくてもいいやってちょっとだけ思っていたふしがないこともないけれども。

 いつのまにやら北摂津に来た目的がさゆりんとの二人旅になっていたのはいなめないけれども。

 だからって泣くことはねえじゃねえか。なんで、泣くんだよ。おれがものすごく駄目な野郎みたいじゃねえか。

 おれは理解できないまま横になり、夜着を抱いて丸くなる。やるせない気持ちを押し殺すようにしてさっさと寝ようと思うも、さゆりんがなかなか帰ってこないので起き上がる。

 そうしたら、すうっと戸が開いて、さゆりんが帰ってきた。ろうそくの火を吹き消し、何も言わずに横になってしまう。

 おれは溜め息をついて眠りについた。



 翌朝、さゆりんとは気まずいままに会話もなくて、ヘタレくんに招かれて一緒に朝メシをとり、

「や、簗田殿、せ、せっかくですから茶でも点てさせてもらってもよろしいですか」

 と、へたれくんが言う。

 昨日のさゆりんのこともあるし、おれはへたれくんの口添えで四人衆なるものに根回し歩きをしたかった。けれども、へたれくんにそう言われてしまうと断れないので、朝メシを済ませたあとは屋敷の離れの小さな庵に連れていかれた。

 さゆりんは「拙者は遠慮させていただきます」と言いつつ、池田の町を巡るとも言って屋敷から出ていってしまう。

 庵は茶室になっていた。茶の湯を知らないおれにへたれくんは座る場所はここで、姿勢はこうで、と、あれこれ指図してくる。

 こいつは本当におれに協力してくれるのだろうか、だんだんと不安になってくる。

 すると、茶筅で茶碗をかき回していたへたれくんはふいに鋭い視線を持ち上げてくるのだった。

「簗田殿、お心に乱れが生じておりますな」

「えっ?」

「茶の湯とは無です。もてなすほう、もてなされるほう、それぞれが無になって感謝の念を共有するものです。無にならなければ感謝の味わいもおろそかになってしまいます」

 言っていることがさっぱりだが、へたれくんの表情はとにかく賢者の顔つきで、どうやら茶の湯に入ると変貌してしまう、例えばいくさ狂いの半兵衛のような変人であるらしかった。

「拙者は堺の茶人、田中与四郎様に師事をあおいでいるのですが、田中様はこうおっしゃいます。茶とはわびさびだと」

「はあ」

「わびさびというのは――」

「殿」

 と、庵の外から呼びかける声がして、へたれくんは大きく溜め息をついた。眉根をしかめ、障子戸を睨みつける。

「なんだ」

「おやかた様よりお呼び出しが」

「おやかた……」

 へたれくんは茶筅を手にして前かがみになったまま固まって、何事か思案しているようだったが、おれに向き直ると、深々と頭を下げてくる。

「申し訳ございませぬ。登城しなければならず、少々のあいだ、お待ちいただいてもよろしいでしょうか」

「は、はい。全然。どうぞ」

 へたれくんはしずしずと素襖の裾を擦らせながら庵をあとにしていった。

 おれは思う。この世界が全部茶室だったら、へたれくんはひとかどの武将であろうと。

 おれはしばらくのあいだ、茶室に取り残されてへたれくんが帰ってくるのを待っていたが、なかなか帰ってこないので、茶碗を眺めたり、柄杓で茶釜の中のお湯を汲んだりしてみた。

 へたれくんがやっていたように抹茶を茶碗に入れて、お湯で溶かしてかき混ぜる。緑色の液体を一口すすってみれば、苦さに顔を歪めた。お湯で薄めても苦かった。

 暇なので寝転がる。畳の匂いを嗅ぐ。畳はやはりいいものである。

 い草の感触を味わいながら仰向けに寝転がって板張りの天井を眺めていると、やがて、あずにゃんに手紙を送ったきりだったのを思い出した。返事の手紙を出してくれているはずだろうけど、軍勢から外れてしまっているおれには届くはずもない。

 そういや、手紙になんて書いたんだっけ。

 物音がして、おれはあわてて起き上がった。

 へたれくんがやって来る。

「や、簗田殿、も、申し訳ございませんが」

 茶室賢者がおどおどしているので、おれは顔をしかめる。

「中川の瀬兵衛が、さ、先走って、四人衆の一人に簗田殿の存在を話してしまったようで。きゅ、急遽、拙者どもも呼ばれて評定は紛糾したのですが」

「ど、どうなったんスか」

「おやかたは織田殿の使者には会わないということになってしまいました」



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