本気の冗談
拝啓 梓殿
あたらしい時代の到来です
ずらりと近江の湖畔に織田勢は並んでおります
さてさて私も勲功を立てることがかない
やな田牛太郎、沓掛ならず九之坪も所領にしました
つきましては梓殿に御礼申し上げたいです
たたかいに勝てたのも梓殿のおかげです
ようやく恩返しができたような気持ちです
敬具 牛太郎
所領アップを誰から聞いたのか、おれのもとに黒鎧に黒兜の太郎がやって来て、我がごとのように喜んだ。
「おめでとうございますっ、父上っ」
「ああ……」
掘っ立て小屋の茣蓙に寝そべって頬杖をつきながら、おれは気だるく返事したものの、太郎の笑顔はハンザにも向けられる。
「半左衛門、初陣はいかがであったか」
「旦那様のお役に立てたかどうか。拙者は何もできませんでした」
ハンザは申し訳なさそうに首を垂らしたが、太郎がまあまあと言って肩を叩く。
「父上。母上にもすぐに伝えてあげてください。きっとお喜びになります」
「ああ……。もう手紙出したよ……」
「それでは」
と、太郎は去っていったが、シンパチのオッサンと立ち話をし、クリツナの首を撫でていったあと、沓掛勢の面々とも話していった。
雑兵がお粥を持ってきたので、体を起こしてむしゃくしゃと食べていく。
まったく。
何が九之坪だ。
あずにゃん宛ての手紙を雑兵に渡したあと、マリオから聞いて知ったのだが、九之坪ってのはこれまで信長の直轄領だった、春日井郡の九之坪村ってところだそうだ。
禄高は五百貫だそうである。
なんだよそれ。
五百貫って。
沓掛三千貫の六分の一じゃねえか。おれはてっきり五千貫くらいだと思っていたのだ。それが五百貫だ。
しかも、沓掛と春日井郡は離れているんだから、飛び地だし。
どうしてくれるんだ、この気持ち。
どうしてくれるんだ、あずにゃんへの手紙。
尾張美濃南近江、すべて合わせて織田家はどれだけの所領をせしめたってんだ。それに比べておれの所領って点みたいなものじゃねえか。
江戸時代の大名とかはさ、だれそれ何万石、だれそれ何十万石だなんて言っていたんだろ。
おれの三千五百貫だなんて、それに直したら二千石と半分ぐらいじゃねえのか? 一万石すらまったく及んでねえ。
今回の六角攻めでもおれは危うく死にかけたのにバカバカしい。
ほんと、いつまで経っても信長がケチだから、副業でも始めねえとやってられねえ。
ドケチ行賞の翌日、南近江に展開していた六角方の十八の支城のすべての守将が信長に降伏を伝えてきて、信長はそいつらすべての所領を安堵した。おれに一つぐらい寄越せってんだ。
信長は織田全軍に乱暴狼藉は即刻打ち首の触れを出した。
強奪を楽しみにしていた連中は不平不満を垂らしたそうだが、ゴンロクやサンザの手下どもが南近江のあちこちの寺に避難していた住民たちに安全を約束して回っていった。
どうやら、信長が南近江で大勝した話が京都市中に届いており、野蛮な田舎者が来るとあって住人たちは家財道具を引いて避難を始めているらしい。
それでもって現在の幕府の将軍も、最近よく聞く三好三人衆とかいう奴らに伴われて大阪のほうに逃げたらしい。
また、信長には天皇から上洛を許可する文書が早々と来たそうで、岐阜の寺にいる足利左馬頭に使いを送り、次期将軍が南近江に到着するのを待っている状態である。
待っていると言っても、その間、おれと沓掛勢は児玉勢とともに土木作業をさせられているのだが。
いや、土木ではなく解体か。箕作城と和田山城は廃城と決定し、それらの材木を片っ端から引っこ抜いては引っ剥がしていっている。
再利用しか能のねえ信長のドケチ感覚に付き合わされて和田山城で現場監督を(ハンザにやらせているが)していると、直垂姿の明智十兵衛がやって来た。
「簗田殿、このたびは戦功を立てて所領も増えたそうで」
「増えたっつったって大したことないッスよ。それより、十兵衛殿は忙しいんじゃないんスか。左馬頭様が来るんでしょ」
「いやいや、上総介殿からのご伝言を簗田殿に持ってきたのです」
「えっ? おやかた様からッスか?」
松永ダンジョーから降伏の申し入れが届いてきており、十兵衛と一緒に奈良の多聞城に行けと言っているらしい。
「もっとも、拙者が簗田殿をご指名させてもらったのですが。連れ立ちの者を織田方から一人付けると上総介殿がおっしゃるので」
「ああ、そうスか。アハハ……」
奈良とか言ってめんどくせえ。
それにダンジョーってシロジロからカネを騙し取った奴の親玉じゃねえか。
余計な真似しやがって。
とはいえ、賓客の友達なので、副監督のハンザに湯冷ましを用意させる。佐和山城の井戸水ではひどい目に合ったのでこれからは生水は飲まない。
切り倒した櫓の柱に腰掛けて、十兵衛と二人、解体の様子を眺めながらお椀の中身をすすっていく。
「ここにこぎ着けるまで、ずいぶんと長い道のりでした」
「そうッスね」
と、言ったところで十兵衛の苦労だなんておれにはわかりゃしない。
その横顔にうっすらと刻まれた皺が物語っているなんとなくで察するしかない。
とはいえ、十兵衛は何を目的にしてやっているのだろうと疑問にもなる。
十兵衛は信長の家臣じゃないから、明智庄を所領として回復できたわけでもない。
足利幕府の再興を本気で考えているのだろうか。幕府の家来となって大領を獲得しようと狙っているのだろうか。
それともただ単に幕府を再興したいだけなのか。
まあ、疑問になりつつも、そういうことを質問すると小難しいことを並べ立ててきそうである。
おれはしみじみとしているふうに湯冷ましの白湯をすする。
ふいに十兵衛が顔を向けてきた。
「浅井新九郎殿や徳川三河殿も簗田殿のお話をされておりましたよ」
「え? そうなんスか?」
「論功行賞の場で大功を立てた足軽兵卒を気遣って、重臣の森三左衛門殿に推挙なさったようですね。そのことについて、ご両名はなかなかの御仁だと」
「おやかた様にはぶたれましたけどね。たくらんでいただろうって。まったく。人のことをなんだと思ってんだか」
十兵衛は声を立てて笑った。
「それどころか、言わなくたっていいのに、女房にケツを引っぱたかれているのか、だなんて言うんですよ。いや、岐阜でそういうのはべつにかまわないッスよ。それを、浅井殿とか三河殿がいる前で。鬼の女房だなんて言うし。おやかた様がその人と結婚しろって言ったんスよ」
十兵衛は笑い続け、湯冷ましを飲んでもまだ笑っていた。
「いや、しかし、簗田殿の奥方はお美しいではございませんか。あの奥方が鬼だなんていうのは――、左様でございますか?」
「鬼なんかじゃありませんよ。怒らせたら鬼かもしれませんが。そんなのどこの奥さんだってそうでしょう」
「まあまあ、そうですかね」
十兵衛はなぜかよっぽどおかしいらしい。十兵衛はあずにゃんと結婚したあとにも一度屋敷に来ている。そのときに会っている。軽い挨拶を交わしただけで、あずにゃんはすぐに引っ込んだ。鬼の片鱗だなんてちっとも見せなかった。
それなのにこれだけおかしがっているというのは、十兵衛も奥さんに頭が上がらないほうなんじゃねえのか。だろうな。いい年して幕府再興だなんて言って、諸国を歩きまわってきたんだから。奥さんから見てみりゃ放蕩しているようなもんだ。おれのほうがまだマシだ。
「簗田殿の奥方と言えば、倅殿も会うたびに顔つきが変わっていきますな。半兵衛が烏帽子親になったようで」
「ええ。まあ。顔つきが変わっているかどうかはわかりませんが。むしろ日に日に生意気になっていきますよ」
「十七ですか?」
「いや、今年で十六じゃなかったッスかね」
「将来が期待できますな。左衛門太郎殿は目付きがいい。さきほどもすれ違ってご挨拶させてもらったのですがね」
「そうですか。何をやってんスかねあいつは。ぷらぷらほっつき歩いて。こちとらこんなことをやらされているってのに」
「拙者の娘の婿殿にどうです」
「え?」
おれは思わず十兵衛に振り向く。十兵衛は笑っていたので冗談で言っているような具合だったけれども、親父が「娘をどうですか」なんて言うもんなんだろうか。
冗談でうなずいてしまうと、あとで本気になってしまいそうな気がしてくる。
「拙者には同じ年頃の娘がいるのですよ」
「はあ、そうッスか」
と、おれは愛想笑い。
だいたい、万が一にでも太郎を十兵衛の娘なんかと結婚させてしまったら、後々とんでもないことになる。明智十兵衛光秀は本能寺の変で謀反を起こすのだろうから。
そういうふうにはまったく見えないけれども。
「格下のあっしなんかの息子と十兵衛殿の娘さんだなんて、まったく恐れ多いッスよ。冗談もほどほどにしないと笑われちゃいますよ」
「まあまあ、冗談半分、本気半分程度でしょうかね。そもそも簗田殿が格下など。拙者こそ格下ですよ」
左馬頭上洛がかなうので舌がなめらかなのかどうか、十兵衛はにこにこと笑っており、おれも愛想で笑うが心のうちではまったく笑えん。
十兵衛の言う通り、確かに今は浪人風情だが、左馬頭が将軍の座に就くと十兵衛は途端に飛躍するわけだ。つまり、あと数カ月後にはおれなんか及びもしない存在だ。
自分がそうなることを十兵衛ほどの人間がわからないはずない。それなのに冗談半分本気半分だなんて。
まったく冗談に聞こえねえわけだった。
十兵衛は脇差しをくれたり、いちいちこうやって訪ねてきたりして、おそらくこの世でいちばんおれを買いかぶっている人間だ。
そんな友達のおれと仲を深めたいというのもあれば、太郎を気に入ってそう言っているのかもしれん。
もしかしたら、信長直臣のおれとコネクションを構築しておきたいというのもあるかもしれない。
今は笑って済ませる話でも、後々面倒になってきそうだ。
「ところで三好三人衆が逃げたって聞きましたけど、三好三人衆って何者なんスか?」
と、おれは話題を逸らし、世間知らずのバカをアピールした。
朝から晩まで解体工事の沓掛勢は和田山に詰め込まれっぱなしであるが、見返りに本丸館を寝床にできていた。
太陽が琵琶湖の湖面を赤く染め上げる日暮れ、小一郎が和田山城にやって来た。サルが呼んでいるという。
なんだろうと思って、クリツナに跨がり、ハンザに口輪を取らせて和田山を下りていく。先導する小一郎の話では晩飯を一緒に食べようと言っているそうだった。
なんでも、どっかの寺を懐柔し、そこでまともなメシを食えるよう取り計らったそうだ。
怪しい。
独占欲のかたまりのようなサルが、ただでうまいメシをおれに食わせてくれるはずがねえ。
やって来てみれば、思ったとおりだった。まともなメシとか言って、おかずは精進料理とも言えねえしなびた野菜ばかりである。
そして、サルがおれを呼んだ理由というのはただ単に自慢話をしたいがためであった。
「おりゃあはな、半兵衛の策を聞いたときに閃いたんだぎゃ。これは、早速、近在の猟師を引き入れなくちゃならんだぎゃって」
お食事会だっていうのに、なぜかサルが上座を陣取っている。
膳に向かい合うのはおれの他にもいた。そのメンツからして魂胆が透けていた。弟の小一郎はともかく、サルの飼い犬の堀尾茂助、寧々さんの妹婿でまだ若僧の浅野弥兵衛、半兵衛はダークサイドを脱せば笑っているだけのニート野郎であり、それら自分の手下の他ではマタザだけである。
蜂須賀クマ六あたりがいなければ、おれとマタザ以外の五分の同僚以外に信長直臣を呼んでいないからこそ、上座で偉そうにしているわけである。
箕作山攻めの工作活動はいいとしても、テメエが生まれたときから今日までのありとあらゆる武勇伝をサルは連発し、メシを食っているさなかでも食べ終わってもずっとうるさかった。
桶狭間の村人を酒工作で懐柔したこともそうだし、川並衆を説得して回ったことも、墨俣一夜城を築いたのは当然であり、ましてやなぜか半兵衛や西美濃三人衆を口説いたのも自分の成果にしていた。
「やっぱりだぎゃ、いくさっちゅうもんは頭を使わな、いかんだぎゃ。腕っ節だけじゃあおりゃあみてえに出世できねえだぎゃ。な、茂助?」
「はいっ。左様でございますっ」
「いくさ場で手柄を立てるだなんてたかが知れているんだぎゃあぞ。いくさの前準備で手柄を立てなくちゃならんだぎゃ。弥兵衛、そこんところわかるかえ?」
「はいっ。わきまえておきますっ」
「そもそもだぎゃ、おりゃあは首級なんて取ったことがねえんだぎゃ。ほんでもこれだぎゃ。そこんところ小一郎はわかるかえ?」
「さあ、どうでしょうね……」
「茂助はわかるだぎゃあろ。おみゃあはずっとおりゃあに付き従ってきただぎゃ」
「はいっ。殿は切れ者でございますっ」
「あとはいかにご主人の考えを読むかだぎゃあな。先をいかにゃあと。おやかた様の先を読もうとしねえと。そこんところおみゃあにはわかんにゃあだろ、牛殿」
「……」
「弥兵衛、そういうことだぎゃあぞ」
「はいっ。承知いたしましたっ」
「まったく。浮かれやがって」
マタザがぼそりと吐くと、サルは待ってましたとばかりに瞼を広げる。
「なんだぎゃ、又左。おみゃあだっていつまでも腕っ節に頼ったらいかんだぎゃ。おりゃあの今の話を聞いていたら、すーぐに出世できるだぎゃ」
「嫉妬なんかしているか。そんなくだらねえ話をするためにわざわざ呼び出しやがって。お前な、そんなに浮かれているといつか寝首を掻かれるぞ」
「そうですよ、兄さん」
と、小一郎がようやくたしなめた。
「今までのことは、たまたまうまく行っただけのことですよ。いつまでも浮かれていないで、もうちょっと自重してください」
「なんだぎゃおみゃあ。マタザや牛殿が言うならまだしも、おみゃあは誰のおかげでこうしていられると思っているんだぎゃ。ん?」
何がサルをこうさせているのだか知らん。ストレスなんて絶対に溜まってねえんだから発散しているわけでもねえだろうし。
もうすぐ上洛だからって、テメエが信長にでもなった気分でいやがるんだろうか。
「よくもまあ」
と、半兵衛がにやにやと笑いながら言う。
「誰のおかげだなんて、藤吉郎殿だって口を叩けませんでしょうよ」
「なんだぎゃ」
「拙者は存じておりますよ。配下の者を増やすばかりで俸禄が間に合わないからと小一郎殿に金策に走らせていることを」
おれは思わず口を覆って笑いをこらえた。
さすがは半兵衛。サルはすっかり青ざめてしまい、小一郎は兄貴を睨みつけている。マタザはにたにたと笑っていて、茂助と弥兵衛はうつむいてしまう。
「なっ、何を言ってんだぎゃあか、半兵衛はとうとう虚言を申すようになっちまっただぎゃ」
「子が出来ないからと言って奥方にきつく当たるときもしばしばだとか」
漬け物をボリボリと噛みながら半兵衛が言い、サルは顔を真っ赤にして立ち上がった。
「おみゃあっ! 根も葉もないことをほざいているんじゃにゃあっ! 小一っ! おみゃあかえっ! おみゃあがそんなくだらねえ虚言を半兵衛に吹き込んでいるんかえっ!」
「ちなみに」
と、おれは割って入った。
「あっしが貸したヒルモはいつ返してくれるんですかね」
「なんだぎゃあと? おみゃあにヒルモなんて借りた覚えはねえだぎゃ」
「マタザさん、知ってますよね。あっしが最初に織田に入ったとき、おやかた様からヒルモをもらったの」
「ああ、そういえば。なんだ、あれを藤吉郎に貸したのか」
「貸したっていうより、騙し取られたんスけどね。まあ、貸したってことにしてやってんスけど。さっき言っていた桶狭間の村人を懐柔したってのはあれは話をすり替えてますからね。村人を説得したんじゃなくて、ヒルモで買い取っただけッスからね。なあ、茂助。お前はヒルモで買ったのを知っているよな」
茂助は平らげた膳にうつむいてだんまり。
「おみゃあはまだそんなことを言っているんかえ。くだらにゃあ。たとえおりゃあがヒルモを借りていたとしても、おみゃあにさんざん恩を返してやっただぎゃ」
サルはふてくされながら腰を下ろすも、おれの口撃は止まらない。
「よく言いますよね。この前の祝言だって逃げちゃったくせに」
おれの向かいの小一郎は、もっと口撃してくれという目でおれを見つめてきている。
「ゴンロク殿の泡を食った顔が見たいだなんてあれだけ大見得切っていたくせに、人との約束を直前まで忘れていた挙げ句、迎え役にしようとした半兵衛が留守だからって逃げ出す始末」
「言いがかりだぎゃっ! おりゃあは逃げ出してなんかいにゃあっ! 半兵衛を探しに行っていたんだぎゃっ!」
「お前、そんときこの辺りにいたんだよな?」
「左様でございます」
半兵衛がうなずけば、おれはサルに向き直って鼻で笑う。
「どこを探していたんですかねえ? この辺りまで探しに出ていたと言うんであれば、どうして昼過ぎには祝言に顔を出していたんスかねえ?」
「おりゃあはおみゃあの祝言になんか顔を出しておらんだぎゃ」
「ま、藤吉郎殿のおかげッスね。おやかた様の朱印状が活かせたのは。藤吉郎殿がへまこいてなけりゃ朱印状は役に立たなかったんスから。ねえ。マタザ殿」
「おお、そうだそうだ。藤吉郎のおかげで俺の苦労も身を結んだってことだ」
おれはサルの武勇伝の代わりにマタザの武勇伝を語ってやった。サルのせせこましい武勇伝よりも華々しいマタザの武勇伝のほうが茂助も弥兵衛も興味を示した。
マタザも気を良くして、桶狭間のときはこうだった、森部のときはこうだったと舌をなめらかにし、サルといえば武勇伝語りを奪われてしまって無言でうつむいているだけ。
そのうち、サルはふいと立ち上がった。
「おりゃあは先に帰るだぎゃ。おみゃあらと違っておりゃあは忙しいだぎゃあから」
ふてくされて部屋を出ていったサルのあとを茂助と弥兵衛はあわてて追いかける。
小一郎が頭を下げてくる。
「前田殿、簗田殿、申し訳ございませんでした」
「お前も大変だな」
と、マタザが小一郎の肩をぽんぽんと叩き、半兵衛も腰を上げる。
「まったく仕方がありませんね。まあ、そのうち痛い目に合うでしょうが」
連れ立って寺の離れ家をあとにすする。境内で待っていたそれぞれの手下と合流するものの、一足早く帰ってしまったはずのサルの従者が残っている。サルを見かけていないと言う。
小一郎は溜め息をついてサルを探しに回っていった。
すっかり日が暮れてしまっており、夜空には星が散らばっている。
半兵衛は箕作山、マタザは逆方向の繖山ということで、おれと半兵衛はマタザと別れて帰路をたどった。
ハンザが松明の明かりをかかげて口輪を取りながら、寺の板壁沿いにクリツナを引いていく。
半兵衛は徒歩で来たようだった。
「敵地を行くには馬よりも自分の足で歩いたほうがよいのです」
「敵地っつったって、もう敵地じゃねえじゃんか」
「クセですかね」
「クセっていうか、お前よ、あれやめろよ。おやかた様の前で変なふうになるの」
「変なふう? 何がですか?」
きょとんとして半兵衛は首をかしげ、自分ではわかっていないようである。
ふいに向こうから松明の火が駆け寄ってきた。
なんだろうと思って目を凝らしていると、鉢巻きを巻いたポニーテールの足軽雑兵がおれと半兵衛の前に片膝を立てた。
「沓掛勢が早之介でございますっ。殿っ、奥方様が病にてお倒れになったとの早馬がっ」
「えっ!」
おれは硬直した。心臓が止まってしまいそうになる。
あずにゃんが病気で倒れた……?
「う、嘘だろ……?」
「虚言です」
と、つぶやいたのは半兵衛。きらっと太刀を抜き取ってきた。
「くせ者めっ! 沓掛の者にどうして畿内訛りがあるかっ!」
切れ長の瞼を切り結んで半兵衛が太刀を一気に振り下ろす。
しかし、雑兵は松明を放り捨てながら後ろに跳ね跳んでいた。腰から短刀を抜いてきた。




